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【短編集】アレグロ・セレニスの音楽性

プロローグ「僕らは出会えない」
1.音楽に目覚める少年と少年愛者の新譜
2.流星のような雷鳴は砂漠の雨の中で
3.妖精界の冬のお盆と線香花火
4.輝ける過去との並走
5.灯火がまだらな古い図書館と夜の革命学
エピローグ「プレアデス」

プロローグ「僕らは出会えない」


「えー、なんかあ…。浮気しまくって俺のことなんか全然大事してくれない彼氏がいい〜」

それを聞いたミユキの通話相手は声をあげて笑った。

「なんでさっ、大事にしてくれる彼氏の方がいいでしょっ!」

ミユキの通話相手は年齢こそ伏せていたが、ミユキより年上で、ミユキの真意を探ろうとしてる様子だった。

「自分なんて、なぁんぼー…」

ミユキは気だるそうでいて楽しげに、彼の座右の銘を唱えた。

そう、ミユキは卑屈と傲慢の中庸の矜持、つまり、ちょうどいいくらいのプライドの持ち方として、「自分なんて、なんぼ。」という座右の銘を保持しているのだった。

「はははっ、なんかラムネくんらしいね!」

通話相手にラムネと呼ばれたミユキは嬉しそうにした。ラムネというのは、ミユキのハンドルネームだった。ラムネの瓶の、飲み終わっても取れないビー玉が、ミユキにとって理想的な人格のあり方だった。

たとえ彼氏だろうと、自分が邪魔なら邪険に扱ってくれて構わないし、それでも別れず繋がってることを選んでくれてることが、なんだか上がる。

ミユキはそのように思っていた。

「でーもお!彼氏に冷たくされるのはよくても、友達に冷たくされるのはヤじゃない?」

ミユキのコラボ相手のティーさんが話題を広げる。

「えー?俺の友達は俺のこと大事にしてくれるよ?逆言えばあからさまに最初横柄な態度取るやつとか好きになる率高いかも」

ミユキがラムネとして返答する。

「変わってるね、ラムネくんって。でもそこがいいよね!」

ミユキはティーの配信のコラボ通話に応募して発信をかけたのは今日で2回目だった。

前回はノリでゲイであることをカミングアウトした後、急にとんでもないことをしたような気持ちになって通話を切ってしまったのだった。

ティーさんもゲイであることを公表していて最初から配信タイトルにしてたくらいだったので、ミユキはセクシャリティについてほんとのことを言ったくらいで嫌われるならそれまでの縁だったと思うことにしようと思っていたが、ティーさんは前回急に通話を切ったことなど全く気にしていなかった。

ふと、ティーさんが歌を口ずさんだ。

「へえ?昔の歌?」

ミユキは古風だけどエモさのあるメロディーを聞いてティーさんにそう聞いた。

「最近最近!この前出たばっかだよ、アレグロ・セレニスっていう?インディーズらしいんだけど、俺今になってCD買ったりしないからさ〜」

ティーさんが返答した。

「アレグロってテンポ早いとかそんな意味だよね」

ミユキがラムネとしてそう尋ねるとティーさんは「知らないよっ」と怒ってる演技をする声で言った。

「ちょっと待って、俺、セレニス調べてみる…てか、あ!俺、そろそろ落ちる」

ミユキは時間も程よく経ったことに気づいてコラボを切り上げようとした。

「うん、あがってくれてありがとうね!ラムネくんまたねっ」

ティーさんは朗らかに切り上げに応じてくれた。

「はい、はーい、ティーさんおやすみ〜」

ミユキはラジオ配信アプリのコラボ通話機能を切った。

ふう…。

スマホのブラウザでセレニスを検索するミユキ。

しかし、それらしい意味が見つからない。

(テンポ早いセレニス…。セレニスってなんだろう…?)

