人っぽいな
心から祝福したいと願う後輩の結婚式に招待された。自分にとっては絶対ありえない奇跡で、こんなことが自分の人生で起きるのかと殊の外嬉しかった。招待してくれた後輩はもちろん、私以外に呼ばれた人たちがまた親しみを感じる人ばかりで、これもよかった。その環の中に入れてもらえて純粋に嬉しかった。
そんな中でふと思い出した言葉。
「私を会員にするようなクラブには入りたくない」
若い頃に観た映画「アニー・ホール」の中でウディ・アレンが言ってた言葉で(実際にはグルーチョ・マルクスの言葉らしい)、思えばずっと長い間この言葉の呪縛にとらわれていたんだなと気付かされた。
当時はこれこそまさに自分を表現するに相応しい言葉だと自虐的に共感したものだった。
随分と負の影響を与える言葉だが、こういうのを座右の銘というのかもしれない。
「アニー・ホール」で知ったこの言葉が無意識のうちに心に刻み込まれ、人間関係を構築する際の行動原理となってことあるごとに発動されていた気がする。
そういう自己嫌悪、自己否定的なスタンスはまだ根強く自分の中に残っているし、別に嫌でもないのだけど(多分捻れた自己愛が混じっているから)、最近それが薄れてきたのか、どんどん人っぽい活動に手を染め始めていることに驚いてる。
人間的な活動というか、先輩の送別会を企画したり、昔なら絶対やらなかったようなことをやっている自分がいて、遅まきながらようやく人間以前の状態から脱し、人として生きようとし始めているような気がした。
いまさらかよと自分でも呆れる。しかもある種の諦観をもって。いったい自分を何だと思っていたんだろう。
自己愛と書いたけど、ようやく自分への見切りがついたのか?
いい意味で自分への執着が薄れることで、人は他者を自分の人生に包含していけるようになるのかもしれない。
成熟ってこういうことを言うのか?
心の蔵書にまた1作品追加。漫画だけど。
『僕の心のヤバイやつ』
萌え系のテイストでどうかな〜と思いつつ読んでいたがついに精神の砦が崩落。がっつり心をもってかれてしまった〜
二人の距離が少しずつ近づいていく描写が本当にさりげなくて神レベル。説明されないとわからない鈍感な私なんか、一回読んだだけでは変化に気づけなくて何回も読み返してしまう。
『君に届け』とか『ちはやふる』もそうだと思うけど「両片想い」というジャンルなのかな。最近流行ってるのかわからないけど好き。
陰キャの主人公がまさに「私を会員にするようなクラブには入りたくない」タイプ。自分の言動がキモくないかを常にメタ認知かけてモニタリングしてるところなんかリアルすぎる。
過去の失敗体験から生まれた無価値感を心の奥底に抱えながら、鎧をまとって生きてきた主人公が、一つの恋をきっかけに勇気を出して弱い自分をさらけ出して向き合っていく姿には心を打たれる。
それこそヴァルネラビリティとも通じるものがあるかも。
人は自分の弱さをさらけ出すリスクを冒すことではじめて他者とつながりあえるのだ。
あと陽キャのヒロインの行動が義理の娘そっくりで笑える。いっつもお菓子食べてたり、食べ終わったキャンディの包み紙がポッケから無限に出てきたり、いた場所が速攻ゴミで散らかってたり・・・漫画だとかわいいなあとほっこりするのに、リアルでされるとイライラしてしまうのがなんとももどかしい。