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【こはる日和にとける】#17 スケートへGO!

氷の上は透明なにおいがする。

それはたとえば、まあたらしい教科書や消しゴムみたいにまっさらで透きとおっていて
わたしはつい思いきり吸いこみたくなるのだけれど
鼻がぴりりとひりついてしまうのでやめておく。

”4:44”

大きなデジタル時計が不吉なその数字を表示する。

「パトロール!パトローール!」

わたしは武さんに声を掛け、それまで夢中になっていた"宝探し"を一旦中断しふたり揃ってリンク内をくまなく周回し始めた。

屋根があるだけでほぼ屋外のようなスケート場。
夕方の冴えた空気を切るようにして滑る。

すーいとひと足、すーいとひと足。

単調な繰り返しなのに、ただただ楽しい。
いつまでも滑っていられるきぶんだ。

わたしたちは時計が”4:45”になるまでの一分間。
まわりの客たちが転んだり衝突したりしないか
目を光らせながら念入りにパトロールし
今日も無事任務を完了することができた。

ここは我が炭鉱町が誇る遊園地。
その敷地内のイベント広場に冬季限定で開設される巨大なスケート場である。

わたしと武さんは小学四年の冬から毎年
『すいすいカード』というフリーパスをお年玉で購入し、塾のない放課後は毎日のようにふたりで通い詰めていた。

家の目の前に広がる遊園地ではあるが
その敷地は広く、スケート場に続く裏のゲートまでは小高い丘をひとつ越えなければならない。

そのため「5時半まで」と決められた時間を無駄にせぬよう学校から帰ると急いで準備し、飛び出すように家を出た。

到着すれば遊園地の入口も、スケート場の入口も
ペンギン柄の『すいすいカード』で通してもらえてさらにスケート靴もそのカードで借りられる。

めでたく4時前にはリンクの上というすんぽうだ。

そもそもわたしにスケートを教えてくれたのは父だった。
というのも、父自身も学生時代の冬の楽しみはスケートだったらしい。
九州は雪が積もるほどは降らないのでスキーや雪遊びに馴染みのない地域ではあるけれど、思えばなぜかスケートには親子で縁があったことになる。

遊園地に初めてスケートリンクが張られたのがたしか小学3年の冬だったか。

最初は家族で出掛け、その時初めてスケート靴を履かせてもらった。
父が慣れた手つきで靴紐をぎゅっぎゅと締めていく所作が格好良く、重たいスケート靴に足が固定された感触が新鮮だった。

鋭い刃一本で立てるとはとても思えなかったけれど
「このゴムの床の上やったら歩けるけん立ってみんね」
と父に支えられ、恐る恐る立ち上がると覚束ないながらも歩けることが分かり
いつもよりぐんと高くなった目線で見える世界に
わたしはふわふわと心が踊った。

ただ、氷の上となるとそう簡単にはいかなかった。

手すりを持っていても足だけひょいと掬われる。
父が前から両手を握ってくれると言っても腰が引けて立てる気さえしない。

「む・りーーー!!」

と、幾度叫んだか分からない。

周りにはわたしのような初心者もいれば、父のようにすいすいと滑れる人もいる。

わたしもあんなふうに滑れるようになるのだろうか。
尻餅をつくのにも飽きてへとへとになった頃父が鉄製の補助椅子を調達してきた。

「これに座ってみんね」

車椅子みたいに父に押してもらうとそれは思いのほか、いや思った以上に最高に面白かった。

椅子に座りながらスケート靴を氷に当てれば自分で滑っている感覚を味わえたし
背中側から父がバックで引っ張ってくれると
後ろ向きに景色が勢いよく遠ざかってジェットコースターに乗っているようだった。

そのうちに椅子を押しながらであればわたしでも滑れることが分かり
面白さは一気に加速度を増してわたしはすっかりスケートに夢中になった。

その後父にねだって何度か通い、椅子を手放しひとりで滑れるようになった頃
「わたし、スケート滑れるようになったとよ」
と自慢半分で仲良しの武さんを誘ってみた。

すると武さんは持ち前の運動神経で
難なくその日のうちにひとりで滑れるようになり
わたしは「ひょえ~」と呆気にとられたのだった。


さて、魔の4:44を今日も無事過ごし果せたわたしたち。

4は”死”を連想させる数字だと安易に思い込んでいる。
その為、リンク上での事故が起こりやすいとふんでパトロールすることに決めたのは最近のこと。

そもそも常時アルバイトのお兄さんがリンク内には居て、プールでいうところの監視員のような役割を果たしているのだが、その年上の彼らに憧れて始めたという節もある。

なんせ毎日のように通い詰めているのでお兄さん達とも顔見知りとなり、もはやカードを見せずとも
「こんにちは~」と言えば
「はいよ~」とカウンターからぴったりサイズの靴を出してもらえる仲なのだ。

揃いで明るいグレーに赤のラインが入ったウィンドブレーカーを着こなし、両手を後ろ手に組んで軽やかな滑りを見せるお兄さん達。

かっこいい・・・。

単純な小学生であった。

「ちーちゃん、なんか食べる?」
リンクを降りて武さんが訊く。
「食べよう食べよう!」
おやつも食べずに家を出ているのでお腹ペコペコなのだ。

ビニールで囲ってストーブを焚いている一角に軽食を販売するカウンターがある。
わたしと武さんのお気に入りはそこのアメリカンドッグで、スケートの合間によく食べていた。