ミユキの記憶にアレグロ・セレニスという音楽グループなのかソロアーティストなのかもわからない名前が印象として刻まれた。

1.音楽に目覚める少年と少年愛者の新譜


ミユキはマニアックな新譜の扱いもあると評判のルーズというCD屋に来ていた。

あの後、ミユキはすぐに眠った。
朝起きてセレニスだけでなく、「アレグロ・セレニス」と検索することを思いつきすぐに実行すると、コラボ通話時にティーさんが言っていた通り、インディーズミュージシャンとしての「アレグロ・セレニス」がヒットした。

アレグロ・セレニスは男性のソロミュージシャンであった。
動画サイトでは彼のデビューアルバム「僕らは出会えない」の全音源が、ダイジェストでありながらも動画としてまとめてアップロードされていた。

ミユキはその4分ほどの動画を、等倍速で視聴し、ティーさんの口ずさんだメロディーが「イデアのつるぎ」という曲であることを把握した。

気になっていたアレグロ・セレニスのセレニスという単語はどうやら正式な単語ではなく造語ということらしかったのだが、元の言葉としてはserenityから来ているそうで、穏やかさや静けさを意味する元の言葉と同じく、アレグロという言葉と結びついたミュージシャンとしてアレグロ・セレニスの名義が保持していたのはテンポの速い心の平穏という、コントラストの効いた意味であった。

(あった!アレグロ・セレニスの「僕らは出会えない」!)

手書きのしゃれたポップの助けもあり、ミユキはすぐにアレグロ・セレニスのデビューアルバムを発見した。CDケースを手に取り、ジャケットを眺める。

黄昏時の空の下に墓碑が立ち並び、そこに離れた二人のシルエット。そのシルエットは透けていて、濃度が違う。直感的にミユキは、たしかにこの二人は出会えなそうだと思った。

ミユキは手をひねって持っていたCDケースを裏返す。裏には曲名が10個並んでいた。

『僕らは出会えない』
1.メランコリアの調べ(インスト)
2.心の翼を元気にしよう
3.理想郷の詩人
4.アウトサイダー
5.質感地震
6.孤独な調和
7.ネクロフィリアの葬儀
8.イデアのつるぎ
9.同胞のジレンマ
10.音楽がくれたもの

ミユキには、その文字の羅列が、ただの情報に思えなかった。

(この人はきっと、いい人だ…!)

ミユキがそう思った瞬間、ミユキの隣に若めの男性がやってきて、ミユキをアレグロ・セレニスのCDに導いたしゃれたポップを眺めていた。

黙々とポップを見つめていた若めの男性はその店、ルーズの店員と談笑を始めていた。

(よし、買うか!)

ミユキは、「僕らは出会えない」の購入に意を決した。

レジのあるカウンターにそのCDを持っていくと、談笑してた若めの男性と店員は、談笑をやめるでもなく、なごやかにミユキを話の輪に迎えた。

「アレグロ・セレニス買うの?君は何でこの人知ったんだい?」

ルーズの店員が気さくに話しかけてきてミユキは自分がラムネくんの時のテンションになったつもり応答する。

「ネットの友達と通話してたらその人が『イデアのつるぎ』を口ずさんでたのがきっかけですっ」

店員は若めの男性を茶化すように肘で小突いた。

「有名人だな、セレニスさん!」

店員は確かにその若めの男性を「セレニスさん」と呼称した。

「え?もしかして、あなたがアレグロ・セレニスさんなんですか?」

ミユキは「まさかそんなわけない」と思いつつ、場の流れを読み、若めの男性にそう尋ねた。

「ええと、その、はい。僕がアレグロ・セレニスと名乗ってるものです…」

若めの男性は謙虚そうにそう名乗った。

「歌えば証明できるだろう。君、友達が歌った曲の名前、わかるかい?」

店員の質問。

「イデアのつるぎ、だったと調べてわかりました」

ミユキは率直に返答した。

「きっとー!そばで耳を傾けてる心の友達の振りかざーすぅ!つるーぎーがーりんねーの悪循環をたちきってくれたーよ〜!」

アレグロ・セレニスを名乗った若めの男性の歌唱力に、ミユキは「あ…」と感慨を深めた。

「どうだい?信じるかい君は」

店員はミユキを試すように言った。

「僕ら、光の速さで出会えてるじゃないですか…」

ミユキがそう言うと、合いの手のように店員は「『僕らは出会えない』はずなのにな!」

と言った。アレグロ・セレニスと思しき若めの男性は苦笑する。

「僕ら、っていうのは、僕と僕の憧れの表現者を思ってつけたタイトルなんだけど、確かに、このアルバムのおかげで、僕は色んな人と出会えたな…。嫌味にあてこするんじゃなく、出会えたことをみんなはしゃいでくれた」

