恐れを体験していたことを忘れ去る時が来ます
恐れと愛が同時に存在することはありません。恐れとは愛の欠如に過ぎないからです。
しかし、私たちは一度も無条件の愛から離れたことはないのです。
それなのに恐れを体験するとはどういうことでしょうか。
愛から離れたという信念が作り出す世界の中でのみ、恐れは体験されます。
愛から離れた自分を罪深いと判断し、罪悪感を抱き、恐れを体験するのです。
無垢なる神の子が罪に染まり、永遠なる者が限界に苦しみ、光である者が闇を味わいます。
太陽が闇を経験できるでしょうか。闇は光の不在であり、光の中に闇は存在しません。
つまり、私たちが体験している恐れという闇は、不可能な体験なのです。私たちの信念の力により、その不可能な体験ができています。
それらの信念の一つひとつを疑問に付し、赦しの光に照し、取り消していく時、自分が今までどれほど不可能なことを信じていたのかが分かってきます。
私たちは紛れもなく無垢なる神の子です。
分離の夢の中で、それを忘れているだけです。
そして、たとえその真実を忘れてしまったとしても、その真実を取り消すことはできません。
だから、誰もがいつかその真実を必ず思い出すことになるのです。
その時には、かつて恐れを体験していた時があったことを忘れてしまいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?