再会と 今 始まりを。
人生における挑戦っていろいろあるけど、自分にとっての挑戦は韓国語関連であることがほとんどやなぁと思った、そんなお話。
姉妹校への交換留学
①きっかけ
以前他の記事でも話したかも知れないが、私は大学入学後から韓国語の勉強を始めた。
私の学科では必須言語を英語・中国語・韓国語から選択できて、何も考えず英語を選択するつもりやったけど、当時のゼミの教授がこう言った。
ほぉ、と思った。
そうか、それならお母さんがちょうど韓国語勉強し始めてるし、でも習いに行くんじゃなくて独学やし・・・あ、やったら大学で学んだことを家帰ってお母さんに伝えたら、お母さんは韓国語勉強できる、うちは単位ゲットできる。一石二鳥では???
と、韓国語を選択したのが2015年4月。
韓国語を選択した学生はちょっとしかいなかった。
韓国アイドルが好きな女子2人、消去法で選んだ男子1人、お母さんのために選択した私、あと数人いたようないなかったような。
正直言うと、この中でわたしは一番できた。
元々記憶力がよかったのもあって、ハングルはすぐ覚えたし(なんなら入学前に予習してある程度覚えていった)、単語もすぐ覚えた。
テストもそこそこ良かった。
まわりの友達があんまり理解できていない部分が合ったらそれを教えていて「先生なったらいいやん!」と先生にも友達にも言われた。
みるみるうちに伸びていくわたしの鼻・・・
こんな伸びきったわたしの鼻を折ってくれたのが、バイト帰りにバス停で出会った韓国人のご家族だった。
韓国人!しかもバス迷ってる!これは韓国語で話しかけるしかない!!と思って、すぐに話しかけた。
「어디 가고 싶으세요?(どちらに行きたいんですか?)」
内心、はい決まったあざす。と思った。
実際、そのあとご家族がどこに行きたいか把握できたし、たまたま行き先がわたしと同じだったので「途中まで一緒に行きますよ!」という流れに。
乗り込んだバスの中で旦那さんがわたしに言った。
「ㅇㄹㅎㅎㅅㄱㄷㄴㅌㅇㅊㅠㅗㅓㅕㅅ??」
※このハングルの羅列に意味は全くありません。聞き取れなかったのを可視化?しようと思って、並べているだけです※
「네?(はい?)」
「아~, ㅇㄹㅎㅎㅅㄱㄷㄴㅌㅇㅊㅠㅗㅓㅕㅅ??」
※「아~」は「あ~、えっと」みたいなニュアンスで言っていてそれだけ聞き取れましたが以降は同様です・・・※
彼は韓国語を話している、なんかわたしに語り掛けている。
確かに韓国語で、話している。
が、全く分からない。知ってる単語をひとつも拾えない。
そしたらその旦那さんは苦笑いで、
「아~, 아니요, 괜찮아요.(あ~、いや、大丈夫です)」
この時の絶望感たるや。
自分はできるって思っていたのに、完全ネイティブの前ではこんなにできひんのか。こんなに聞き取れへんのか。単語も文法もあんなに覚えてんのに。
悔しかった。
と、同時に思った。
「わたしもネイティブになりたい。日本人ってわからんぐらい韓国語が上手になりたい。留学行きたい。」
とりあえず親に相談したが、親(というか父)からは反対された。
わざわざ何しに行くのか、と。
母は大学時代にカナダへ短期留学していたのもあってそこまで反対していなかったけど。
ここで過去のわたしに拍手を送りたい。
「あ、そうよね、うん、わかった。」
と父には言いながら、内心は真逆だった。
「あ、そうよね、うん、わかった(よし、OK。じゃあもう留学の話はしない。秘密裏に留学試験受けて、合格通知書を出してNOと言えなくしてやる!!!)」
数か月後、わたしは父に「合格したから」と、本当に合格通知書を見せることになった。
加えて、この留学では何を目標にするのか、この留学をどう過ごして将来にどう活かすのかを説明して、頭をさげた。まじで物理的に「お願いします」って、頭をさげた。
父は泣いていた。
こうして韓国交換留学が決まったのである。
②始まりの日
2017年2月24日。
両親、隣の家に住む姉的存在の友達、高校からの友達がお見送りに来てくれた。
必死に涙をこらえて空港へ向かい、一緒に留学に行く友達と合流、一緒に乗って、韓国・仁川空港に降り立った。
※両親はお見送りしたその足でパスポートの申請に行った※
※現在父は完全に韓国にハマり、ソウルのこの店行きたい!!ここみたい!!これ食べたい!!!が止まらない。韓国語の勉強も始めた※
仁川空港には、同じタイミング・同じ大学に留学する他地域の学生たちも集まり、みんなでバスに乗って寮へ向かった。
③語学堂生活の中で見つけた夢
大学からの交換留学という名前だが、実際は日本の大学は休学しなあかんかったし、単位互換制度もなかった(交換留学とは)
元々韓国語力向上が目的やったし、単位互換する科目もなかったから、1年間語学堂にだけ通った。
あ、韓国語に慣れるために外国人専用の韓国語の授業を初学期だけ取った。
語学堂は1日4時間×平日5日間×10週を1学期としていて、春夏秋冬の4学期制、わたしは春学期に中級の3級からスタートした。
(レベル分けテストで入門1級~高級6級に分けられる)
