195:命の終え方

11月17日。
伯母は配偶者と、帰ることのない旅に出たことを知った。
享年80歳。

”長い間お世話様になりました”
”ご迷惑をおかけいたします”

そんな言葉の並んだ、彼女らしくもない乱れた筆跡の手紙と共に、貴金属やカバンや衣類が、大量に届いた。

姉たちも妹も置いて、彼女は行ってしまった。
どうしようもない配偶者と共に。

届けられたものに、慌てふためいてみんなが彼女を気遣っていた頃、彼女はとうにこの世から旅立っていたのだと知ったのは、それから8日後のこと。

練炭自殺。司法解剖。
推定死亡日は、11月17日。
あんなに美しかった人は、もはや見る影もなくなっていた。

四姉妹の中で、最も美しい人だった。
優しく、愛情深い人だった。
我が子は持たなくても、5人の甥と姪を愛し慈しんだ人だった。

そして私たちも、彼女を愛していた。

私は、彼女を搾取し、苦しめ続けた彼女の配偶者が嫌いだった。
こんな結末を迎えた今、更に大嫌いになった。
最後の最後まで、卑怯で弱くてどうしようもない男だったと思う。

12月2日。
ひっそりと営まれた葬儀に集まったのは、わずか20名足らずの親族。
顔は白絹に覆われ、身体ももはやどうなっているのか想像がつくような状態で、最期の別れを告げることとなった。

人には命数というものがあって、それを使い果たす日までは様々な選択を重ねて生きていく。
立ち止まったって、休憩してたっていい。嫌なことから逃げても構わない。
ただ、命を使い果たすまでは生きていなくちゃいけない。

こんな死に方をしていい人ではなかっただろう。
もっと安らかで穏やかな日々だって、選択次第では得られただろう。

遺された姉たちが、妹が、甥たちが、姪たちが、どれほど悲しい思いを引きずって生きていくことになるのか。
そんなことさえ考えることも出来ないほど、疲れ果てていたのだろう。

物言わぬ骸となり、骨となった彼女は、配偶者と共に遠い地に葬られることになる。
実家の菩提寺に引き取ることも考えたそうだが、最期まで共に行ったのだから、一緒に入れるお墓がいいだろうということになったようだ。
だから、お参りすることももうないだろう。

でもね、私は本当に大好きだったんだよ。
赤ん坊の頃から、いるのが当たり前の人だった。
いい年をした甥姪たちが、目を真っ赤にして涙を流すほど、あなたを愛していたよ。

私はあなたの、顔じゅうをくしゃくしゃにして笑った顔だけを覚えて、生きていく。
最期に顔を見せることも出来ないような死に様だけは、絶対にしない。
それが、あなたが最後に教えてくれたことだと思って生きていく。

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