ふっくらと揚がった甘い生地にくるまれた魚肉ソーセージ。
ケチャップで食べるそれの美味しいこと!
最後のカリッと香ばしい付け根まできれいに食べあげた。

「もいっかい、宝探ししよう!」

わたし達は急いでリンクに戻る。

ちなみに当時はまっていた”宝探し”とはヘアゴムやシールなど小さくて可愛いものをひとつ、リンクの端のどこかに隠し、相手が隠した物をどちらが先に探し当てられるかという遊び。

端っこはポールが何本も複雑に組まれていて小さなものを隠すには程良い場所なのだ。

「武さん、隠した~?」
「隠したよ~」

リンクの中央に集まって「せーのっ!」でスタートだ。

と、その時。


すーーーーっ。

わたし達の脇を真っ白い天使が横切った。

「ふ、わあ・・」

一瞬で目を奪われたその天使は同い年くらいの女の子だった。

真っ白なコート(わたしの赤いもったりとしたジャンパーとは全然違う)にふわんと白い手袋(これもわたしのピンクのキャラクターものとは雲泥)、さらとなびく髪の毛は肩よりも長く、何といっても目を惹いたのは、その白いスケート靴だ。

先がつんと細い大人のブーツみたいで、借り物でごつごつの黒色のこれとは全くの別物。

「かわいいね・・」
「うん、かわいい・・」
「誰だろ?知ってる?」
「知らない。見たことないね」
「だよね」

炭鉱町の子でないことは明らかだった。

すると、その子がおもむろに腕をぎゅっと胸の前で合わせ、くるんとスピンをした。

「わあ!すごい!」

まだ練習中なのかぎこちなさはあったけれど、繰り返し同じ動きを確認するその姿ごと氷の上の天使としか喩えようがなかった。

そして彼女が一旦勢いをつけて滑りだすとそのスピードに反して音はなめらかで柔らかく近くを過ぎるときだけ

―—ザッ、ザッ

と、氷を掻く音が響く。

わたしと武さんはリンクの真ん中で突っ立ったまま
宝を探すことも忘れて暫く見惚れてしまった。

大音量で流れるポップな音楽の中で彼女のまわりだけはクラシック音楽が流れているような。
そんな優雅な時間だった。

以来わたし達は「今日は天使来るかな」と
スケート場へ行くたびに楽しみにしたのだけれど
残念ながら出会えたのはその一度きりで、けれどたった一度の出会いは子供心に鮮烈に残ったのだった。


さて、とっぷりと日は暮れて時刻はまもなく5:30となる。

スケート靴を脱ぎ、ぺしゃんと潰れた感覚で地面に足をつく。
足は軽いはずなのに地べたが硬く感じて歩きにくく、この瞬間はいつもトランポリンから降りたときみたいなへんてこりんな気持ちになる。

遊園地は5:00には閉園しており、スケート場から園の出口までの道のりは、しんと暗い。

ゲートを出ると向かいにいつも停まっている焼き芋屋で焼き芋を一本買い、はんぶんこにして頬張った。

「あっつ!」
「うっま!」

手の中で湯気をあげる焼き芋が「今日はほくほくのまっ黄色でラッキー」とわたしは内心思っている。(武さんは「ねっとりタイプ」が好みなのだ)

アメリカンドッグに焼き芋。
かっこいいお兄さん達に・・・

「天使!」
「ん?」
「あの子天使みたいやったね」
「そうやね」
「天使、明日も来るかなあ?」
「どうやろ?」
「来たらあのくるって回るの教えてもらおうよ」
「いいねえ」

わたし達の冬は始まったばかりで、すいすいカードの期限はまだ一か月も残っている。




text by haru photo by sakura



こんにちは
haruです

さいごまで
読んで下さり
ありがとうございます

幼い頃住んでいた長屋の
窓硝子は薄っぺらくて
ざらりとした手触りの
磨り硝子でした

冬の朝目覚めると
ちょうど目の高さに映る硝子戸が
白い光をぽわと透かすので

わたしは毎朝
「今日こそ雪だ!」

布団からがばり跳ね起き
外の様子を急いで窺ったものでした

磨り硝子ごしの
白い光が
まるで積もった雪のように
わたしには見えてしまうのですが

たいてい、それは
単なる朝日の反射で
まったく期待外れな
一日の幕開けとなるのです

けれど
ごく稀に
うっすらと粉雪が
地面を覆っていることもあったりして
決して気を抜くことはできない
冬の朝なのでした

そんなわたしの
この季節の愉しみは
エッセイに書いたとおり
スケートでした

運動音痴なんですけどね
継続は力なりで
そこそこ上手に滑っていたのですよ

『スケートへGO!』
愉しんで頂けましたか?

またよければ
来週日曜日に
ここでお会いしましょう

haru


《追伸》

蒼乃さんが
マガジン〝大切なお部屋〟にて
『ばあちゃんの千代紙』
を取り上げてくださいました

大切なお部屋に
そっと上がらせて頂けて
しあわせです


また、いつきさんが
『カセットテープ』
を〝イチオシ勝手にPICK UP〟として
ご紹介下さいました

鮮やかな色とりどりの記事の中
こはるの記事が現れて
しあわせな驚きでした

お二方とも
ほんとうにありがとうございました

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