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上田知華はアイドルだった?

上田知華+KARYOBINがデビューした時、ミュージカル・ディレクターは樋口康雄でした。樋口康雄がこのピアノ五重奏楽団の構想を持ってプロジェクトを始めたのだと思います。上田知華はヤマハのポプコンに触発されて作曲を始めバンドをやっていてこのプロジェクトにピアノを弾くボーカルとして採用され、デビューしました。しかし作る側と違い売る側はどう思っていたのか、デビュー直後の上田知華はプレイファイブと言う大型グラフ雑誌を飾っています。当時ですと榊原郁恵、岩崎宏美などアイドルが載る雑誌でした。

上田知華+KARYOBIN最初のLPと[2」はミュージカル・ディレクター樋口康雄で編曲も全てしています。(それぞれ1曲ずつ上田知華有り)内容的にもアイドル路線とは程遠いのですが、その後の雑誌インタビュー等も上田知華個人で出ることが多く、アイドル路線的インタビューを受けることも多かったです。樋口康雄は1979年にニューヨークカットと言う意欲的なLPを出しており、それに収録されているWarm Air In The Ellipsoid Of Revolutionという曲が楽器を変えて[2」に回転楕円体の中の暖気と言うインストルメンタル曲として収録されています。再び言えば内容的にはアイドル路線とは程遠いのです。

上田知華+KARYOBIN[3」でディレクターがすぎやまこういちとなり、上田知華が書き下ろした曲が多くなり(最初と[2」でも初期の作曲作品は有りましたが)その頃全盛だったシティポップ路線に舵を切り始めます。その中で扇風機のCMに使われたパープル・モンスーンがヒットするので以降[4」では作曲・編曲全て上田知華となりました。そのまま1983年までライブではベースやドラムを入れる事も有るようになり、KARYOBINは消滅し1984年に個人でクラシェストをパイオニアを離れビクターから出すのです。

さて、考察はあまり詳しくないのでこれくらいにして、私のバイオリンはと言いますと、リズムが取れないので弓の上下がうまく行かないと言う事になっております。これからの課題としてはしっかり息遣いをしてリズムを取り、譜面もある程度読めるようにならなければなりません。なんせ目標はKARYOBINですからね。先生はシラデックのような練習曲は置いといて曲を弾く中で覚えて行けば良いのではないかとおっしゃいます。ともあれ日々努力です。

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