平屋の研究室と秋のコガネザクラ#10

「おはようございます!」

「おはよー」

僕が平屋の研究室のドアを開け、出勤の挨拶をすると、祐樹さんがいつものように挨拶を返してくれた。

出勤時のインターホンはもう押さなくていいよ、と言われていた。

「蜜季、洗濯物溜まってきたから近くのコインランドリーに行きたいんだ。フィールドワークがてら道案内してくんないか」

「了解です!」

祐樹さんは乗り物のバスを模した大き目の、材質はわからないけど、長方形型の鞄に洗濯物を入れて用意していた。

「公私混同だ!って言われたらどうしようかと思ってたよ」

祐樹さんは安心したように言ってくれた。

「そんなこと心配しなくていいよっ、行こ!」

僕ははにかんで歯を見せた。

今日はやや曇りと言った天気、時折晴れ間が覗く道のりを、僕と祐樹さんは歩き始めた。

「洗濯機、買わないの?」

「うん、遠くはないけど、雨の日は億劫になるよな。早めに買うことにする」

「グループホームではどうしてたの?」

「共同の洗濯機、交代で使ってたよ」

「ふうん、そうなんだっ」

今日は目につく植物なんかがあったりしても、観察するために立ち止まらずに、でもスマホで写真を撮ったりしながら僕らはコインランドリーを目指して歩いていった。

「お、自販機だ。コインランドリーにも自販機あるかな?」

「中は入ったことないからわからないなあ…」

「じゃあ今買っとくかっ。蜜季、道案内のお礼に一本おごる」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

