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自分の居場所だと思える場所で「生きた時間」を過ごすこと

前の会社をやめてしまってから、5年とちょっと。さらには、日本を飛び出してスウェーデンにきてから、なんと4年半くらいがたってしまったそうな。

え、いつの間にそんなに経ったん?( ˙꒳​˙ )キョトン
そのときそのときの時の流れはゆっくりに感じてて、濃度もすごかったのに。5年という数字に驚き。

新しい環境での暮らしって目印の少ない森の中を彷徨うような感じ・・・

スウェーデンに来たばかりのころは、自分の不自由な英語のおかげでミスコミュニケーションは日常茶飯事だった。そもそも、スウェーデン語はありがとう(tack)、ちょっとごめん(ursäkta)、こんにちは(hej!)、の3つ以外はしゃべれなかった。とっさの場面では覚えたはずのフレーズが思い出せなくて、どもってしまう。その程度のレベル。

英語での会話は、8割理解できたら100点ハナマル。ふだんは知ってる単語だらけでも、ちょっとした発音の違いや会話の速度に飲み込まれて、話の筋を見失ってしまう。ちょっと気を抜いたらすぐに迷子、みたいなレベル。バス停でふと耳にした、聞き慣れたアメリカ英語に安心すら覚えると同時に、英語って奥が深いんだなぁ、なんて。自分が知っていた英語の世界の狭さを突きつけられた。

そんでもってその上で、生まれ育った国ではない場所に住むということ。それって思った以上にちょっと大変で。なにからなにまでネットで調べたり、人に尋ねたりしないとわからず。たとえば、歯医者の予約すらうまくとれなくて。勝手のわからない国って大変だなぁ~なんて。しみじーみ感じて空を見上げちゃうようなことが多かったかもしれません。

でも!それでも!いろんなことに慣れてきて、ストレスも減ってきて。ここ数年は、スウェーデンで暮らす毎日がだーいぶ心地良くなってきた、という実感があるかもです。( ᐢ˙꒳​˙ᐢ )

スウェーデンに来たばかりのころは、前職から、そして、日本社会から尻尾を巻いて逃げ出してきてしまったようなそんな気がしていて。もやもやとした気持ちと、ちょっとした罪悪感があったように思います。(親にあれだけ大枚叩いて大学行かせてもらってせっかく大手で就職したのに、全部捨てて来てしまったような感覚。知識は積み上げていけるしキャリアは繋いでいけるのに、なにかを自らの手で断ち切ってしまったような罪悪感。)

しかし、日本でバリキャリ女子というカテゴリに分類されて。大企業、総合職、人生=仕事な日々のスケジュールに追われていて。大手で働く人が、営業職の人が、みんながみんな、そうなわけではないのだろうけど。結果として、完全にカッピカピの干物だったかも( ˙꒳​˙ᐢ )オイ

忙しいとはいえ、安定した収入、優しい同僚に恵まれた、それなりに居心地のいい毎日。たしかに激務だったことは間違いなくて、体調も崩しがちだったのだけれど、良いところもたくさんあったのは事実。どこか厳しいけれどあたたかい。昭和な空気はすごくて体育会系だし上下関係も厳しかったけれど、情に厚い。そんな会社の人たちがだいすきだった。

そして、ハウスメーカーの営業という、高いものを扱うB to Cだからこそ、毎日たくさんの人に出会った。いろんな仕事、いろんな業界で活躍するお客様、そして多様な家族構成で生きるお客様から、社会人として、そして人としての大切なことをたーくさん教わった。

今でもファーストキャリアで学んだ教訓は生きていて、ふとした瞬間に甦ってきて、歪みかけた考えを正してくれたり、心の支えになってくれたりするので、感謝は尽きません。あの人たちと一生懸命に働いてよかった。あの人たちに出逢って、一生に一度のお買い物のお手伝いをすることができてよかった。

しかし、果たしてあのままの日々を続けていて本当に幸せだったのだろうか・・・?

死ぬ前に、今のうちに、できるうちに。必ずやっておきたいことってなんだろう。

幸せの定義はいろいろあるので、収入の安定やキャリアの観点でいったら、きっとあのままでも幸せだったかも。でも、私生活がいかんせんガッタガタになってしまっていたもんで。その観点でいったら、思い切って自分の理想に向かって踏み出したことをとっても嬉しく思っているかもしれません。

前職での日々、楽しい瞬間の陰で、自分の気持ちはどこか枯れてしまっていた感じ。カラッカラな砂漠の中で、時空がゆがんでいるような感覚。呼んでいないのに明日が来るし、疲労困憊の脳では追いつかないような速度で嬉しいこと、楽しいこと、つらいこと、大変なことがかわるがわる起きて。自分の気持ちが置き去りなまま、家族や友人との関係もそっちのけなまま。仕事のための日々を過ごしている感に苛まれていたかも。

今は、心から言えるかも。そんな日々から、飛び出してみてよかった!!( ᐢ˙꒳​˙ᐢ )

希望ってきっと、こんな見た目。遠くに見える光てきな。

スウェーデンで過ごす日々の中では、毎日のいろんなことが、自分の意志と決断で決まっている感じがする。自分の人生の主導権を、ちゃんと自分で握れているような。いうなれば、自分の船の舵を自分でとれているような実感があります。

それはきっと、自分の考えや希望をしっかりと主張していくことがコミュニケーションの基盤とされているスウェーデンだからこそ、まわりに合わせる、多勢の意志に流されるということが少ないせいもあるのかもしれません。

この実感こそ、自分の時間を、『生きた時間』を過ごしている、という感覚なのかなぁ、と。ひしひしと感じています。

スウェーデンでは、暮らしのなかにあるさまざまな要素、たとえば仕事、趣味、家庭、などなどを自分なりにうまく調整して過ごすことを、ライフパズル、というそう。

ライフパズルのピースひとつひとつが、自分にとってちょうどいい具合であることを大事にしている感がすっごいあって。その感覚をLagom / ラーゴム(ちょうどいい)、と、とても幸せそうな表情でスウェーデン人は言います。

なんか、変な無理や背伸びがないかんじかも。
自分の気持ちに素直なんよねぇ、みんな。

スウェーデンにきて出会った人たちと同じ笑顔でラーゴムと言えることが増えてきた今日この頃。この国にきてよかったなぁ。なーんて。しみじみ思うかもです。

"人は豊かさを求めてせっせと働いているけれど、日々忙しさに追われて豊かさを失っている"。かつてはまさにそんな状況に陥ってしまっている自分だったかもしれません。でも、あの頃と同じ自分とは思えないほど、ゆったりとした空気感で暮らすことが、この国に来てからはできているかんじかなぁと思うのです。

みなさんも、自分の心の幸せを大切に。今日も元気で( ˙꒳​˙ᐢ )


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