物書いてるときめちゃくちゃ幸せ

どうも新井〇〇です。

noteのアカウントを開設してからまだ数時間なのですが、文章を書いているときめちゃくちゃ多幸な感覚があることに気が付きました。

僕は物を書くのが苦手です。

正確な表現で表すならば、「伝えたいことを伝える」ことが苦手です。

更に正確な表現をするなら、「伝えたいこと」なんてありません。「ああ、そうなんだねぇ」ぐらいに見てもらいたい。

なので、この文章もこの行と最後の行だと、全然関係ない話にワープしている可能性はかなり高い。できるだけそうならないようには気を付けてるんですけど。

なんで僕は文章を書いているとき、ちょっと幸せなんでしょうか。

思考の整理が進むからでしょうか。自分は本当はこう思っていたんだ!みたいなものが画面上に湧き出てくるのが心地よいのかもしれません。

この感覚に似たようなものは昔からあったことを、今ふと思い出しました。小学校4年生ごろ、だったと記憶しています。

僕の小学校はちょうど3クラスずつだった生徒が4クラスに増えた時期でした。徐々に教室が足りなくなっていった関係で、4年生になった頃の1年間だけ、プレハブ校舎と呼ばれる仮設の校舎で授業を受けていました。(妙に印象に残っていて、いまでもたまに夢に出てくる)

当時はそれまでに使っていた教室と造りが違っていたため、稚拙な造りだったにもかかわらず、新鮮でよさを感じていた記憶があります。

そのころ僕は作文用紙に、記憶によれば休み時間も授業時間も関わらず、ず~っと、その当時パソコンで遊んでいたフリーゲームをノベライズしていました。そんな活動ある?あるか。

登場人物のセリフが少なかったのでそれを保管したり、ダンジョンの攻略に妄想を重ねて、文字に起こしてました。30枚ぐらい書いたあたりで飽きてやめた気がします。当時からパソコンは触っていましたが、なぜか作文用紙でした。作文は作文用紙に、みたいな固定観念があったのでしょう。

思い返すと「文字を書く」ということ自体が好きだったんでしょうか。それとも、自分なりのジョークとか、観点とかを盛り込んだものが世の中に生まれること自体に喜びがあったのでしょうか。

別に作文用紙に書いたからといって、特にコンクールに応募したりしたことはありませんでしたし、見られる機会もほぼない、いわば「自己満」の作品を作っていたと思います。ちなみにその後、似たようなことをRPGツクール2000でも行います。

何かの間違いで誰かの目に触れるかもしれない、みたいな感じがよかったのかもしれないですね。パソコンで書かなかったのはパソコンのメモ帳に書いても、だれの目にも映らないからかも。当時の僕はインターネットについてさっさと勉強したまえ。

やっぱり話がずれてきたな。話ちょっと無理に戻すと、小学生当時の自分と今の自分はどうやら、少し創作に対する哲学が違うようだ。

昔は「妄想を形にする。しかもほかの人には見せない(見せたくないわけじゃない、むしろ本来は見られたい)」だったが、今は「思考を形にする。基本は自分が書きたいものを書く。ほかの人がそれを見てなんか思ってくれたら嬉しい」みたいな感じか。

ちょっと違ってはきているものの、昔と今の考え方に共通点を見つけた。

どうも僕は創作を行うとき「人に見られる」ということを前提に置いていない。自己満足が最初に来ているような気がする。

しかしそれは、ここまでの話によれば至って自然だ。だって僕は「物を書く」こと、そのものに対して心地よさを感じているし、自分を納得させる材料として、自分の作品を消化しているようだから。

これは問題なんだろうか。なんか全然問題ない気がする。

少し昔の自分であれば、「それでは社会の役に立たない」であったりとか「それでは金にならない」みたいなことを考えていた気がするのだが。

だめだ。やっぱり全然問題ない気がする。

全ての前提に、自分が幸せであることが立っているべきだ。これについて理由の説明はしない。故にこの部分は論破しようとしてくれてもかまわない。別に意見変わらないだろうから。

少し前の自分には、自分が幸せであるべきだと主張することが赦されるかどうかについて、絶対の自信が存在しなかったのだろう。だから役に立たないとか金にならないとか理由をこねくりまわして、不幸のヒロインを気取っていたのだ。

今は何が変わったのだろう。赦されるかがどうでもよくなったのかな。それとも、意外とみんな赦してくれるってことに気が付いたのかな。微妙なところ。とにかく、あんまり気にならなくなった。

こうでなくてはいけないみたいな型に囚われなければ、こんなにも生きるのは楽なのか。

この文章を書いていくにつれて、自分の創作に対する思いがどんどん紐解かれているように感じる。改めてザっと文章を見返してみても、僕の心情が1行目と最後の行で、ちょっと変わっている。最後の行のほうが、ちょっとだけ晴れやかな気持ちだ。あと、言葉遣いがどんどん適当になっている。本心が表れてきている証拠かもしれない。

何度も公正を繰り返せば、みんなにもっと伝えられる文章になるだろう。だから、自分の思考がしっかり整理できたら、そういうこともしてみたいな。


そういう「実況文章」みたいなものだと思っていただければ。

「実況文章」だって。ちょっと面白いんじゃない?新ジャンルだったらいいな。

では、さよなら。

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