どれにしようかと、僕は飲み物の列を眺めた。

「コーラの気分かなっ」

「よし」

祐樹さんが自販機のパネルにスマホをかざす。

「えーと、これだよな?」

スマホの画面の中で自販機と連動するアプリを僕に見せてくれる祐樹さん。

「うん!これ!…どうやって買うの?」

「コーラ、タップしてみろ」

僕は祐樹さんのスマホに表示された飲み物の中からコーラをタップした。

縦長のチケットのようなものが表示される。

「で、上にスワイプ」

「こう?」

シュッとチケットが自販機のほうにフレームアウトして、自販機はボタンを押してもいないのに「ピッ」とコーラのボタンが光った。

ガコンッ、とコーラが落ちてきた。

「へえ~」

「もう少し画面見てみな?」

何があるんだろう?と待ってると、ペットボトルのふたの上に印字されてそうなラベルが表示された。

「これ何?」

「スタンプだ。15個溜まると1本タダになるチケットがもらえる」

「へえ、僕も今度からこれで買おうかな」

「あー…、電子決済、お父さんとお母さんが使わせてくれるようになってからにしとけ」

「そうだねっ。祐樹さんは何買う?」

「コーヒー一択!」

祐樹さんはもう一度パネルにスマホをかざして、コーヒーの縦長のチケットのようなものを上にスワイプした。

僕が買った時と同じように缶ボトルのブラックコーヒーが落ちてくる。

「これでスタンプ何個?」

「まだ3個だな」

僕たちは飲み物を買い終えたあと、また目的地に向かって歩き始めた。

「飲んでいい?コーラ」

「お構いなく」

僕はペットボトルのふたを開けて、ぷしゅっ、という音の後、コーラを一口飲んだ。

「洗濯終わるまで俺はコインランドリーの中で待つけど、蜜季はどうする?」

「僕も一緒に待つ!駐車場でフィールドワークしようよ!」

「ああ、いいな」

やがて、僕たちは目的地のコインランドリーにたどり着いた。

ガラス張りの壁のコインランドリー。

中に入ってみると、外の車の音が一気に静かに聞こえるようになった。

「あ、やっぱり自販機あった」

祐樹さんが言った。

「でも、コカコーラの自販機じゃないよ」

「そっか。ならあん時買っといて正解だったな」

「だね、スタンプ溜まったし!」

「えーと、どうやって使うのかな…」

祐樹さんは空いてる洗濯機の説明が書いてる部分をじっと読み始めた。

僕はこれも勉強だと思って祐樹さんと一緒にここの洗濯機の使い方を考えた。

祐樹さんは今度は洗剤の自販機で使いきりの洗剤を購入し、洗濯機の蓋を開けて洗濯物を中に入れた。洗剤を入れて、お金を投入し、蓋を閉めて、スタートのスイッチを押した。

洗濯機の残り時間に「40」と表示された。

「タイマーかけとこ」

祐樹さんはスマホでタイマーをセットする。

「駐車場行くか、蜜季」

「うん!」

僕は小走りに出口に向かう。

祐樹さんは空になったバスの鞄を肩にかけて外に出てきた。

不思議と、祐樹さんといる時は、エンブレムのことをすっかり忘れてしまう。

ここ数日そうだった。

だけど、研究室を退勤した後の帰り道から、エンブレムは、今日も楽しかったね!蜜季!と、全部見てたよ、と言わんばかりに嬉しそうにするのだった。

「祐樹さんといると、エンブレムのこと忘れちゃう」

僕は苦笑して見せた。

「俺も、クッキーのこと忘れちゃってるなあ」

「僕が帰った後はどう?」

「ふとした時に、話しかけてくれるよ」

「そっか!」

駐車場に車が入ってきた時に邪魔にならない位置を僕と祐樹さんは散策し始めた。

「大学生の研究員はいつ雇うの?」

「給料らしい給料は無いからな。雇うのとはちょっと違うんだけど、まあ求人出すのは研究室でデスクワークも色々できるようになった頃だな」

「デスクワーク!すごい!なんでデスクワークって言葉がこんなにわくわくするの!?祐樹!!」

「へへ、俺の魔法だ。今はミーティングの楽しい呼び方を考えてるんだよな」

「ミーティングかあ…」

「あ、見ろ蜜季っ。苔の上を毛虫が進んでる!」

「どこ!?ほんとだ!キャタピラみたいに進んでる!」

僕はしゃがみ込んだ。でこぼこの苔の上をものともせずに毛虫は前進していた。

「動画撮ろうか迷う僕がいる!」

「虫はやめとけ」

祐樹さんは苦笑するように言った。

「でも!こんなのめったに見れないよ!僕!やっぱり撮る!」

「そうか、止めはしないぞ?」

僕はスマホをかざして毛虫が苔の上を前進する様子を動画で撮影し始めた。

30秒くらい経過して、僕は動画撮影を終了した。

「わあ…生き物ってすごい…」

幼稚園の頃、砂場の平らな石造りの囲いの上を毛虫がよく這っていたけど、毛虫の体というのはこんなにも機動性に優れていたんだ。

「ふう、めぼしい発見をしたことだし、中の椅子に座らないか?蜜季」

「うんっ、そうしようか、祐樹」

「あ、呼び捨て」

「あ、まだモンコレで勝ってなかった」

「ああ。モンコレも近いうちやろうな。中行こうぜ」

僕らはコインランドリーの中の長椅子に座った。

祐樹さんはここでコーヒーのボトル缶の蓋を開封した。

「なんか…、タイミングが大人だなあ…」

「お前は感動屋さんだな、いい資質だ」

僕もコーラに口をつけた。

「なあ、蜜季」

「何?」

「俺が煙草吸ったら嫌か?」

「え、祐樹さん喫煙者だったの?」

「色々あってやめてたんだ、でも、また吸い始めようか迷ってた」

「せっかくやめたんなら、ずっとやめたままでいいんじゃない?」

「まあな…」

祐樹さんはボトル缶を傾けてコーヒーをあおった。

「例えば、お前と平屋の中で話してる最中に、吸いたくなっていちいち外出てたら、煩わしいと思われるかな、とか考えててさ」

「うん。それは嫌だよ、やめたままでいてほしい」

僕はきっぱり要求した。

「うん、お前がはっきりそう言ってくれてよかった」

「…あと何分?」

僕が洗濯が終わるまでの時間を尋ねると祐樹さんはポケットからスマホを出してタイマーの残り時間を確認した。

「タイマー上は25分くらい」

「洗濯機上の時間とどのくらい誤差が出てるだろうか」

僕は祐樹さんの使ってる洗濯機に近づいた。

「祐樹さん!こっちだと20分だ!」

「えー、早まってるの?俺やっぱり早めに自分の洗濯機買うよ」

「早まって困ることある?」

「早まるだけならいいけど、そうとも限らなそうなのは嫌だな」

「あてにならないのは嫌だね、確かに」

祐樹さんがあくびをする。

「ごめん、歩き回れない場所で拘束されるのって退屈だよな」

「一緒に待つのを選んだのは僕だよ」

「お、蜜季はそう考えてくれる人か」

「他にどんなことを選ぶ人がいるの?あ、今の言い方、問い詰めてるみたいになっちゃった、失礼しました」

祐樹さんは沈黙する。

「…たとえば、というか、わかりやすく言えば、自分が選んだことを認めない人がいるな」

「自分で選んだことを認めない?」

「まあ、人のせいにするってことだ。自分の非を認めずに済むと、そういう人は考えるんだろうけど、そうしてると、自分の外部要因に振り回されることになっちゃうんだよな」

「どうしてそうなってしまうんだろう?」

僕は疑問を声に出した。

「自分に非は無い、ということは、自分は関与してない、って思ってることになりはしないか?」

「うん」

「自分の選択に自分が関与してない。そうすると、自分が行きたい方向に行く原因を担ってくれるものを探す人生になっちゃうんだと俺は考える」

「占いとか?」

「健全な占いもあると思うけど、そうだな。ようするに自分の自律性と責任を問われた時に心の中に、あの人がこう言ったから、とかやっぱり逃げ道を用意するばかりになってしまう、その始まりは、自分で選んだことだと認めるという、小さな決断を軽んじたことだ」

「自分の心にズルは通用しないってこと?」

「お見事、その通りだと思う」

「…エンブレムやクッキーと仲良くすることはズルに含まれる?」

「ああ…」

祐樹さんは感じ入った様子だった。

「どうだろうな」

祐樹さんがそう言ったのを聞いて、僕は沈黙した。

「祐樹さん、くっついてもいい?」

「基本的にスキンシップはしないでおきたい」

「そっか…」

祐樹さんがきっぱりと線を引いてくれたので、僕はかえって安心した。

僕も祐樹さんもお互いに不完全であることが、暗黙の共通認識として、共有できた気がした。


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