当初、京都に住んでる歴史好き、人に案内するのが好き、というところから将来は観光案内所みたいなところで働きたいと思っていた。
もしくは観光ブック?ことりっぷ的な本を編集したいとも思っていた。
5級に進級してしばらく経ったある日、「韓国外国語大学にKFL大学院が新設される」というツイートがたまたま流れてきた。
観光案内しか見てなかったわたしには新鮮な道に見えた。
当時のツイート。
観光案内関連ももちろん魅力的やけど、ひとつだけ懸念があった。
それは、英語を使う比率が韓国語よりも多くなってしまう事。
韓国語話せるとは言え、結局は英語がメインになる。
んー、悩ましい。
と、思っていたところだった。
韓国語講師なら、韓国語オンリーでずっと韓国語と向き合っていられる。
しかも元々自分の知識を他人のために使うことが好きで、自分の知識が誰かの役に立った時がめっちゃ嬉しかった。
自分にとっては何ともないことでも、他の人からすれば有益な情報なんやなぁと。
でも当時は留学帰国後大学3年から再スタートのときだったので、まずは大学を卒業する、もし卒業する時もその夢があれば、、、と、一番上のツイートにさかのぼる。
大学卒業、コロナ禍突入。
①韓国語講師になりたい、けど
留学だなんてそんな雰囲気じゃなかった。
留学はおろか「外出」が悪だった2020年。
大学の卒業式は中止、卒業証書も佐川急便のお兄さんから受け取った。
留学なんて行けるわけなかった。
でも、いつか絶対、コロナ終わったら行きたいと強く思ったから、あえて就活はせず、バイト先だった個人経営の皮膚科(+外科)クリニックで正社員として雇ってもらった。
緊急事態宣言が発令されて街が静まり返っても病院は通常営業だったが、内科ではないので院内感染もないし、コロナ病棟のような防護服も必要なかった。
コロナで外出できない、でも病院でずっと働けた。
その甲斐あって、お金はめっちゃ貯まったけど。
②韓国語教室での受付・・・?
1回目の緊急事態宣言が解除されて少しずつ緩和されてきた6月頃、とある韓国語教室で受付業務の求人を見かけた。
当時の私は「今の自分の実力で韓国語講師なんて勤まるわけがない。やるならちゃんと勉強して試験を受けて教員資格取ってから教えるべき」とそれはそれは強く思っていたので、先生じゃなくて受付として学院に関わりたいと、そこへ履歴書を送った。
が、数日後、そこの副院長から
「今受付は満席なんです。TOPIKも6級お持ちとの事なので・・・講師としてエントリーしませんか?」
と連絡がきた。
ふぁ!?!?!?!?!?!?
今でも忘れない。
自室のベッドで電話を受け、めちゃ焦りながら「え、え、え?????」みたいな反応しかできず。
いろいろ考えた結果、
「では・・・講師として、エントリーします」
と返事した。
その1ヶ月後、講師として採用され、結果3年勤務することになる。
学院には本当に様々な人が韓国語を学びに来る。
趣味目的の人、試験目的の人、単身赴任が決まった人、それについていく奥さん、韓国系の人・・・。
同じ目的でも生徒さんによっても全く異なっていて、その都度教え方を変えていったんだが、これがまた面白い。
言い方が合っているか怪しいが、なんというか攻略していく感覚。
AさんはAという教え方で理解してくれた。
BさんはAというやりかたでやってみたけど合わず、Bというやり方で理解してくれた。
CさんはまさかのAで理解してくれて、DさんはAでもBでもCでもなく・・・まわりまわってGで理解してた。
こういう攻略法を見つけた時、それはつまり生徒さんが理解できた時。
嬉しさたるや、他にない。
始まりに戻ってきた
でもこれらは、すべて自分が実際に教えながら身に着けたスキルであって、理論的な部分は全く知らない。
もっと効率的に教えるには?
もっと効果的に教えるには??
日本人のための韓国語教育とは???
それを見つけるため、今、大学院に通っている。
1年間の交換留学で来た大学に、今度は韓国語教育を専攻する大学院生として戻ってきた。
もしあの日、韓国語を選ばなかったら。
もしあの日、バス停でご家族と出会わなかったら。
もしあの日、留学に挑戦しなかったら。
もしあの日、「受付じゃないなら結構です」と言っていたら。
韓国語を選んだから、バス停でご家族と話せて
韓国語が少し話せたから、理解できない悔しさを知って
悔しさを知ったから、上手になりたくて留学を決意して
その思いが強かったから、反対されても交換留学勝ち取って
毎日韓国語に向き合ったから、あのツイートも流れてくれて(?)
そのツイートをみて、韓国語教育に携わりたいという夢を見つけた。
1つでも欠けてたら今の環境にはいれてないやろうし、全く違う未来が待っていたのかも。
交換留学ではたくさん病んだし、泣いたし、怒ったし、今もしんどいことたくさんあるけど、過去の自分がいて今の自分がいる。
本当に、 #挑戦してよかった 。
今の目標は、博士課程に進学してもっと研究する。
そして、日本の大学で教員になり、韓国語教育にもっと関わっていく。
いつになるかわからへんけど、振り返った時に #挑戦してよかった って思えるように、今を生きていく。
hrk.