ミユキはこの人が本物ということで間違いなさそうだと思った。

在庫は豊富だったが、今持ってるCDを自分の物として確保したいと思ったミユキは改めて店員に購入を申し出る。

「サインをしてもらうといい」

ミユキが支払いを完了させると、CDを袋に入れる前に店員はアレグロ・セレニスに油性ペンを手渡した。

「それは、強制しちゃダメですよ店長、求められたら応じますけど…」

アレグロ・セレニスは図に乗らないようにしてるとミユキにはわかった。

「僕、信じます!サインしてください!アレグロ・セレニスさん!」

店員とアレグロ・セレニスはミユキの人格の温かさを感じたようだった。

それからミユキの購入した「僕らは出会えない」のCDの裏面にアレグロ・セレニスはサインをした。

なんだかんだでミユキとアレグロ・セレニスの二人はすぐ近くのカフェで雑談をしていた。

連絡先を交換するよう店員が発破をかけ、それには応じれないけど、お茶くらいなら応じてもいいよ、とアレグロ・セレニスはミユキを促した。

危ない話だ、と後からことの次第を知ったミユキの保護者は思うかもしれないが、ネットラジオアプリで見知らぬ人と話すことに慣れてるミユキは「楽しいかどうかは話してみないとわからない」と、積極的な交流に舵を切ったのだった。

「僕はね。堂々と誇ることのできないサガをもってるんだ」

アイスラテのカップを置きアレグロ・セレニスはミユキに語り始めた。

「気にすることないですよ。俺もゲイですし」

ミユキはこともなげに打ち明ける。

「…オープンだね、君は…。僕の場合、君のように、自分の持ち合わせてるものをフランクに開示することは、今のところできないな…」

アレグロ・セレニスは言葉を濁すようにそう言う。

「持ち合わせてるものって、性的嗜好に関わること?」

ミユキは相手のアレグロ・セレニスを包み込むような気持ちで尋ねた。

「…君の名前は聞かないでおくけどさ、君みたいな優しさと天真爛漫な温かさをもってる子を…、俺は魅力に思うんだ…。個人的な交流はこれっきりだと思うからこんなこと言えるし、このアルバムの小さなブームが終わる頃に、自分が少年愛者であること、カミングアウトしてインディーズ業界を降りる。そこまではイメージしてあるんだ」

アレグロ・セレニスの語りにミユキは引き込まれた。

同時に、ミユキがゲイであることをカミングアウトした時に生じる、同性の友達全てに性的関心をいだきうると言う、拡大解釈の構図がミユキにも少しわかった。

「新譜を出す気は、もう無いのですか…?」

ミユキはアレグロ・セレニスとの奇跡の邂逅が、幻としての事実になってしまうように予感しながらもそう尋ねる。

「次回作なんて構想できないよ。ほんとに、音楽が教えてくれたもの全部をデビューアルバムに込めたんだ。チャンスに応えるには、僕にはそれが愚直、だけどベストだと思えたんだ」

ミユキとアレグロ・セレニスは出会った初日だからこその話の弾みっぷりを自覚していた。

回を重ねればこうはならない。アレグロ・セレニスもそれをわきまえていたし、ミユキの方もラジオ配信アプリでそれを学んでいた。

「このアルバムのタイトルの、僕らは出会えない、って、憧れの表現者さんとの距離を言い表そうとしたんですよね…?」

ミユキは悔いのないよう、気になっていたことを聞いた。

「ふっ、その人ってば、まるでお客のことを考えてないんだっ。いいこと言ってるのに、全然話題になる気配なくってさ。その金言を生み出す感性は、そういうなりふり構わず思索を深めようとする姿勢があってこそなんだろうけどね」

