結婚式でみた愛について、いま思うこと
結婚式の翌日、その余韻冷めやらぬわたしはこんなツイートをした。
あの日以降、(あの愛の正体はいったいなんだったんだ…)そんな問いがずっとあたまの中をつきまとった。しっくりくる表現がまったく思い浮かばない。言葉にしようとしたとたんに、なにか違うものとして自分にインストールされそうな気がして、とにかく慎重に繊細に思考を巡らせた。
ただただ「あの感覚は忘れたくない。忘れてはいけない。」という、そんな強い想いがずっと支配していたように思う。
とはいっても愛はもちろん姿かたちのないもので、実際にはみえていない。目の前に広がる光景、空気感、からだの芯から昂る気持ち。じんわりとあったかくて、それでいて爽快感もある。ゆらゆらと漂っているような感覚と、地に足がついたような確かな感覚。
あの日、わたしは間違いなく愛をみた。ほんとうに。(何回でもいうよ。)
いままで味わったことのない、なんとも不思議なあの感覚は、いったいなんだったんだろうか。
そもそも結婚式はちょっと怖かった
「自分の大切な人たちが一堂に会すのは、結婚式とお葬式だけ」とよく耳にする。なにって、まさにその事実が恐ろしかったのだ。
家族にみせる顔、親友にみせる顔、職場でみせる顔、はじめましての方にみせる顔、その場その場に適応するように、もれなくすべてちがうキャラクターで生きてきたわたしは、当日、一体どれだけの人にどの姿をさらすことになるのか、考えるだけでその”大切な1日”に集中できないであろうことを懸念していた。
つまり、各コミュニティごとにのびのびと出現していたわたしのなかに存在する性格の違うキャラクターたちが、当日各方面から一堂に会した人たちを前にして、大混乱もしくは思考停止するであろう、と。複数の異なった顔をもつわたしを絶妙にコントロールしてくれる主人格であるわたしが制御不能になるであろう、と本気で思っていた。先人の花嫁たちはこの状況をどう乗り切っていたのか気になって仕方なかった。(明らかに式前に心配する領域が他とちがう。)
ただ、実際は違った。恐れていた事態と180度逆の状態。わたしのなかに存在するあらゆるキャラクターたちはもれなく全員ひたひたの愛に浸っていた。制御不能どころか、だれ一人混乱することなく、にこにこニヤニヤしながらあたたかく見守ってくれていたような感じがする。あれほど心配していたことなのに、なんならそんなことすらすっかり忘れて、心はいつも以上に穏やかだった。
驚いた出来事がもうひとつある。
わたしは、慎重派もいいとこで、なにごとも用意周到に準備するタイプだ。
人前でなにか話すことが事前にわかっていようもんなら、それが数秒の自己紹介であれ、プレゼンであれ、事前に原稿をきっちりと準備する。パワポの下に、メモどころかアイスブレイク含めて話す言葉すべて一言一句記載したこともあるほど。アドリブ利かない検定準2級。なんやそれ。
それが一生に一度の一大イベントともなると、数日間練りに練った挨拶を暗記して、直前まで念入りに復唱するレベルだ。なのに、なのに何故だか違った。
冒頭の挨拶も、ゲスト紹介も、最後の挨拶も何ひとつ事前に考えずに当日を迎えていたのだ。それはわたしの人生において異常なことだった。
日に日にせまる結婚式。事前に考えることが意味のないことであるとすら思えていた。「なんか、そんときでイケる気するわ。何話すかは当日のノリで」と、前代未聞の心の軽さで挑もうとしている自分がいた。すべてを手放して、妙な余裕をもちあわせていた。
わたしの結婚式は、もう準備の段階から着実にその日に向けて心の準備ができていたのだ。これは間違いなく、わたしたちが式をあげるまでのプロセスがそうさせてくれた。
愛がみえる世界をつくるIWAIのプロセス
CRAZY WEDDINGが手掛けるIWAI OMOTESANDO。わたしたちはここで結婚式をすることを決めた。見学したその日に。ほかの式場は一切見ずに。
わたしが愛がみえただのなんだの言いだしたのはこのCRAZYのブランドメッセージとの出会いが大きい。(ぜひ全文を読んでほしい)そもそもみえるものだと思っていないし、愛なんて大袈裟で恥ずかしい言葉はわたしの人生に馴染みがなかった。
ただ、この視点に触れたという紛れもない事実によって、あの結婚式当日、思考をぶっとばして体感覚としてまるっと全身で感じたものについて考えさせられているきっかけとなっていることは、言うまでもない。
正直、結婚式はやってもやらなくてもどっちでもよかった。結婚式をしなくても、紛れもなくわたしたち2人はそれぞれの意志で夫婦となり、だれに披露せずともその事実に変わりはないからだ。
ただなんとなく、今やらないときっとこの先そのタイミングは訪れないと思った。いろんな偶然といろんなタイミングが重なって、なんだか大きな流れにのって自然と辿り着いたのがここだった。
IWAIを知ってしまうと、もはやここで結婚式をすることは必然のように思えた。
