実家を出る日
「俺、一人で暮らすわ」
初めて家族に打ち明けたのは、家族で夕飯を食べている時だった。皆の箸が止まり、絶妙な沈黙になったのを覚えている。社会人1年目の夏であった。
社会人になったら、一人暮らしをしようと決めていた。
目的は生活力の向上である。実家では家事をろくに手伝わず、洗濯機の回し方も知らなかった。様々な場面で「こんくらいできなあかんで」と母に言われ続け、「いざとなったらやるで」と誤魔化し続けて23年。本当にそろそろ「こんくらい」できないとまずいと焦ってきた。しかし、家でやるのは何となく照れ臭い、よし一人で暮らそう。こういった考えであった。
私は大阪市の会社に就職していたので、大阪市の物件や、初期費用を調べた。結果、大学のバイト時代の貯金と、数ヶ月分の給料を合わせると可能であることがわかった。住みたい場所の候補も絞れた。さあ、最後の壁は、家族への報告であった。
うちの家族は、両親と三つ上の姉がいる。よく、家庭のルールに「社会人になったら一人暮らしをすること」を定めているところがあるが、うちにはそのルールはなかった。さらに姉が実家暮らしなこともあり、おそらく両親は私が一人暮らしを切り出すとは想定もしていなかったと思う。正直とても切り出しにくかったが、勢いに任せて打ち明けた。
家族に一人暮らしを打ち明けた日、しばらくの沈黙の後、父が「ふーん、、、どこで?」と聞いてきた。私は、職場に近い中央区か、雰囲気が好きな淀川区を考えていることと、合わせてずっと前から社会人になれば一人暮らしをしようと決めていたこと、あと一ヶ月前後で始めようと思っていることを伝えた。返答としては「ふーん、そうなんや」であった。
そこまで話すと母と姉から「いやめっちゃいきなりやな」「いきなりすぎて言葉が出ん」「いつから考えとったん」「お金あるん」「もっとはよ言いや」「えもう準備せなあかんやん」など怒涛の質問攻めにあった。ここまで来て、言えたことに関して、ほっと胸を撫で下ろした。
そこからはとんとん拍子で進み、物件と引き渡し日の決定、家電の購入が完了した。新しい家は実家から電車で40分くらいのところにあるので、鍵をもらってからはちょこちょこ備品を運んだ。
新しい家にベッド、レンジ、冷蔵庫が揃ったタイミングで、移動をすることにした。
実家暮らし最後の起床をし、最後の荷物を持って家を出る支度をした。実家の犬に散々舐められた後、玄関に向かう。「ほな行ってくるわあ」と言うと、父が家の奥から「おお」と答えた。母は玄関まで出てきて「なんかあったら使い」と、お金の入った封筒を渡してくれた。
実家の庭には、溢れんばかりの百日紅が咲いている。お盆が過ぎ、残暑が残る暑い日、一人暮らしが始まった。
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