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渡海神社
夢で何かしらメッセージをもらうことがある。
渡海神社に足を踏み入れたのも、そんな夢から始まった。
青い空に青い海。
緑豊かな丘の上には、赤い鳥居が何本も並び立つ。
見たことのない風景だけれど、ただの夢のようには思えず、かといってどこかの場所を特定するには情報が少なすぎた。
ネットで探そうにも、日本に稲荷神社は数多ある。
赤い鳥居。
稲荷神社特有の朱色のそれは、伏見稲荷ほど圧倒的な数を誇るわけではなく、かと言って2~3あるだけでもない。
そこそこの数で存在感を見せつけていた。
「それは渡海神社よ」
私を奈良の天之石立神社へと向かわせた人が、今度は私を千葉にある渡海神社へと行かせようとする。
初めて聞く神社なのは天之石立神社と変わらない。
奈良に行くよりも千葉の方が近いからいいか。
安易にそんなことを考えて早朝の電車に乗り込んだ。
奈良よりは近い。
それは間違いないけれど、かなり電車に乗ることは同じだった。
うちから銚子駅に着くまでにかなり時間がかかり、さらにそこから単線の銚子電鉄に乗る。
終点の外川駅から歩いて約15分。
夢に出てきた渡海神社が木々の中にひっそりとあった。
「ここだ!!!」といった感動は皆無で、「え…ここ?」といった戸惑いが広がる。
今でこそネットで「渡海神社」と検索すれば、それなりに情報は出てくる。
でも当時(約10年前)はほとんど情報がなく、地図に海渡神社がポツンと記載されているくらいだった。
私の夢に出てきたのは、青い空に青い海。並びたつ赤の鳥居。
目の前に見えるのは、木々がうっそうと茂っている中にあるごく普通の神社。境内からは青い海なんて微塵も見えない。
期待しながら向かったせいか、予想を裏切られた落胆はかなりあった。
本当にここなのか…?
疑心暗鬼になりながら、鳥居をくぐりお社に近づくと、
いたのだ。
はっきりと何者かの存在をお社の前に感じた。
「猿田彦神?」
ふとそう思った。
根拠なんて何もない。ただそう感じただけ。
ふと右に目をやれば、赤い鳥居が目に入る。
夢で見たような大きな鳥居がいくつも並び立っているわけではない。
小さなお社の前に、自宅で祀るような小さな鳥居がいくつかあるだけ。
それでも、「ここなのだ」と思うには十分だった。
夢でみた景色と、目の前にある景色は全く別物だ。
それでも、やはりここなのだと感じるものがあった。
猿田彦神と思ったエネルギー体は、まだその場にいる。
私のことを認識しているのかいないのか、そんなことを思いながらただ向き合っていたら、私を取り巻く空気に圧がかかったような気がした。
次元が変わるというのだろうか。
金縛りとはまた違う。動こうと思えばいくらでも動くことができるからだ。
ただ、動こうとは思えず、ただなされるがままでいることを選んだ。
音が聞こえる。
そんな気がした。
お祭りのお囃子の音。
子供たちの喜ぶ声。
賑やかで明るい声が飛び交う。
楽しそうな人々の気配。
どこか寂しさを感じるこの神社のかつての姿だろうか。
賑やかさは一瞬で消え、私を取り巻いていた空気も、ただの空気へと戻る。
目の前にいた何者かの気配はいなくなっていた。
静寂の中、参拝をする。
なぜ私がこの神社に来たのか、いまいちわからないまま、境内の神社をひとつひとつお参りする。
神社にお参りするときは、自分がどこから来たのかと、自分の名前をちゃんと伝えた方が良いと聞いたのだが、そんなことはどうでも良かった。
自分という存在が今この場でなにか意味をもつとは思えなかった。
私はただの誰でもない。
ただ祈るだけ。
祈りといっても、世界平和を願うとかではなく、ただこの神社のエネルギーに自分を合わせるだけ。
そこに言葉はいらなかった。
どれだけの時間、その場にいたのかは覚えていない。
ずいぶんと居たようで、実は数分だったのかもしれない。
この神社の御祭神が猿田彦神だと知ったのは、この日からずいぶんと経ってからのことだった。