31arts|6月普及公演 船渡聟・養老(国立能楽堂)
大きいお仕事が校了しましたので、ご褒美に舞台鑑賞!
何か新しいジャンル、能か文楽が観たいなと思い、日本芸術文化振興会のウェブサイトを検索。長寿を題材にした能の演目を鑑賞することにしました。
独立行政法人 日本芸術文化振興会は国立の演芸場や能楽堂を運営する機関で、「なんとなく伝統芸能が観たいな」という時に便利です。
歌舞伎の公演情報ならば、松竹の歌舞伎美人で探すのも便利ですね。
国立能楽堂
6月11日(土)に国立能楽堂で開催された「6月普及公演 船渡聟・養老」を鑑賞しました。客層はご年配ばかりということもなく、ミドルエイジが多かった印象です。この日は中学生さん?が芸術鑑賞に来ていました。
歌舞伎はおしゃれをして贅沢して、スター役者さんを観に来たぞ!という興奮が感じられますが、文楽はしっとりと落ち着いている様子でした。
能は面をつけて舞いますし、テレビに出演する演者さんもあまりいないので、ミーハーな感じがしないのかもしれません。(主観ですが)
そう考えると、能・狂言の世界からテレビや映画へと活躍の幅を広げた野村萬斎さんは、かなり異例なのではないかと思いました。
会場では、食堂はあるものの売店での飲食物の販売はなく、和風小物や能・狂言に関する一般書籍、公演プログラム的な冊子などが売られていました。
また、展示室では面や衣装、資料などが展示されています。
解説・能楽あんない
本公演は「普及公演」と銘打ち、上演前に解説があり、前の座席に付属する画面から大まかなストーリー展開と字幕(無料!)が表示され、初心者にも優しい公演となっています。
はじめに、国士舘大学の表きよし先生の解説がありました。とてもスピーチ慣れしている先生で「今のうちに寝てもいいですし、鑑賞前に心を落ち着ける時間にしていただければ」とおっしゃっていました。ちゃんと聴くよ?!
養老の滝は、岐阜県養老郡にある実在の滝です。すぐ近くに荒川修作とマドリン・ギンズが手がけた「養老天命反転地」もあり、芸術と自然と冒険によって活力のみなぎるパワースポットです。天命反転地、各県にひとつ欲しい……。
元正天皇が養老の滝を訪問、その水に触れると肌がスベスベ、疲れは取れ、白髪は黒く、乏しい髪もフサフサになったとのこと。頭からたっぷり浴びたいですね!
感動した天皇は、霊亀から養老へ元号を改めました。
その後、説話集で親孝行の話として語られるようになり、薬の水から酒という設定になります。
中国にも、皇帝の枕を跨いで流刑となった少年が、ありがたいお経を書きつけた菊の葉から滴る露を飲んで不老不死になる話が伝わります。
こちらは「枕慈童」「菊慈童」「彭祖(ほうそ)」という能の演目の元となっています。
それから、能の基本的な流れについて解説がありました。
登場人物はシテ(主役)、ワキ(脇役)、ツレ(シテやワキのお連れさま)などがいて、シテは前後で変わることが多いそう。「養老」では、前半に天皇の勅使と地元の父子、後半に山神が登場しますが、前半のシテはお父さん、後半のシテは山神です。
セリフには和歌や古典の文句が出てくることが多いそうです。
狂言 船渡聟 (ふなわたしむこ)
最初に婿入り先の舅と太郎冠者(従者のこと)が「今日は婿がうちにやって来る」と話した後、上手(かみて/演者からみて左側)に座ります。場面が変わっても、再び登場するまで端で待機するんですね。
続いて船頭と婿が登場して、川を渡ります。船頭は「寒くて敵わんから、酒を飲んで体を温めたい」と婿に要求しますが、頑なに断られます。
すると、「寒くて船が漕げぬ〜!」とストライキ。仕方なく一杯差し出すと「一杯じゃ味がわからない」と二杯目を要求。三杯目は婿にも酒を勧め、気付けばすっかり樽が空っぽに。
急に寒がる船頭と、何かと理由をつけて毎回並々と酒を注ぐふたりがおかしくて、思わず笑ってしまいました。時代を問わない笑いのツボですね!
