
探求道(またはオタク道)の我が師匠・大瀧詠一 -探求する旅路・随想編⑤-
今年のベストセラー本の著者にオタク界の神髄を感じ入った件に前回触れた。多少なりのオタク気質を自覚する私にも趣味の世界でお手本にさせて頂く人物がいる。その人は大瀧詠一。いや、もう趣味を超え人生の様々でお手本に崇めたい程で、私の心の“師匠”である。
音楽制作・表現者としての大滝詠一(彼は人格ごとにペンネームを変える)も大ファンで、拝聴させて頂くときは(心が)自然と正座の佇まいになる。しかし我が師と崇めるのは表現者の人格としてより、むしろ音楽趣味人の立場での徹底的アプローチ手法、いわば求道者としてのあり姿である。師は少年時代、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「カラーに口紅」で洗礼を受けて以降、アメリカンポップスの世界に傾倒し、リバプールサウンド、日本の流行歌や民謡、コミックソングまでも射程圏内に捉え、地球から御旅立ちになられるときまで研究を重ねた。
師の求道の特徴は、ポップスの“系譜”を紐解いて解明すること。つまりポップス進化の形態を時系列上の関係性・つながりで解き明かしていく点にあります。まあ音楽世界の”家系図”の再現と言ってしまって大きく違わないのですが、学術界の人と違い論文も著述も系図もアウトプットとして残しません。自身のラジオやゲストの番組の場など口述の形で発せられます。圧倒的な知識はそのリスナーに留まらず、媒体ほかを通じ時空を超え継承されていくところがまるで芸道の様であり、”師匠”という称号が自然に拡散した背景と思うところ。実際に私自身も世代は下の人間で師のラジオはリアル聴取しておらず、録音素材や近しい人の証言・寄稿から編纂された出版物を通じ、後追いで大師匠の研究成果を学んだ一人に過ぎません。
物心ついた時分から歌や音楽が好きと自覚し、裕に半世紀以上の歳月を過ごした私。その趣味において師の影響をどの様に受け、何かを変えたのか?
コミュニティFM局の50年前の米国チャートTOP10をフルコーラスで流す番組を10年超、原則 毎週聴き続けるほど飽くなき興味を生じさせ、そして私の誕生前まで遡って、ポップスの進化体系を体感で掴むまで導いてもらえたことだろうか。以前オールドファッションと捉えていた前世代の音楽さえ、いまはどの時代モノも新鮮味を伴い心に投影されてくる。それは多分、時々の進化点に想いを馳せ、その偉業をリスペクトするから。系譜の意識づけはクラシック音楽まで数十年振りに私の関心領域に戻し、最近はバッハまで遡っているほど。
音楽鑑賞道はアマチュアの私に奥深さが半端なく、探求にはまだ相当長い年月を要してしまいそうで日常に時間をしっかり割り当てておかないと駄目だし、とてもワクワクしてくる。
(2024.12.30)
[フォト:師匠(ソロ)旅路のはじまり]