安らかに、マリア
アーセナル公式が、マリアさんに捧げる記事を出してくれたので、全訳してみました。眠れずに夜中に訳したので、納品レベルではありませんが。アーセナルの歌姫、私のかけがえのない友人です。
レジェンドサポーター、マリア・ペトリさんが他界したという訃報に際し、クラブは深い悲しみに暮れています。
アーセナルFCの選手、スタッフ、サポーター仲間みんなにとって、マリアさんがどんな存在だったかを言葉で表すのは、とても難しいことです。1人のサポーターがいなくなることで、「試合は今までと違ったものになる」などということはめったにありません。しかしマリアさんの存在、伝説的なあの「カモン・ユー・ガナーズ!」、そして何十年もの間に自作した数多くのチャントがないことは、エミレーツ・スタジアムやメドウ・パークでの試合、そして私たちがプレーするどのアウェーゲームでも不在を感じさせることでしょう。
マリアさんがアーセナルを追い始めたのはわずか12歳だった1950年で、生涯を通して熱心なサポーターであり続けました。ファーストチーム、リザーブ、ユースチームの試合に通い、1987年にアーセナル・レディースが創設されると大歓迎し、ボーラムウッドを本拠地とするレディースの代名詞のようになりました。
マリアさんとの長年の思い出はたくさんあります。女子のカップ戦優勝をチームと祝ったこと、パンデミック中にレイ・パーラーがFAカップを持って訪れたこと、ベス・ミードのチャントを「ミード」本人と一緒に歌ったこと…。でも、誰と一緒でもアーセナルのどのチームを応援している時でも、写真のマリアさんはいつもすてきな笑顔に輝いていました。そして彼女のポジティブさや茶目っ気に元気をもらい、周りの人もつい笑顔になったものです。
教師だったマリアさんは、サポーターになった当初は、女性ファンであるためにネガティブな言動を受けたこともありましたが、試合では元気に声援を送ると決めていました。また、どのような局面でも徹底してポジティブでした。サポーターの皆さんも、唯一無二のサポーターだったマリアさんへの追悼として、その前向きさと心意気を自分のものにしてくれたらと思います。
ミケル・アルテタは、アメリカのトレーニングキャンプで、金曜日にこう語っています。「訃報を聞いて、全員がとても悲しんでいます。彼女は、私たちのサポーターやコミュニティーに欠かせない存在でした。アーセナルの価値観やこのフットボールクラブのフィーリングをああいう風に伝えるのは、見たことがありません。彼女はどこにでも毎週、姿を現しました。寂しくなります。とても。」
マリアさんはよく「アーセナルが私の家族」と言っていましたが、今日その家族は打ちひしがれています。彼女はこうも言っていました。「自分が死んだらすごく悲しいわね。もうアーセナルが見られないんだから。」
そう、アーセナルFCの全員が、あなたの特別なサポートを受けられなくなることが、なかなか信じられずにいます。マリア、あなたは百万人に1人しかいない貴重な人でした。私たちがあなたを忘れることは、けっしてありません。
どうぞ安らかに。
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