平屋の研究室と秋のコガネザクラ#13
平屋の研究室の中に、冷蔵庫やエアコン、容量無制限のインターネットワイファイなどの機器が一通りそろったのは五月の下旬。
充実した日々は六月に突入した。
弘前大学の農学生命科学部に出した求人に応募があった。
今日は僕と祐樹さんとで応募してくれた大学生の面接をする日。
応募資格に、祐樹さんは大学1年生であることを明記した。
僕と祐樹さんが庭でフィールドワークしながら、面接に来る大学生がどんな人か、どんなことを質問しようか、と話し合っていた。
やがて、自転車に乗った人があたりを確認するように見渡したりしながら平屋の研究室の庭の前に止まった。
僕と祐樹さんは顔を見合わせて、「あの人かな?」、「あの人っぽいな」と話した後、自転車から降りた大学生らしき人のほうに歩いて行った。
「鈴木涼時さん?」
僕はその人に尋ねる。
「はいっ。求人に応募させていただいた鈴木です。面接を受けさせていただくことになっていたのですが、パラダイムシフトという研究室はこちらですか?」
「そうです!」
僕は元気よく答えた。
「時間どおりですね、さっそく面接を始めたいので研究室の中へどうぞ」
祐樹さんが丁寧語で話したあと腕を平屋のほうに向けた。
「本日はよろしくお願いします」
鈴木さんはリラックスした様子で入口へ歩く祐樹さんと僕の後を歩いていた。
祐樹さんが僕の顔を見て、「いい奴そうだな」と目で言ったのを心の耳で聞き、僕は「うん」と声に出さずに頷いて見せた。
丸椅子を三つ、輪にして研究室の中に僕と祐樹さんは配置していた。
「手のしぐさとかも見たいので、こういう形を取らせてもらいました」
祐樹さんが鈴木さんに向かって机の無い面接の意図を伝える。
「構いません。手のしぐさですか…」
鈴木さんは感心したように言った。
「まあ、意識せず、自然体で受け答えしてもらえると嬉しいです」
「はい」
祐樹さんが丸椅子に座ったのに合わせて僕も座る。
鈴木さんもリュックの中の履歴書を取り出して、丸椅子に着席した。
「履歴書、見せていただいていいですか」
祐樹さんが鈴木さんに言う。
「はいっ。改めて本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。では、面接を始めさせていただきます。菌ネットワーク研究室パラダイムシフト、室長の三浦祐樹です」
「研究員の三浦蜜季です!」
「お二人は親子でらっしゃいますか…?」
鈴木さんは目を丸くして言った。
「いえ」
「たまたま名字が同じだけです!」
僕と祐樹さんは阿吽の呼吸で返答した。
「仲が良さそうなので、本当の親子かと思いました」
鈴木さんはトンチンカンなことを言ってしまった、と恥ずかしがるように笑った。
「おや?一浪でらっしゃいますか」
祐樹さんが履歴書を見ながら鈴木さんに尋ねる。
「はい。一年浪人して、農学生命科学部の生物学科に今年入学しました」
「浪人の間の一年間はどのように過ごされてましたか?」
祐樹さんが面接官らしく振舞ってるのを、僕は微笑みながら見つめる。
「勉強だけでは自分がだめになってしまうと思ってアルバイトしながらの一年を過ごしておりました」
これなら僕も自然に必要な情報に関しての質問できると思い、僕は質問してみた。
「なんのアルバイトですか?」
「飲食店です。詳しくは履歴書にも書いてあるのですが、ファストフードのチェーン店で働きながらの浪人生活でした」
「ほう、ファストフードですか。接客も調理もやっておられたのですか?」
僕が履歴書を覗き込むと、祐樹さんは履歴書を手渡して見せてくれた。
「はい、簡単な調理ですが、調理と接客、両方経験させてもらいました」
僕は今は静かにしてようと思った。
「なるほど。浪人生活の話はこのくらいにして、この度研究員を志願してくれた動機を聞かせてもらえますか」
祐樹さんは鈴木さん全体に焦点を合わせるような目で面接を進行する。
「私は、子供の頃から、自然や生き物が好きで、特に生態系と環境の関係に強い関心を持っていました。大学入学を機に学業に専念するためにアルバイトは辞めたのですが、大学生活にも慣れて余裕が出てきたころに今回の求人を見たんです。それで、パラダイムシフトの室訓三つを読ませていただいた時に、この研究室で遊びながら研究してみたい、そう思った次第です」
鈴木さんが誠意の返答をする。
「なるほど」
祐樹さんが言う。
僕はもう、この人がいいんじゃないかと思った。
「今この場で採用を告げたとしたら、いつから来ていただけますか?」
祐樹さんも僕と同じ考えだったようだ。
