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特別な愛から解放されることを望むことができるでしょうか

私たちが一般的に愛と呼んでいるのは「特別な愛」と呼べるものです。それに対して、イエスや聖霊に象徴される神の愛は「普遍的な愛」と言えます。特別な愛が特別な対象に向かうのに対し、普遍的な愛はあらゆるものを包み込んでいきます。特別な愛は欠乏感を原因として根底に持っていますが、普遍的な愛は満たされたところから溢れるものなのです。その意味で私たちが体験するほとんどの愛は特別な愛と言えます。

特別な愛が私たちにもたらしていたものは、苦しみではないでしょうか。特別な愛から嫉妬が生まれます。特別な愛から妬みが生まれます。特別な愛から独占欲が生まれます。特別な愛から支配欲が生まれます。特別な愛から私的なコントロールに対する執着が生まれます。特別な愛から誰かを排斥したい欲求が生まれます。特別な愛から裁きの感覚が生まれます。特別な愛から対抗意識が生まれます。

それは苦しいものに違いありません。

しかし、特別な愛に対する執着を手放した場所には、それらの苦しさからの解放があるのです。

特別な愛の魅力は、それが自分に幸せをもたらしてくれるように思えることと、それを手放すと空虚さを手にするように感じられることなのです。特別な愛は分離の感覚を強化することに役立ちます。

つまり、私たちは分離の状態が自分に幸せをもたらしてくれると信じているのです。分離を強化しながら特別な愛を追い求めることが人生を意義あるものにすると信じているのです。

分離が私たちにもたらしたものは、平安の喪失、純粋な喜びの喪失、幸せの喪失だったのですが、その欠乏感を満たそうと特別な愛を探し求めながら分離を強化していくことに専念しているのです。それが自我と同一化している私たちが成し得る唯一のことでした。

特別な愛に対する執着を手放す方法は、それがもたらしていた結果をありのままに眺め、認め、その執着を聖霊に手渡してしまうことなのです。

その時、特別な愛は変容されていきます。特別な愛が普遍的な愛に変容されていく時、誰に対しても同じような心で接することができるようになるのです。

その苦しみからの解放は私たちが想像できるものよりはるかに自由で素晴らしいものなのです。もしそれをわかることができるようになれば、特別な愛の魅力は色あせていきます。

それはすべての人の前に差し出されている解放なのです。

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