ちょっと火星に行ってきます | Starship打ち上げ見物記
テキサス最南端、メキシコ湾岸の小さな町、ボカチカ。
対岸のサウスパドリーアイランドはイルカやペリカン、青鷺などを間近に見ることができる自然豊かなリゾート地が広がる。
そしてここは今、宇宙の旅に一番近い場所でもある。
昨今何かと話題のイーロン・マスクが設立したSpaceXは今やNASAをも凌ぐ勢いの宇宙開発企業だ。
代表的なロケットFalcon9は、人工衛星打ち上げやISSへの補給事業などで実用化され、カリフォルニアやフロリダの発射台から数日に一度のペースで打ち上げられている。
以前たまたま目撃することとなったスターリンクトレインはこのFalcon9により放たれた衛星だ。
次なる計画として、将来の人類宇宙移住を視野にした完全再利用型大型ロケットStarshipの発射実験が行われており、その拠点こそがここテキサス州ボカ・チカなのだ。
昨年秋までに既に6回の発射実験が行われており、直近ではロケットの箸キャッチとして話題にもなった。
最新の第7回目の打ち上げは2025年1月上旬と告知されていたが、正式な日付が発表されたのは最近になってから。
とはいえ事前に発表されても、技術的な問題や気象条件により変更されることはよくあることで、今回もまた当初発表された打ち上げ予定日から既に一週間延期となっていた。
個人的にはこの延期のおかげで、現地へ向かうことが可能となった。
自宅からは車で10時間ほどかかるが、いつもの車中泊セットを装備し前夜夜8時に自宅を出発した。
目的地は発射地点から直線距離で10キロほどのところにあるサウスパドリーアイランド。
発射台を目視できる対岸のビーチだ。
一日目、曇天と強風で再延期
当初、打ち上げ予定時刻は2025年1月15日16:00と告知されていたが、当日早朝に「悪天候のため翌日に発射を延期する」との発表があった。
とりあえず一日だけの延期とのことなので、既に現地入りしている方々と連絡を取り合い、そのまま現地で様子を見ることにした。
(彼らのうちの一組は、前の週の延期でも一度振られている…)
それならばとロケット発射台のあるボカチカ州立公園内に向かうことに。
発射時は規制区域となり近づけないが、24時間以上前の今ならいけるかもしれない。
どこまで近づけるかわからないが、もしかしたら遠巻きにでもロケットを見られるかもしれないと淡い期待を胸に、カーナビの目的地を変更した。
小さな町を過ぎると、ボカチカ州立公園までは一本道が続く。
道路から数メートルのところにリオグランデ川が流れている。これがメキシコとの国境なのだ。
「そのうちどこかでセキュリティーチェックがあってそこで追い返されるだろう、それでも行けるところまで行ってみよう」などと思っていたら、反対車線に国境警備の検問が見えた。
しかし私たちが走る側の道路にはなんらチェックポイントはなかった。
とりあえずそのまま車を走らせるとあれよあれよという間にスペースX社の建屋が目の前に現れる。
何人かの人が揃ってカメラを向けている方向に目をやると、道路からすぐ側でロケットの整備作業が行われていた。
こんなにオープンに作業が行われていることに驚愕した。
地図上では道路は海岸まで続いているためさらに「もう少し、行けるところまで行ってみよう・・・」と車を走せる。
しばらくすると、道路の先にぼんやりと雲に霞む発射台らしきものが見えてきた。よく見るとロケットも見える。
「流石にこれ以上進むのは無理だよね」と言いつつ恐る恐る車を進めるも、そのまま誰に止められることもなく発射台のすぐ下まで辿り着いてしまった。
警察車両も止まっているものの特に咎められることもなく、皆思い思いにロケットにカメラを向けている。
こんなに間近で発射直前のロケットを見られるとは、嬉しい誤算だった。
やはりこの日は打ち上げ延期になるだけの悪天候。強風が吹き荒れ、発射台から1キロも離れると霧の中に隠れ見えなくなってしまった。
こんな天気ではロケットの軌道を見ることが叶わない。
明日は晴れることを祈ろう。
町へと戻る一本道の途中、検問ポイントを通過する。
