正解はない

 ミヤコは会食というものが苦手である。
 新型の感染症が流行し始めてから徐々にその特性が明らかにされていく中で、感染経路は接触感染と飛沫感染がメインであると判明し、複数人での外食は行政によって禁じられた。飲食店では、カウンター席のみならず、複数人で囲むことを想定して設置されたテーブルもパーテーションで区切られ、食事中の発声は注文時に限られる。飲食店は社交の場という機能を失い、純粋な食事提供の場となった。これに対応出来なかった店は官民両方からことごとく石を投げられ淘汰されていった。
 しかしこの変化をひそかに喜んだ人間も少なからず存在した。ミヤコもそのうちのひとりである。
 
 会食恐怖症という程ではないが、食べるという行為と他人と話すという行為を同時に行う意味がどうしても理解出来ない。そのことに気がついたのは、高校生になってはじめて友達から「ごはん行こうよ」と誘われた時だった。当時のミヤコはその言葉が「あなたと話したい」という意味を含むことを知らず、何故家族でもない赤の他人と一緒に食事をしなければいけないのかと困惑してしまった。

「あの時のミヤコの顔さあ、今でも思い出せるよ」

 ミヤコをはじめて食事に誘った記念すべき友人、レイカはけらけらと笑った。
 ミヤコはレイカに感謝している。
「ごはん行こうよ」の意味がよくわからないまま、ハンバーガーショップについていったミヤコは、手が震えて口元にハンバーガーを持っていくことが出来ないという経験をした。ポテトも上手く掴めず、ドリンクは距離感を見誤り倒してしまった。
 慌てて駆けつけてきた店員が床に広がるオレンジジュースを拭くのを、ミヤコは呆然と見つめていたが、レイカはその様子をきょとんとした目で眺めながら、ハンバーガーにかぶりついた。信じられないくらいお腹が空いていたらしい。
 ミヤコは片付け終わった席に座り直しても尚、自分に何が起きたのかわからなかった。「ねー、もしかしてさ、友達とごはん食べるのはじめてなの?私と食べるのが嫌だからさっき困った顔してた訳じゃない?」とレイカが率直に訊いてくれたおかげで、ミヤコは自分が交流を目的として他人と食事を共にすることが苦手だと自覚出来たのである。
 
 ミヤコが通っていた小学校と中学校は、席順によって組まれた6人の班ごとに机を向かい合わせて給食を食べることになっていた。食パンが上手く飲み込めないのはもそもそとした食感が苦手だからだと思っていたが、思い返してみれば何を食べても味がしなかった。他の5人がお喋りに花を咲かせるのを横目に、と言うよりも視界に入れる余裕がなかったと言った方が正しいのだが、ミヤコは噛んで飲み込む、という行為に集中していた為、会話に入ることはなかった。大して仲良くもない他の5人がミヤコを気にかけることもなかった。
 そしてミヤコが育った家庭には、食事中に口をきくなという不問律があった。家族揃って黙々と食事をすることにミヤコはなんの疑問も抱かなかった。ホームドラマで観るような、会話にあふれた食卓というものは、ファンタジーの中にしか存在しないものだと思っていたのだ。
 というようなことを説明したミヤコに、レイカは「それって他人とごはん食べるの苦手ってことじゃない?てかそのハンバーガーとポテト食べないんなら私食べてもいい?」とあっさり言ってのけて、ミヤコがなにか言う前にポテトに手を伸ばした。

「あのとき誘ってくれたのがレイカちゃんじゃなかったらどうなってたのかなって今も思うよ」
「どうもならないよーきっと、今話してる相手が私じゃない別の誰かに代わるだけじゃない?」
「そうかなあ」

 血縁関係にない他人との会話を目的として集まる場所。新型の感染症が蔓延する中で、そういった店が増えた。この店は、押し付けがましくないアロマのような香りが漂い、座り心地のいい椅子が適切な距離を保って配置されている。料金は時間制だ。大きな声での会話は禁じられているので、店内は居心地の良い静けさが保たれている。

「だってレイカちゃん、あれ以来私のことごはんに誘わなかったけど帰り道に公園とか駅でずっと話すの付き合ってくれたし、社会人になってからも定期的に喋ろって言ってくれるからさ、他にそんな人いなかったよ」
「普通だよー普通、私がミヤコと喋りたかっただけだって。てか大学とか会社とかどうしてたの?飲み会とかあるでしょ」
「あったよ、でもまあ、治るってものじゃないから」

 ミヤコは言葉を濁す。
 他人と食事をするのが苦手だと説明した時の、面倒くさそうな目。慣れたら平気でしょ、俺で慣れようよと無理矢理連れていかれた席で箸を落としてばかりいた時の、見下される感覚。規模の大きい飲み会ではソフトドリンクにストローを差し食器の一切に手を触れないようにして、縮こまっていた。食事に誘われることがだんだん減っていく中で抱いた感情は、安堵だった。

「今のミヤコってまさかの形勢逆転だよね」
「レイカちゃんはひとりで食べるのさみしかったりしないの?」
「それがさあ、案外平気で。まあ元々ひとりでも外食する方だったけど、なんかコース料理とかも、食べ物の味に集中出来るっていいなって思い始めた」
「レイカちゃんが私とおなじこと言い始めたー」
「今にして思えば一蘭は先駆者だったよね」

 レイカはミヤコと違って、他人との食事を楽しむことが出来る人間だった。しかし、ひとりで食べる方が美味しいと言うミヤコに、最近行って美味しかったとこ教えてよと、当たり前のように聞いてくれる人間でもあった。

「元の世界に戻ってほしい?戻ってほしくない?」

 レイカの問いに、ミヤコは答えられなかった。
 他人との食事を楽しめないことで、ミヤコは自分がなにか人として間違っているような、分不相応な世界になんとか混ぜてもらっているような、罪悪感とも疎外感ともつかない感情を抱えてきたが、今の世界ではそういった感情を抱えずに済む。ミヤコの指向する行動が、社会で適切とされる方向と合致しているからである。
 しかし、元来会食を好む人たちのことを考えると、ミヤコは喉の奥が苦しくなった。

「じゃあ私はどっちだと思う?」

 レイカはミヤコを見つめた。ミヤコは口を開く。

 

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