ゆあか

雑感に実験

ゆあか

雑感に実験

最近の記事

みんなは、

 子どもの頃から生きていることに罪悪感があった。今でもこの罪悪感はある。  この罪悪感はどこから来るものなんだろう。  考えてみると、自分はなにも出来ない役立たずだ、という意識が頭の片隅に常にあった。  私は跡取り、という言葉が普通に使われるような田舎の農家の長子として産まれたが、父親の言動から彼がほしかったのは運動の出来る跡取りの息子なのだろうなということを早々に察した。察しはしたが、その理想像のとおりに振る舞うことはできなかった。私は運動音痴で周囲に馴染むのが苦手な女の子

    • これでいいのだ巾着

       サーモスのスープジャーを入れる袋を探していた。  専用のケースはたくさん売っている。しかし、保温性を持たせるためかスープジャーだけが入るジャストサイズのものしか見つからない。私はおかずを入れた小さい容器をスープジャーの上に重ねて入れるゆとりがほしかった。  この500mlのスープジャーは買ったきり置物になっていた。  普段作るお弁当が週末に作り置きしたおかずをつめるだけのもので、その日作ったスープを持って行くというシチュエーションにならなかったからだ。職場にはレンジもポ

      • 歯科矯正をはじめた

         昨日、歯に矯正装置をとりつけた。歯の表側にマルチブラケット装置をとりつける、一般的なワイヤー矯正である。  歯並びがめちゃくちゃ悪いわけではない。  矯正の為の歯科検査が終わった段階で、高額な治療費を払った割に見た目はそこまで変わらない可能性があるのでよく考えた方がいいと矯正歯科の先生に言われる程度の歯並びだ。かなり真っ当な先生である。  しかし、左の八重歯に唇がひっかかる、それにより左側だけ法令線が出てくる、前歯のでこぼこに食べ物がひっかかる、上の歯と下の歯の中心が左

        • 伏兵

           去年の秋頃にコンタクトレンズをボシュロムのメダリストIIからアキュビュー2weekに替えた。仕事でパソコンの画面を長く注視していると、レンズが乾燥して目から落ちてくるようになったからだ。  アキュビューはフィット感が良く、着けていることを忘れそうなぐらいの装用感だったのだが、なぜか目が充血した。痛くも痒くもないのだが、ものすごく充血した。  こりゃダメだと眼科に駆け込み紹介してもらったのがシンシアS。こちらはちょっと値の張るシリコンレンズで、酸素透過率が高く、シリコン独特の

          インド象

           金曜日の夜、高校の同級生と中華を食べに行った。  去年からランニングを始めたと話したら、彼女は来月から市民プールに通おうと思っていると言った。かつての彼女は大体いつも心身共に不調で不登校気味で、現在に至るまで通院は続いているようだが、12年の歳月は彼女ですらもプールに通わせる。  彼女ひとりで作ったライントークイコールネタ帳を見せてもらった。「インド象 印象」と書いてあった。  インド象、印象、と唱えながら30分のランニングをしてきた。  私の部屋には妹の夫の父からもらっ

          インド象

          正体

           暗闇の先に暗闇があったという話をします。    あまり車の通らない住宅街の道路の真ん中に丸い鉄製の蓋がある。私が勤める会社ではその蓋を製造している。  平日の昼下がり、私はその蓋にクエスチョンマークの形をした金属の棒を引っかけて、持ち上げた。ひとりで持ち上げることは出来るが、手を滑らせて足の甲に落下させようものなら骨折するのが確実な重量だ。地面の下からうっすら聴こえていたざあざあとかごうごうとか表現されるであろう水の音が近くなる。そこに最初の暗闇はあった。  道路に四つん這

          さようなら

          「痛くないの」 収穫にはまだ早い大麦畑が夜の底でザワザワと揺れているのを眺めながら、私は彼女に尋ねた。 6月も中旬に差し掛かった北海道の夜はまだどこか肌寒い。隣にしゃがみ込んだ彼女は七分丈で薄手のカーディガンを羽織っている。その手首にのぞく華奢なシルバーの腕時計は、私が先月彼女の誕生日にあげたものだった。 「なにが?」 「手首噛むの、癖なの?」 「ああ」 彼女は少し腕時計をずらして手首に残る歯の跡らしきものに目をやった。 それをつけたであろう男のことを私はよく知っている。彼女

          さようなら

          誕生日だから

          死にたくなっても許してほしい。 誰に許しを請うているのか?わからない。 絶対に報われることない相手に自分の持てる愛情の大部分を注ぎ込んでしまっていることを一年で最も痛感する日である。他の誰でもないその人からのひとことさえあればいいのに、それだけは絶対に手に入ることはない。望むことすら許されていないのだ。だから、誰に?これは相手との関係性から推測される身の弁えというつまらないやつに。 もう何もかも手放したいのに、かつてのたったひとことに縋りつくことをやめられないのだ。覚えてい