なんとなく切なさのあった対話に、静かな憧れの話題が灯る。

「その人がその人であるからこそ、僕らは出会えない…。そういうことなのかな、と僕は感じました」

ミユキは、ラジオアプリでティーさんに話した理想の彼氏の話を思い出していた。

やがて、対話は終わり、二人は割り勘で会計を済ませた。

「リスペクトの念を込めた割り勘、伝わったかな?」

アレグロ・セレニスはミユキに聞いた。

「はい、ただのお子ちゃまじゃなくて、一つの人格として尊重してもらえたように感じました」

ミユキは正直に答えた。

「ありがとう。アルバム、楽しんでくれよな、…じゃあね」

ミユキとアレグロ・セレニスは幻の時間を終わらせた。

立ち尽くすミユキは、袋の中からアレグロ・セレニスのデビューアルバムを取り出してジャケットを見つめた。

黄昏時の空の下。墓碑の点在する場所に濃度の異なるシルエットの二人。

「自分なんて、なぁんぼー…」

切なさを紛らわすように、ミユキは座右の銘を呟いた。

2. 流星のような雷鳴は砂漠の雨の中で


猛(たける)の最近のコンプレックス、つまりこの場合は劣等感、その源は、猛という猛々しい名前とその平和や幻想を好む性格のギャップ、つまり落差であった。

なまじ、元気で溌剌とした陽気さを露わにしていた時期もあっただけに、最近の猛のおとなしさに触れて、「変わったね」、「変わったわよね」と親友や両親は言うものであった。

それは猛の精神面での変化に対する無意識的なさみしさを紛らわすようなものだろうと、今の猛には感じられた。

自分がどんな気持ちで楽しい毎日を過ごしていたのか思い出せない。

高校入学を機に、猛は言ってみれば高校生らしい佇まいをするようになったのだった。

最近の猛の楽しみは、音楽を聴くことだった。

猛もスマホを与えられていたが、最近ハマってる音楽はインディーズレーベルから発売されたもので、月額制の聴き放題サービス、いわゆるサブスクにはまだ「アレグロ・セレニス」の音源は登場していない。

猛は学校にいる間に音楽が聞けないことを、前向きに捉えようとしていた。

スマホのメモ帳にアレグロ・セレニスのデビューアルバム、「僕らは出会えない」のインストを除く歌詞を、すべて手打ちで打ち込んでいた。

その歌詞の世界観たるや…。

猛のおとなしさは「僕らは出会えない」のCDを手に入れてから拍車がかかったかのようだった。

猛は目に入った文字の意味が唐突に理解できて、スマホをスワイプする手を止めた。

「自分本位の脚本から解放される勇気」

猛はその歌詞に感銘を受けた。

人は過去の幸福を生み出していた構造を再現しうる人物や要素と出会うと、それを新たな幸せの兆候と見なす。

知らず知らずのうちに人は過去の幸福を再現する自分本位の脚本を胸にえがき、それに憧れ、執着する。

しかし、もしもその執着してる幸福の鋳型通りの生活を送れたとして、それは生きた幸せなのか?

幸福というのはもっと、鋳型から生み出されると言うより、みずみずしく変動的なものではないだろうか。

そういうことを考えてた時だった。
猛は自分がしとしととした傘をさすほどでもない雨の中を憂鬱な気分で歩いてるイメージを心の中に抱いた。

そのイメージは、学校にいる自分と並行した世界で独立して存在するようなしっかりとした現実感があった。

猛はそのしとしとのかすかな雨の中を歩く自分の気持ちに心を集めてみた。

(まったく、人ってやつも雨ってやつも、どうしてこう…、お互いをわかり合おうとしないのだろう…?)