家に到着した婿は、酒樽を何とか開けさせまいと言い訳します。ですが、一緒に飲もうと、舅は太郎冠者に準備を言いつけます。
「酒樽が空です!ほらこの通り〜」ゴロゴロゴロッと、舅に向かって樽を転がす太郎冠者。そこまでせんでも(笑)
婿は許しを乞いながら走り去ります。
数百年も昔のネタでも、こんなに笑えるのかと驚きました。
前座や前説の如く会場を温め、休憩を挟んで次の演目「養老」に移ります。
能 養老 (ようろう)
はじめに
舞台が始まると、黒い装束の人たちが配置につきます。
上手に複数座っているのは、地謡(じうたい)。セリフではなく地の文を謡う係で、コーラス隊のようなものでしょうか。中央後ろ側には、笛や鼓、太鼓の演奏者が座ります。言わば伴奏です。
彼らは出番のないとき、袴の脇に開いている三角の隙間に手を入れていました。手がモジモジ動いていると鑑賞の妨げになるので見えないように、ということでしょうか。あの隙間、そういった使い方もするのか。
一番後ろの壁際に控えているのは後見(こうけん)で、舞台の監督役。小道具を受け取るといった黒子役もしますが、シテと同格かそれ以上の演者が勤め、演者が倒れるなど不足の事態には代わりに舞うのだそう。
見習いの人かと思いましたが、一番の大御所でした。
前半
勅使と従者が登場、養老の滝の調査をすることになった事の次第を歌います。
従者の出番はここだけなので、そのあとは仕舞いまで座って待機です。
微塵も動かない!
すると、親子が下手(しもて/演者からみて右側)から登場し、勅使からの質問に答えます。
橋掛かり(下手にある花道の上でセリフを掛け合う)といった空間の使い方もされていました。花道は通路ではなく、通路を表現する形状の舞台なんですね。
間狂言(あいきょうげん)
前半と後半の間には、アイ(能の演目内で狂言師が勤める役)が演じる短いシーンが挟まれ、「養老」では、里人が養老の水を飲んで若返る場面が入ります。
動きの控えめだった里人が、水を飲むと付け髭が取れ、動きも大きくなりました。
間狂言を挟むことで、薬の水の効能を端的に説明することができるのですね。
後半
山神が舞い、天下泰平の世を祝福します。
山神は面と長髪のカツラをつけ、袖も長く、演者の身体を感じられる部分は足元のみ。貫禄のある演者が隙もなく舞う様子は、人間ではない者のように感じられました。まさに山神!
(本当は、中腰で歩き回るのでASIMOみたいだなと思いました)
山神は足を踏み鳴らし、袖を大きく振り回し、舞台の上を動き回ります。演奏も激しくなり、ここ一番の盛り上がりを見せます。
(余談)
本演目ではシテである老人(父)と山神だけが面をしているのですが、能舞台では全員が面をつけると思っていたので、演者が出て来るたびに「面かな?いや素顔かな?」とチェックしていました。
袴はお尻を盛り上げたバッスルスタイル、裾も折紙のように平面的です。役を演じる方はみなさん同様だったので、舞台上で人物のシルエットが際立つようにつくられているのかもしれません。
クジラの髭か厚紙でも入っているのでしょうか、気になる。
様式美の極み
冒頭の解説に「能はどうしても観る側が想像しないと楽しめない部分がある」とありました。それは能が、極限まで洗練された様式美を味わう方向に進化していったからではないでしょうか。
能舞台にセットが組まれることはありませんし、衣装や小道具も歌舞伎ほど装飾的ではありません。
演技も、顔の表情や身振り手振りというよりは、歩く、顔を向けるといった最低限の動きのみです。個性を表に出すのではなく、忠実に役を演じているようでした。
そうした抑制的な構造は、むしろ鑑賞者の豊かな想像力を掻き立てます。そして、鑑賞者の脳内で状況を補完することで、霊的な存在が眼前に現れるというファンタジーをリアルに感じさせるのかもしれません。
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