          誕生日だから

          マンホール

           今日は空が青かったので、マンホールを開けることにした。    クエスチョンマークのような形をしている鉄の棒をマンホールに引っ掛けて持ち上げて、各住宅から排出された汚水が集まる太い下水管を覗き込む。汲み取り便所に腐った台所を混ぜたような臭いがむわっと鼻の中にまとわりついた。汲み取り便所の臭いが想像出来るのって俺ぐらいの年代が最後じゃなかろうか。生まれた時からウォッシュレットが付いていて冬は便座が温かい水洗トイレしか知らない我が息子の顔を思い出す。  簡易的な梯子の先は真っ暗、

          マンホール

          天啓

           ポストを開けると目があった。  この場合の「あった」は、「合った」であり、「在った」でもある。  仕事を終え、地下鉄に乗り、自宅マンションに到着し、ポストを開けた。オートロック式のマンションに設置されている、壁一枚を挟んでポストの差込口だけがエントランスの外側にあるタイプの集合ポストだ。自分の部屋のポストは、ちょうど目と同じ高さにある。  何百と繰り返してきたこの日々に疲れて、もしくは飽きが来て、幻覚を見ているのかもしれない。いや、その前に単なる不審者の可能性の方が高い。

          飛行機にて、記憶

           そのスニーカーを履いて力一杯走ると、空に駆け上がっていけるという触れ込みだった。  実を言えば、制服の重たくて長いスカートを翻しながら学校の廊下を走っている時もこのまま翔べるはずだと思っていたので、脚力には自信があった。  バスケットシューズのようなゴツゴツとした見た目をしているにも関わらず、存在していないかのように軽いそのスニーカーを買ったのは、通学路の途中にある洋品店だった。晴れている日でもなんとなく薄暗い店内がショーウィンドウ越しに見えたが、店員や客が出入りしているの

          飛行機にて、記憶

          他人

          2. 「人間嫌いなの?ヒサギさんは」  職場でよく話す、ヒサギより一回り歳上で営業のミサキはヒサギに週末の予定を尋ね、ビジネスホテルに一泊して図書館に行きます、と答えたヒサギに対してそう言った。新型のウイルスによる感染症が流行するよりも何年か前のことである。  ヒサギはその時の会話を思い出しながら、初めて歩く町の空気を吸って吐く。  数日前に計画した旅は、難なく決行出来た。車で3時間ほど行ったところに感染症の流行が発表されていない町があったからだ。ネットからホテルを予約す

          他人

          1.  ヒサギは旅が好きだ。  ただし、「旅」と聞いた時に多くの人が想像するであろう「旅行」と、ヒサギのそれはいささか異なっている。  週末の2日間、観光地ではない、地方のどこにでもあるような町にビジネスホテルを取って一泊し、ひとりで住宅街を歩いて回る。チェーン展開されていないスーパーで食事を買い、小さな図書館で郷土資料を眺めたりする。それがヒサギにとっての「旅」だった。    世界的に新型のウイルスによる感染症が流行した為、出入国は制限され、都道府県を跨ぐ移動も控えるよ

          正解はない

           ミヤコは会食というものが苦手である。  新型の感染症が流行し始めてから徐々にその特性が明らかにされていく中で、感染経路は接触感染と飛沫感染がメインであると判明し、複数人での外食は行政によって禁じられた。飲食店では、カウンター席のみならず、複数人で囲むことを想定して設置されたテーブルもパーテーションで区切られ、食事中の発声は注文時に限られる。飲食店は社交の場という機能を失い、純粋な食事提供の場となった。これに対応出来なかった店は官民両方からことごとく石を投げられ淘汰されていっ

          正解はない

          罪とバケツ

          「昔は外に出るときバケツなんか持たなくてよかったんだって」 「え?でも、それじゃあ自分がつけたバイキン拭けないじゃん」 「私たちのおばあちゃんが私たちぐらいの歳だった頃にすごくヒトに感染りやすいウイルスが流行るまでは、自分たちがいつもバイキンをバラまいていることなんて誰も気にしてなかったんだよ」  チサちゃんは物知りだ。私たちは毎日たくさんの教科書をランドセルに詰めて学校に行かなければいけないけれど、チサちゃんはそれに加えてぶ厚い本まで持ち歩いている。私は読書があんまり好き

          罪とバケツ

          あと3日

          夜は明けている。 しかし鈍色の雲が低く垂れ込めており、太陽の位置は分からない。窓のない部屋にいた人間が突然外に放り出されて今は夕方だと言われれば信じてしまいそうだ。 数時間ほど前まで雨が降っていたらしく、生温く湿った風が肌を撫でていく。 アスファルトが濡れた匂いを雨の匂いだと認識するようになったのはいつのことだったか?雨の匂いだと思っていたものはアスファルトが濡れた匂いだと気づいたのは? CLOSED、の看板がぶら下がった、真鍮製のドアノブに手を掛ける。鍵が掛かっているこ