その、いわば白昼夢の中の心を注がれた猛は、人と雨のすれ違いに思いを馳せてるようだった。

白昼夢の中の雨がいまいましげに、猛に気づいた。

「君らが僕ら雨を忌々しいと決めつけるから、僕らだって人間を好きになりきれないんだ」

白昼夢の中の雨が思念でもって話しかけてくる。

「それじゃ相手の出方に左右されてるじゃないか。相手が変わらないなら自分も変わらないと言うのは…」

そこまで言って猛は自分もまた、先制して自分の内面を、すくなくとも観点を変えなければ他者と良好な関係を築けないことに思い至る。

「そうだな。農家の人たちはきっと君らを恵みの雨と捉えるだろうけど、服を濡らされることばかりに気を取られてちゃ人は雨を好きになれないだろうな…」

猛は感慨深げにしとしと雨に語りかけた。

「お前、わかってくれるんだな。人間でいいやつ、俺は初めて出会った!」

しとしとの雨はその勢いを強めるでもなく、しかし喜びを露わにした。

「ねえ!名前!人間は名前を考えれるだろう!?俺に名前をつけて欲しい!」

しとしとの雨は猛に要望する。

「そうだな…。じゃあ、『砂漠の雨』というのはどう?奇跡の相互理解、それはまさに、砂漠のあり得ない雨のよう。そんな意味を込めた」

猛はしとしとの雨にそう提案する。

「砂漠の雨!気に入った!今日みたいな弱い雨を『やさしくてめずらしい雨』と見なす、君の心の感性が、俺はいたく、気に入った!」

砂漠の雨は歌うように猛に言う。

猛は空の向こうを見た。

しゅん!と流星のように雷鳴が光った。

「あ!すごい、今の雷、流れ星みたいにやさしかった!」

猛は砂漠の雨にそう言う。

「雷だって!自分の意外な面を知って欲しいらしい!」

砂漠の雨が応える。

「へえ。最近大人しいと言われる俺だけど、変わったんじゃない、昔からこう言う面はきっとあったんだ。それが、高校生活を機に表に出ただけ…」

猛は砂漠の雨に聞こえるようにでもなく、呟いた。

「大丈夫!君はやさしい!表に出るものは君の一部!俺は君の深さの中にある猛々しいやさしさを知っている!」

砂漠の雨はそう言った。

「猛々しい、やさしさか…」

いつのまにか学校ではなく、猛は自分の部屋の中にいた。

(帰ってきたのか)

それなら、と、猛はアレグロ・セレニスの「僕らは出会えない」を音楽として流し始めた。

3. 妖精界の冬のお盆と線香花火


モチベは夢を見ていた。

妖精界に迷い込んだらしい。
常夏の空手。幼馴染のプロ野球。

妖精界は冬のようだが、小さな仏壇に線香花火が供えられ、文字通りぱちぱちと爆ぜていた。

(おっちゃんへの土産話になるぞ!)

モチベは妖精界の夢から覚めた。

時計が7時くらいの時刻を指してることを確認したモチベは朝食のトースト類を自分で用意し、食べ終わると台所のシンクに皿を置いて軽くゆすぐ。

牛乳を入れたコーヒーをすすりながら、部屋でおっちゃんがプレゼントしてくれたCDを流した。

アレグロ・セレニスの「僕らは出会えない」というアルバムだ。

哲学的な名言が散りばめられつつも、幻想的な情景のイメージを共有しようとしてるアーティスト像。モチベはそれを思い浮かべてからというもの、おっちゃんに推されて聴き始めたアレグロ・セレニスを自分でも好きになった。

モチベはさっき見た夢の断片を思い出す。

常夏の空手、誰かの幼馴染のプロ野球選手。
冬のお盆の線香花火。

おっちゃんは想像力が豊かだからこれだけフレーズがあれば、短いお話一本書き上げてしまうかもしれない。

今日は学校が休みなので、おっちゃんの家に遊びに行く約束をしていた。

おっちゃんはリタイアして生活保護を受けて暮らしていた。

おっちゃんには持病があり、市役所から仕事を探せとせかされることもなかった。
が、モチベの父はモチベが叔父を「おっちゃん」と呼んで慕っているのが、やや複雑な心境を抱かせる状況のようであった。