「明日からでも…!」
鈴木さんは熱意を見せた。
「そうか。とは言ってもほんとに遊びながら研究して、仮説立てて、実験と実証はネットを介した利害関係の無い研究者まかせ、という、本当に室長まで自由奔放な研究室なんだよ、鈴木さん」
祐樹さんがいつもの口調に戻った。
「楽しそうです。明日からでも研究員やらせていただきたいですね」
「未成年の研究員もいるから、公平性を保つために現金の給料は出さない方針なんだ。ただ単に、ここで俺やこの子と遊びながら研究するのが楽しくないと続かないと思うんだ。ただフィールドワークやデスクワークや議論や雑談をするだけのために、この研究室に通う気力は持てそうかい?」
「はい!持てます…!きっと!」
「よしなら、研究員の意見を聞いて今この場で採用するかどうか決めよう。蜜季」
僕は待ってました、と息を弾ませて自分の意見を言う。
「僕は鈴木さんがこの研究室に来てくれたらうれしい!」
率直に僕は言った。
「室長の俺も同意見だ。というわけで鈴木くん」
「はい!」
鈴木さんが顔を輝かせる。
「これからよろしくな。採用だ」
祐樹さんは採用を宣言した。
「やったああ!」
僕は歓喜の声を上げる。
「よろしくお願いします!稼働時間は8時半から15時までですよね?時間のある時は極力顔を出します!」
「うん、無理の無い範囲でな」
祐樹さんが言い添える。
「鈴木さん!涼時さんって呼んでいい!?」
「じゃあ、僕も、みつきくんって呼んでいいかな」
「もちろん!」
僕は快諾する。
「字はどう書くの?」
「蜂蜜の蜜に季節の季!」
「よろしくお願いします、蜜季くん」
「こちらこそ!よろしくお願いします!」
菌ネットワーク研究室パラダイムシフトの、メンバーが揃った。
「涼時くん、この後の予定はどうなってる?」
祐樹さんが涼時さんに尋ねる。
「11時までに大学のほうに到着しておく予定です」
「うん、今日のところはここまでにしとこうか」
祐樹さんがやんわり今日の解散を提案した。
「僕はまだいていい?」
「ああ」
その時、涼時さんが本棚の方を見た。
「どんな本があるか見ていいですか?」
「どうぞ?」
僕たちは本棚の方に歩く。
「僕!ここに並んでる本、全部読破するつもりなんだ!」
「素晴らしい」
涼時さんはそう言ってくれた。
「お、藪の中がある…」
涼時さんが芥川龍之介の『藪の中』を見つけたようでそう言った。
「それ!僕、藪の中だけ読んだけどよくわからなかった!」
「室長、どうやって藪の中の面白さを伝えてあげたらいいでしょう?」
「祐樹さんでいいよ。そうだな…」
それから祐樹さんは藪の中のあらすじをおさらいしてくれた。
「うん!そう!全部どこか食い違う!!いったい何なの!?」
僕はクレーマーのように文句をつけた。
「真相は、藪の中」
「おわあっ!!」
祐樹さんの締め方に僕はぞわっとして声を上げた。
「うまいですね、祐樹さん」
涼時さんは感心した様子だった。
僕はと言えば、文豪の世界観の一端を垣間見て動転した心地だった。
「涼時くん、生物だけじゃなく文学もいけるのか?」
「浪人中に息抜きがてら読んでました」
「そうか。この本棚にある本は俺の37年の人生の中で出会った本のベストセレクションと言ったところだ。基本的にレンタルしないでほしいんだけど、サクッと読み終われる本が多いし、モネとゴッホの栞もここに用意してる。好きな時に読んでみてくれ」
「はいっ!」
僕は三人でフィールドワークをしてみたくなった。
「祐樹さん!涼時さん!解散前にフィールドワークしとこうよ!」
「ああ、いいな。どうだ?涼時くん」
「ご一緒させてもらいます」
僕らは庭に出てフィールドワークを始めた。
涼時さんはエンブレムと僕が書いたセフティーが地面に刺さってるのを見つけて「この立て札に書いてあるエンブレムってなんですか?」と僕と祐樹さんに尋ねる。
「蜜季がこの庭で一番仲いい植物たちにエンブレムって名前を付けたんだ、その目印のセフティーだよ」
「なるほど。蜜季くんは自然と仲がいいんですね」
「祐樹さんには負けるけどね!」
「え?」
涼時さんは祐樹さんの方を見る。
「僕より祐樹さんの方が妖精との付き合い方を心得てる!」
「自然への愛情に優劣をつけなくていいよ~、蜜季~」
祐樹さんは複雑そうな声色で言った。
「わざわざ研究室を構えるくらいですもんね…僕も自然への愛情と畏敬を忘れないでいたいものです」
涼時!いいやつ!
星に乗ったエンブレムの声が小さく聞こえた。
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