まず、担当のプロデューサーがわたしたちの馴れ初めどころか、生まれてからの人生をこと細かにまるごとヒアリングしてくれる。そもそも最初の打ち合わせでここに2~3時間つかう。そんな結婚式の打ち合わせ、聞いたことがない。
そして2人の人生がライフストーリーとして1つのムービーにまとめられる。わたしたちのためだけに。
2回目の打ち合わせで、はじめてそれを見たとき、(あぁ、わたしの人生悪くないな。むしろ最高にイケてる、、愛おしすぎるな。)と、わたしはここで、自分の人生をはじめてまるっと肯定できた気がする。とにかく全身が熱くなった。
我々はこのムービーをとっても気に入り、当日流してもらうことにした。
このライフストーリーについてはあと1万字書けるので改めて――
IWAIの結婚式は準備するものがほとんどない。7割はゲストへの手紙を書く時間にあてる。なぜあなたを呼んだのか、あなたはわたしにとってどんな存在なのか。自分自身に問いかけながら、一人一人と向き合い、これまでとこれからに想いを馳せる。450字程度と記載があるのに、芋づる式にいろんなことが思い返されて、全員もれなく字数オーバーして想いを綴っていた。会う前から気持ちが高まっていた。
つまり、当日を迎えるまでに自分と夫とゲストとしっかり向き合うことができていた。
そして当日、挙式本番直前に言われた担当プロデューサーからのひとこと
「今日、これからの一瞬一瞬を噛みしめて、じっくり味わってください。」
この言葉は今でも忘れない。
両親からの手紙や大切な人からのはなむけの言葉、夫からの誓いの手紙。その日交わされる言葉ひとつひとつが尊くて愛しくて。泣いて笑ってまた泣いて、感情はぐちゃぐちゃなのに、どことなくじんわりとあたたかく、妙に落ち着いた感覚が全身を包み込む。
「新郎さま、新婦さまどちらから話されますか?」
パーティー中にスタッフの方から声をかけられる。
その日も夫がまずわたしに意見を聞き、これだとどう?とわたしが提案する。そして彼が最終の決断をする。わたしたちの定番の意思決定フローで、そのとき、その瞬間の2人の意思を常に尊重してくれた。
自分が満たされた状態で出てくる言葉は、おどろくほど自然に心と馴染んでいたように思う。
そしてわたしはたいてい、心の奥底から伝えたいと叫んできたことばが口をついたとき、もれなくのどが熱くなり、声が震え、涙がとめどなく溢れてくる。
建築、料理、ゲストへのポートレート撮影…惚れこんだものは数知れず。形式に捉われず、本質を追求したIWAIのトータルの世界観が特別な空間をつくり、わたしたちの節目となる大切な1日を最高の日へと導いてくれるのだ。
つくづくわたしは人生の節目にナイスな選択をする。
(IWAIでのプロセスはまだまだ語り足りないので後日整理することにする)
あの日みた愛について言語化することをやめた
愛についての話にもどる。
ある日読んだ本にこんなことが書いてあった。
「あぁ、こういうことなのかもしれない」と思った。あのとき感じたあの感覚は、ことばにしなくてもいいのかもしれない。
あの、瞬間瞬間の点のようなことばにできない「いま、ここ」の実感の連続が、愛となってわたしの前に立ち現れていたように感じる。
一人一人との "これまで" と "これから" の関係性への安心感と、その関係をつくってこれた自分自身への誇りと確信。
過去と未来、思考がどちらにひっぱられるでもなく、ちょうどそのパワーが均衡した状態が訪れたとき、自然と「いま、ここ」のゾーンに心が在り続けることができるのかもしれない。
いま思えば、そもそも思考をとおらず体感覚で受け取ったものを、わざわざ頭をとおして考えようとしていたこと自体がナンセンスだった。
大切なひとたちが目の前でたのしそうに過ごしている。大切なひとと大切なひとが繋がって、またひとつ大きな繋がりが生まれる。ワッと盛り上がる瞬間と静かな静寂にその場が溶け込むような瞬間。
いろんなエネルギーが循環するなかで感じたそのすべてが、目にみえないはずの愛となって全身を駆け巡った。
今はこの感覚がいちばんしっくりきている。
感じたままのイメージを抱きしめておくこと
愛はきっと常に自分のすぐそばでゆらゆらと漂っている。それがみえるかどうか、感じとれるか、のがさず捉えられるかどうかは、「いま、ここ」に在り続けることができるか、という自分の状態に大きく左右されるものなんだと気付かされた。
自分と他者と影響しあうなかで予想できない瞬間に立ち会うことがこんなにもパワフルで愛おしいものだと思わなかった。
わたしはこれからもあの忘れられない結婚式の1日と並ぶような愛にあふれる瞬間を感じて生きていきたい。余計な思考ははぶき、今その瞬間に流れる場のエネルギーを感じとって素直に受け取る。そう簡単なことではないけれど、あの瞬間に立ち会うまでのプロセスで得たヒントをもとに、感受性を豊かに育てていきたい。
結婚式、やってよかった・・・!
わたしはこれからもあの日感じた感覚を忘れないよう、ただ、たしかにそこに在った、その事実をそのまま抱きしめ続けていたいと思う。
photo by kuppography