あくまでもスペースX社のセキュリティチェックではなく、不法移民を取り締まる国境警備。
パスポートを提示することで特に問題はなかったが、メキシコ国境近くの街を訪れるのだからこの検問は避けられない。
二日目、快晴に恵まれいよいよ打ち上げへ
とりあえず1日は現地で待機することにして前夜は近くのホテルに宿泊した。
幸いなことにシーズンオフのリゾート地は閑散としていてどのホテルも底値で提供されていた。
トップシーズンなら同じホテルでも3〜5倍の価格だっただろう。
しかし2日目までの待機は日程的に厳しい。
天気予報は微妙…
ひたすら天候の回復を祈る。
翌朝は曇天から始まったものの、時間を追うごとに天候は回復、風は止み雲ひとつない青空が広がった。
見物場所のサウスパドリーの海岸線から直線距離で10キロ先にある対岸の発射台もしっかり目視できる。
浜には多くの人が見物に訪れており、それぞれがその時を楽しみに待っているようだった。
既に浜辺に到着している夫の職場の同僚ファミリーとも合流し、発射までの数時間を楽しく過ごす。
時折イルカが現れたり、ペリカンが海中の魚を捕獲するところなどを見ていたらあっという間に時間が過ぎていった。
発射時刻1時間ほど前になると、大小の観光船が数船、目の前を通過していく。
「おいおい、そこで見物か?!」
乗船している客は皆こちらに向かって楽しげに手を振るが、岸にいる多くの人は誰一人手を振り返さなかった。
なぜなら我々も含め岸から見物している人たちにとって、彼らの船は発射台をすっぽりと覆い隠してしまうという大迷惑な存在だったからだ。
呑気に手を振るどころではない。
少々ヒヤヒヤしたものの、我々が構えていた場所からの視界を被ることなく打ち上げの時を迎えたが、確実に浜辺の一部の人々はせっかくの視界を観光船に遮られていただろう・・・気の毒すぎる。
10、9、8、7、6、5・・・
いよいよ予定時刻16:36を迎える。
どこからともなくカウントダウンの声が聞こえ、発射台下部から白い煙がモクモクと立ち上がる。
淡紫のオーロラのような光を放ちながら上昇を始めて数秒後、バリバリという爆音が空から降り注ぎ体の奥まで響いてくる。
打ち上げからわずか2分ほどで小さな光の粒となって空の彼方に吸い込まれていった。
残されたのは発射台そばの灰色の雲と、成層圏に近いであろう高高度で発生した真っ白な雲。
この後間も無くして光は2つに別れ、その一つの光が箒星のように尾を引いてこちらへ戻ってくる。
キラキラ輝きながら真っ白な雲の間を突き抜けて予定通りブースター部分が戻ってきた。
そのまま発射台の方向へ一直線に向かい、再び真っ赤な炎を噴射したかと思うと、体勢を立て直しゆるりと発射台に寄り添うと、アームの部分にストンと収まった。
箸でキャッチというよりも、まるでロケット自らが発射台の懐にスルリと潜り込むかのようだった。
鳥肌がブワッとたち、放心した。
その瞬間、祝砲と汽笛がこだまし、歓喜の声がわっと上がる。
その音にふと我に返り、一緒に見学していた周囲の人と感動を分かち合った。
そこにいた何千もの人が童心に還り空を見上げ、心を震わせた5分間だった。
その後の報告によると、スターシップのロケット本体は空中分解し無数の流星のように空に降り注いだそうだ。
100点満点の実験結果ではないが、これもいつかのための前向きなデータであると発表されていた。
人類はいつか本当に火星に降り立つ日が来るのだろうか。
1961年、アメリカ第35代大統領J・F・ケネディが10年以内に月へ人類を送るとの演説から始まったアポロ計画は10年経たずして人類を月面に着陸させるに至った。
ボカチカのスペースX社の壁には火星移住後の世界が描かれていた。
不可能とも思えることも、明確な言葉やビジョンが現実に変えていくのだということを彼らは知っているのだろう。
島から出るためたった一本の橋は大渋滞だったが、おかげで海に沈む夕日をゆっくりと眺めることができた。
そして橋を渡りきる頃には空は真っ赤に染まっており、まるで火星のようだなと思った。
いつかきっと人類が火星に降り立つ日が来るのだろう。
「ちょっと火星に行ってきます」そんな風に旅に出るのだろうか。