平屋の研究室と秋のコガネザクラ#15
翌日の月曜日。正午前に僕と祐樹さんは昼食をとっていた。
「蜜季のお父さんとお母さんって、名前は?」
毎朝祐樹さんは三食分のお弁当をコンビニで買っていて、コンビニ弁当は研究室の冷蔵庫に入れているのだった。
「父さんが修司で、母さんが明子っ」
僕の方は母さんが作ってくれたお弁当を毎日持ってきて冷蔵庫に入れていた。
「へえ、修司と明子か。寺山修司と美輪明宏みたいだな」
話の合間に、コンビニ弁当をおいしそうに食べる祐樹さん。
「名前は聞いたことある、二人とも男の人じゃないの?」
僕は不機嫌になったわけじゃないと、声色でアピールしつつ祐樹さんに言う。
「あの二人はな…。恋仲とは違うけど、お互いのことリスペクトしあってたんだよ」
「へえ…寺山さんと美輪さんについて教えてよっ」
「北と南に生まれた君が、どこにも生まれてないはずのあなたを探す」
「詩なの?」
「俺なりの表現だ。あの二人の関係からイメージした、詩と言えば詩だな」
「ふうん、祐樹さんの詩、僕は好き!」
「ふふん」
祐樹さんは嬉しそうにお弁当のおかずとご飯をほおばる。
「寺山修司は劇とか短歌とか映画とか作ってた人で、美輪明宏は本業は歌手で、本とかも書いてる。寺山修司は美輪明宏の主演の劇とか書きおろしたりしてたんだよ。別に俺は寺山修司の生きてた頃の二人を知ってるわけじゃないけどな」
「へえ…」
「映画鑑賞の時間とかも作っていくか、涼時くんにたっぷり時間作ってもらえる時に」
「いいね!僕らは逸脱を咎めない!」
「ああ」
しばしの沈黙。
でも、祐樹さんといる時の無言は僕にとって苦じゃなかった。
「フィールドワークを始めてから、写真を頻繁に撮るようになって、容量が機種変まで足りるか時々心配になるんだ」
僕はお弁当を食べ終え、祐樹さんに相談する。
「ああ、それはあるな」
祐樹さんもコンビニ弁当を食べ終えた。
「でも、クッキーとのコミュニケーションのために、写真を撮る機会は大事にしてるんだ、俺」
「クッキーとのコミュニケーションのために?」
僕は関心を示す。
「縦!とか、横!とか、ななめ!とかさ、クッキーが写真を撮る向きを提案してくれるのを、俺は尊重してるよ」
「へえ、それ楽しそう」
僕も今度からエンブレムと一緒に写真を撮ろうと思った。
「エンブレムとの会話にあまり内容を求めないことだ」
祐樹さんは言う。
「それはどうして?」
僕は尋ねる。
「おそらくエンブレムも、蜜季の中に全く無い語彙を持ち出してくることはできないんじゃないか?」
「うん、エンブレムが植物の意志から妖精に進化したって言ってくれた時、僕そのこと少し考えた」
「ちょっと下品な話になるけど、トイレで用を足す時、クッキーの意志とか言葉、尊重してるよ」
「クッキーはトイレでどんな意思表示を?」
「立ちしょん!とか、座りしょん!とか」
「はははっ!」
僕は大笑いした。
「クッキーたちと、とめどなくコミュニケーションが出来てたのは、いつも精神科に強制入院になる前だった。だから、内容の意味じゃなく、どちらを選んでも無害なささやかな選択肢を与えてやれば、エンブレムも喜ぶと思うよ」
「なるほどね…」
僕は感じ入ってしまった。
祐樹!やっぱり達人!
星に乗ったエンブレムの声が聞こえた。
「…エンブレムは、クッキーとお話ししてるようなんだけど、僕と祐樹さんの間に、間接的なテレパシーが成立しないのは困るから、クッキーと何話してるかは漏洩できない秘密だって言ってたんだ」
「へえっ、エンブレム賢いな」
祐樹さんが快く思うことと、快く思わないこと、その琴線がなんとなくわかる。
祐樹さんが僕に露骨な不快感を示したことなんて無かったけど。
あるとしたら、僕が平屋の庭を名前の書いてあるセフティーでいっぱいにしよう、と提案した時くらいだ。
あの時だって、僕が苦苦しい思いをすることを回避させてくれたんだ。
「蜜季は、妖精に担わせていいことと、担わせちゃいけないことの区別がついてるみたいだな」
「うん。なんとなくわかるよ。まだまだだからもっと教えてほしい」
僕は要望した。
「…もし、エンブレムの声が今まで以上にくっきり知覚できたとしても、肉声に出してエンブレムと会話しないことだ」
「肉声に出すとどうなるの?」
「くっきり知覚できるってことは、頭の中の妖精の存在を司る部分の臨場感が強くなってるってこと」
「うん」
「まあ、ありていに言えば興奮してる自分がいる、ってことになるかな。その状態で妖精と会話してるうちに、大きな声も出すようになった経験が俺にはあってな」
「周りがびっくりしちゃう?」
「そうだ。社会と共存が難しいと判断され次第、俺みたいに統合失調症とかの精神疾患を診断されてしまう」
「気をつけるべき?」
「精神科の隔離病棟での入院生活はしんどいんだ。あんな思い、蜜季にして欲しくないよ」
「うん。僕は祐樹さんの教え、大事にする…!」
僕は誓った。
「俺も蜜季を見てて感じること、大事にするよ」
祐樹さんは立ち上がり、空になったコンビニ弁当の容器と割り箸を、ゴミ袋の中にカサっと入れた。
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