効率について注意すべきこと
ご自由にお書きください。書く人を励ましくれる素晴らしいメッセージですね。私のようなアマチュアが張り切っちゃう原因っすわ。
電子レンジというあだ名をつけられたe235系。蔑称的なニュアンスがありますが、私はこのあだ名とe235系両方とも大好きですね。愛情込めて電子レンジと呼びたい(笑)。
効率よくやりたい
私たちはなんでも効率よくやりたいものです。なぜなら時間がかぎられているから、つまり資源が希少で制約を受けていると感じているから。そうなると、時間1単位に対してどれぐらい良いパフォーマンスを上げたかが重要になるわけですね。つまり、時間という希少な資源は、有効な用途に振り向けられなければならない。そして人以上に効率性を高めて、周りの人を出し抜こうと。
今回は、あくまで効率を求めることそのものの是非は問わず、あえて効率を求めるのが我々の性質だという前提(仮定?)を置きます。そのうえで注意すべきことを述べたいと思います。
効率のためのコストがある
何の知識もなく、効率を達成することはできません。どのようにすれば効率的なのかというのは、何も経験していない私たちは最初からはわからない。だからこそ、すでにいろいろなことを経験した他者が提供するネットのコンテンツ等を見て、どのようにすれば効率的なのか学習したうえで、私たちは作業に取り掛かるのです。いわゆる勉強法の勉強というところです。
先ほど時間は限られた希少な資源だと話しました。これを前提にすると、勉強法の勉強にも時間を使っている。すなわち、勉強法の勉強にも貴重な資源を消費しているということを踏まえる必要があります。
効率のためのコストを踏まえる。
勉強法の勉強に費やされた時間は、別の使い方をすれば本来の作業を進めることに使うことができた。つまり、勉強法の勉強をする以上は、それをしなかったとき以上の効率性を達成する必要がある。効率性のために投資を行った場合の最終的なパフォーマンスは、効率性に投資を行わずに最初から資源を投入した場合のパフォーマンスを上回らなければならない。これを以下に式にしてみました。
(改善された効率性)×(本来の時間ー勉強法の勉強の時間)>(もとの効率性)×(本来の時間)
R;改善された効率性
T;本来の時間
t;勉強法の勉強にかかる時間
U;もとの効率性。で文字置きすれば
R(T-t)>UT...①
勉強法の勉強の是非
効率性を上げるためにコストを投入することを検討する際には、以下2つの点で注意する必要があります。
一つ目は、効率性のためのコストを大きくしすぎることがないか注意すべきだということ。勉強法の勉強をしまくっても、本来勉強しなければ成績は上がらない。①式をt(勉強法の勉強に費やす時間)について変形すれば、
t<(R-U)T/R=T-UT/Rとなります。この式は、tが大きすぎてはならないことを示しています。
二つ目は、コストに見合った効率性が実際に達成されなければならないことです。効率性のために投資をした分を取り返すだけのパフォーマンスを出さなければならないのです。①式をRについて変形すれば、
R>UT/(T-t)となります(T-t>0)。Rは一定値以上でなければならないのです。
サステナビリティやSDGsの文脈で
同じような問題は、環境負荷を軽減するという取り組みにも見出されます。効率よく、という主題とは離れるかもしれませんが、GHG(温室効果ガス)を排出するかしないかを重要指標に据えれば、同じような議論をすることができます。すなわち、効率を上げることに気を奪われて効率を上げることだけに熱心になってしまうという危険があると述べましたが、サステナブルの分野ではGHGを出さないように努力すればするほどかえってGHGを出す危険がありえるのではないかと、そういう疑念を持っています。
終わりに。
今回は効率性に関し、効率を上げるためのコストを考慮しなければ限られた資源に対してできるだけ多くのアウトプットを出すということがかえって難しくなる危険があることを議論しました。今回の記事の内容を踏まえ、別の記事で電気自動車EVの普及について議論をしたいと思っています。
お読みいただきありがとうございました。
e3系!!!(は?)