ありえってぃ

うつ病です。今は自分の半生を書きつつ、気持ちの整理をつけているところです。このnoteは私の恥部。

ありえってぃ

うつ病です。今は自分の半生を書きつつ、気持ちの整理をつけているところです。このnoteは私の恥部。

最近の記事

それから…

1年ほど経ったか。 私は資格取得だったか何だったか忘れたが、必要があって戸籍謄本?など色々な書類を取得した。 そこにはズラズラと私という人間の経歴とよべるものが書いてあった。 親が結婚 私が生まれる 親が離婚 親が再婚 私の苗字が代わる ここで初めて、親の結婚生活がたった8年だったことを知った。 そして、もう一つ。 親は、私が大嫌いなデキ婚ってやつだった。 薄々わかってたけど、私ができて仕方なく結婚したんだなあの人たち。だからあんなにうまくいかなかったんだ。 でも許せない

    • 母の病名

      突然だが、母の病名が判明した。 この頃から随分と時間が経ってしまった。 病名は、うつ病。 内科の医師から心療内科をすすめられ、そこでうつ病と診断。即入院をすすめられたが、断って帰ってきた。 母曰く、うつ病の原因はわからないとのこと。 この頃の私は、うつ病というものをよくわかっていなかった。少なくとも今よりは。 ただ人並み程度の知識で「休むことが仕事」「励ましはよくない」ということはわかっていたので、その通りにした。 それからというもの、母はとにかく一日中寝ていた。本人

      • まとめ。私たちの関係。

        書いていなかったかもしれない。 母と、おいたんと、おいたんの元嫁は同じ中学の同級生である。 私と妹は、 おいたんとおいたんの元嫁の子供2人とそれぞれ同級生である。 おいたんとおいたんの元嫁の子供の上の子(女)は私と友達(みなみちゃん) 下の子(男・けい)は妹と同級で、同じバレー部だった。 クソ狭い田舎町で、よく結婚したり再婚したり子供作ったりできたもんだと思う。 みーーーーんな知ってるよ。あんたらのことも、わたしらのことも。 どこに行っても「ああ、あそこの子」って思わ

        • 父方の祖母の死

          タイトルどおり。 田舎町なので、祖母の死についてはすぐに私の耳に入った。 死亡当日。通夜に行くか行くまいか迷った。 行けばきっと父に会うことになる。 朝起きると蹴られて壊れていたファンヒーター 母を困らせて追い詰めた父 小学生の頃私の胸を触った父 いやだ。絶対に会いたくない。嫌いというかもはや怖い。恐怖。 会えば連れ去られるかもしれない。二度と母に会えないかもしれない。 (今思えば、あの男が親の葬式に出るためにわざわざこの町に帰ってくることはないのだろうが) 妹に相談

          父方の祖母

          病室の扉ははじめから空いていた。 失礼します、と言って入ったけど誰からも返事はなかった。 ネームプレートは左奥のベッドを示していたので、左奥へ向かった。 カーテンは空いていた。 ベッドには、こわばった顔をした老婆が仰向けになって寝ていた。 口を真一文字に結んでいる。 頭は真っ白の白髪。 片方の手は拘縮して、体幹にピッタリとくっついている。 …誰? そう思った。 しかし妹は急に大きな声で「おばあちゃん!」と言った。 妹「おばあちゃん!私だよ!わかる!?」 老婆は目だけ

          青天の霹靂

          20歳になった。 ある日、私用にて、とある病院に行った。 そこで私は迷子になってしまい、病棟を彷徨った。 病棟の廊下を歩いていると、病室がずらっと並んでおり、患者のネームプレートがみえる。 そこでふと、4人部屋の病室の入り口にあったネームプレートを見た。 祖母の名だった。 見舞客を装って中に入ることは容易かったが、やはりそれは憚られた。 勝手に病室に入って怒られたら?そもそも別人だったら? 私は一旦その場を離れた。 用事を済ませ帰宅した。だが、頭の中はあのネームプ

          会えなくなった父方の祖母

          父と会わなくなって何年経っただろうか。 しかし父方の祖母とは高校生の頃に一度会った。 母「おばあちゃんが、あんたに会いたいって言ってる。行ってあげたら?」 父と会わなくなったことで自然に父方の祖母とも会わなくなっていたが、元々私はこの祖母が大好きだった。 母方の祖母は真面目を絵に描いたような堅い人だったが、父方の祖母は明るく楽しい人だった。 スナックをやっていて、おしゃべり上手。マニュアル車を運転するし、散歩に行くとただの信号待ちの間にも踊りを教えてくれたりして私や妹を楽

          会えなくなった父方の祖母

          母の異変

          母の体調がなんとなく良くない日が続いた。 といっても母は常に体調が悪いような人なので私もさほど気にしていなかった。 この時私は19歳。母は40歳。生理がきたりこなかったり、ホットフラッシュなどといった更年期障害に悩まされていた。 ある朝私が仕事に行く準備をしていると、母がトイレから私を読んだ。 母「血が出た…」 トイレが真っ赤に染まっている。肛門からの出血らしい。 これは明らかに何かの病気だ…とおもったが、その時私はどうしても仕事に行かねばならず、母を横にさせ掛け物をか

