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JOYという名のクラスメイトの悩み

週2日、仕事後にドイツ語の語学学校に通っているのだが、同じ教室にJOYという名前のクラスメイトがいる。

初めての授業では自己紹介から始まるのだが、JOYという名前に面喰らい、しかもどうやら本名らしく、私からすると楽しいことをする以外の人生が許されていないような、失礼だがそんな名前に思えた。海外では一般的な名前なのだろうか。

誰だってJOYという気持ちだけで人生を過ごせはしない。部屋から一歩も出たくないような日も、周りに当たり散らしたくなる日だってあるだろう。

そんなことは当たり前のことで、だからこそ彼の両親がどのような気持ちで彼にJOYという名前をつけたのか疑問だった。

彼自身は落ち着いた知的な雰囲気の男性であるが故に、彼自身もどう思っているのかにも興味が湧いた。

名前はアイデンティティの一部だし、一生ついて回るものだ。

私の個人的な興味から簡単には聞けないなと遠慮していたところ、自己紹介ついでに名前について話す機会があり、あっさり彼の方から説明があった。

12月生まれでクリスマスの日に近かったこと、”JOY”は彼の名前のほんの一部で、本名はもっと長く、意味としては楽しい子供時代、楽しい世界という意味だということを語ってくれた。

12月に生まれただけでこれなんだよね、ちょっと恥ずかしいよねと自嘲したような、照れたような口調ではあったが、故郷の両親の思いを懐かしむような優しい笑顔で、彼がどれだけ愛されていたのか容易に想像ができた。

慣れた口調からしても、きっと今まで初対面の人たちに何度も説明してきたのだろう。毎回こうして丁寧に説明しているのだろうなと思うと私は何だか彼が少し好きになったし、彼の両親の気持ちを訝しんだ自分を恥じた。

何度か授業を一緒に受けるうちに、ドイツには仕事で来たこと、幼い子供がいること、奥さんも同郷の人間だということを知り、そしてなぜドイツ語を学ぶのかについての切実な理由を教えてくれた。

彼の息子はまだ幼稚園児で幼いが、それでも既に彼よりドイツ語が話せるらしい。幼稚園ではドイツ語の環境に囲まれているが故に、友達ともドイツ語で話し、自分が話しかけてもたまにドイツ語で返事をされることがある。
それがわからない。息子のドイツ人の友達が言っていることもわからない。
このままではいけないと思い、本格的に通学することにしたとのことだった。

JOYの話は、私がフランスにいた時に聞いたとあるホストファミリー一家の事情を思い出させた。
韓国人とフランス人の両親で、子供たちはフランス育ちだが、子供たちの悩みは韓国人の母親と深い話ができない、ということだった。共通言語であるフランス語は母親にとっては外国語で、韓国語も自分達は少ししか喋れない、自分達が悩んだ時、話を聞いて欲しい時に心の底からの会話ができないという何とも切ない話だった。

私はJOYの子供の言っていることがわからない、という一言にこのホストファミリーの話を思い出したが、彼の心情を思うととても言えず

「息子さんにとってはドイツ語も母国語の一つになるし、もしかしたらあなたのいい先生になってくれるかもしれないね」と綺麗事を伝えることしかできなかった。

彼の息子が大きくなるにつれて、自分の父親や母親をもどかしく思う日が来るのだろうか。
英語で会話をするのだろうか。それとも父親と母親の母国語を話すのだろうか。

自分勝手な私の思いではあるけれど、優しい彼が思い悩むことのないように、どうか彼の必死な努力、その愛情が息子に伝わるように願った。



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