          叔父の死

          専門学校に通っている時、母の叔父が死んだ。 孤独死だったと聞いた。 といっても、私はその人に会ったことはない。存在自体ほとんど知らない。 その人は私にとって祖母の弟にあたるのだが、祖母は8人兄弟。私はその7人の誰にも会ったことはない。 しかし、(こちらから聞いたわけではないが)母がぽつりと叔父について話した。 優しい人だった。あんなに優しい人が孤独死なんて。 この出来事をきっかけに母は時々「孤独死かぁ」「何があったんだろ」と呟くようになった。 実際に孤独死現場に行った

          専門学校へ

          専門学校に合格した。 入学準備をすすめる。 入学金は10万(やすっ)。テキスト代も数万。 これを母は「仕方ないからそれ「は」払ってやるわ」 と言っていた。 当然のように出してもらうつもりでもなかったが、感謝の気持ちがゼロになった。 いや私まだ18なんやけど。そんな金持ってるわけないやん。日々の携帯代稼ぐので精一杯なんやが。 そして問題は移動手段。 家→職場→学校→職場→家。 講義の時間も考えればタイトなスケジュールだし、そもそも電車とかバスとか本数がない。 というかバス

          おまけ。おいたんのこと。

          母のようにはならない、と散々言ってきたが、おいたんのことはどう思っていたか。 おいたんは、連れ子である私たちのために朝も昼も夜も働いた。 財布しか入らない小さいクタクタのかばんを持って、外が暗いうちから出かけて、朝暗いうちに帰ってくる。 私たちがみんな寝てるのに、こっそり出て行って仕事をして帰ってくる。 夏はもちろん、極寒の真冬も。 九州は暖かいと思われているし実際暖かいのだろうが、雪が降るほどには寒い。 そんな姿を見ていたら、邪険にもできなくなるのが子供心。 そこは尊

          おまけ。おいたんのこと。

          高3・進路

          (今回からタイトル変えました。) 進路のことなど高3になるまで全く考えていなかった。 そんな時ある人物に出会い、私は地元の専門学校の受験を決める。 親からは反対されなかった。 それもそのはず。学費はクソ安いし、そのクソ安い学費すらも私が払うのだから。 午前中は働いて、午後は勉強。 夕方から夜までまた働いて、帰宅して勉強。 というスケジュールになる予定。 何か大きな野望があったわけではないが、学校さえ出れば「ちゃんとした大人」になれると思った。信じて疑わなかった。 ちゃん

          おまけ(おいたんの呼び方)

          (この話は親同士が再婚した後の話だが、正確にいつのことだったかは覚えていない。妹2が赤ちゃんの頃だったとは思う。) おいたんのことはずっと「おいたん」と呼んでいた。 何度も言うが妹はザ妹キャラなので、早々に「パパ」と呼んでいたが、私は頑なにわざと「おいたん」と呼んでいた。 あんなクソみたいな、乳触ってきて気持ち悪くてすぐキレてすぐ物を壊す人でも、私にとっての父親は実の父であるあの人だけなのだ。 だからおいたんのことを「お父さん」とは呼びたくなかった。 あのような父に義理立て

          おまけ(おいたんの呼び方)

          半生(〜高2・父の暴力)

          ある日、母と喧嘩した。 きっかけは忘れたが、「もうこんなクソみたいな家出てってやるわ!」みたいなことを言った気がする。 母も「出て行けば?笑」「あれ、まだいたの?笑」などと煽るもんだから、こっちもだいぶ頭に血が上った。 しかし、何日家出するかわからないから風呂に入ってから出て行くか、などと妙なところが冷静だった。 風呂に入って頭を乾かさず髪の毛ビチャビチャで家出した。 出ていけと言うくせに本当に出ていくと大概怒られるので、こっそり出て行った。 後から聞いた話だと、やはり出て

          半生(〜高2・父の暴力)

          半生(おまけ・唯一嬉しかったこと)

          親が再婚?してからというもの、私はわかりにくい形でグレた。グレたというか、順調にひん曲がった。 親が気に入らないことをするとすぐ殴られるので、わかりやすく髪を染めたりタバコを吸ったりはしなかった。 ただ、警察のお世話になるようなことはした。 (ちなみに母の殴り方は、いきなり殴るか、だいたいこの流れ↓ 母「歯を食いしばりなさい」 私「やだ、叩かれるから」 母「叩かないよ、ほんとに(ニッコリ)」 私「嘘。いっつもそうやって嘘ついて叩k パァン!🤚 みたいな。クソ性格悪いですね。

          半生(おまけ・唯一嬉しかったこと)

          半生(中3・おいたん覚醒)

          2人目の妹が生まれた。妹はザ赤ちゃんって感じでもなく、基本的には黙って寝てるタイプの子だった。 育てやすい子ってやつ。 大きな病気もしないし、急に高熱を出すこともなかった。 この頃の母の口癖は 「私は産むだけ!あとはあんたたちで育てるのよ〜」 みんなで子育てしようって言いたいのかもしれないが、このセリフがとてつもなく癪に触った。 なんで親であるアンタが育てないできょうだいである私が面倒見なきゃいけないの。 そんなんだから私の親すら務まってないんじゃん。 なんて。 我が家は

          半生(中3・おいたん覚醒)