おっちゃんが2枚目を買ってプレゼントしてくれたアレグロ・セレニスのCD、「僕らは出会えない」。

おっちゃんの趣味だから当然なんだけど、おっちゃんのいかにも好きそうな幻想的な世界観の歌詞や音楽性があるとモチベには感じられた。

「僕らは出会えない」のラストの曲、「音楽がくれたもの」が終わる頃、モチベはおっちゃんにラインを入れた。

程なく既読がつき、先週の土曜から1週間ぶりにおっちゃんの家にいける。

モチベは落ち着いた服装を選び、家を出た。

コンビニで手頃なおやつや飲み物の買い物をして、モチベはおっちゃんの住んでるアパートの一室のインターホンを鳴らす。

やがて、ドアが開き、おっちゃんが嬉しさを隠すように「おうっ」っと出迎えてくれた。

いつも通りの土曜のルーティンといえばルーティンだった。

「おっちゃん!俺妖精の世界に行ってきた!」

モチベはおっちゃんのワンルームの部屋に上がると開口一番にそう言った。

「なんだ?セレニスの影響か?」

おっちゃんはモチベに尋ねた。

「アレグロ・セレニスっていうより、モンコレとアレグロ・セレニスの相乗効果かな!常夏の空手!誰かの幼馴染のプロ野球!そんで冬のお盆の仏壇の線香花火!すてきな夢だったよ!」

そこまでいうとおっちゃんは、「なんだ夢か」と、がっかりと安心の入り混じった声を出した。

ちなみに、モチベがアレグロ・セレニスとの相乗効果の引き合いに出した「モンコレ」とは、おっちゃんがいまだに好きだがとっくに公式は止まってしまっているカードゲームの名前であった。

「セレニスとモンコレにおける世界観の親和性、か。あまり明確に意識したことはなかったが、仲が悪くなる要因は確かに見受けられないな」

おっちゃんは控えめな否定系でそう応じた。

「そうかなあ?架空の生き物こそ登場しないけどセレニスの世界観は、なんかモンコレのカードデザインに合いそうだと俺は思うけどな!」

モチベは自分の意見を述べる。

「確かにセレニスの詩の視覚的な要素はモンコレのカードデザインと相性いいかもな、それならわかる。なるほど、相乗効果か…」

おっちゃんが唸る。

モチベの方は自分の真意をシェアできたことを喜んでいた。

それからモチベとおっちゃんはくだんのカードゲーム、モンコレで遊んだ。

おっちゃんが構築したデッ「ク」を5つの中から選び、相性の有利不利すら楽しむ。

さすがに5つのデックの各コンセプトの多様性を演出する中でその5つのデックの強さを均一にはできなかったと、過去におっちゃんが吐露していた。

モチベが、一勝。おっちゃんが一勝。

引き分けたら次回にモチベーションを取っておくためにそこまでにする。

これもいつものパターンだった。

モチベにとっておっちゃんは、本気で遊んでくれる大人だった。

おっちゃんがアレグロ・セレニスの「僕らは出会えない」をプレゼントしてくれたことだって、ただ単に音楽を布教する以上の想いが込められてるようにモチベには思えた。

「ねえ、おっちゃん。『僕らは出会えない』を俺にプレゼントしてくれたのはどうして?」

ルーティンやパターンと違う、一回きりの質問。

モチベが特別なことを言って欲しそうなのを察して、おっちゃんは少し考えている様子だった。

「そうだな…。俺が中学生の頃といえばポークオブソテーがメジャーデビューしてた時期だ。俺は他に好きなアーティストいたからポークオブソテーにはハマらなかったけど、今回のアレグロ・セレニスは、最初で最後みたいな、デビューアルバムにして集大成みたいなものを世に出しやがった。モチベと、その世界観を共通言語にするのは、俺にとっても魅力的なことだったんだよ」

おっちゃんはモチベの中学生らしい他者との心のつながりを求める気持ちに、過不足ないこと以上に真剣に応答の気持ちを表明することを選んだ。

モチベは、これがたまらない、と思った。



翌週のことだった。

モチベは中学校でアレグロ・セレニスを話題にして音楽の趣味の近い仲間を見つけようとする他クラスの人物と意気投合することとなる。

その時の会話はこのようなものだった。

「モチベくんはどうやってアレグロ・セレニスを知ったの!?まだサブスクにも出てないようなマニアックな音源なのに!」

「親戚のおじさんが推し活の一環でデビュー作プレゼントしてくれたんだ。カズマくんこそ、どうやって知ったのさ?」

「ネットの友達のラムネくんって子が教えてくれたの!ラムネくんってば、それまで音楽に興味無かったくせに、すっかり目覚めちゃってさ!その熱い語り口を聴いてて、よほどいい音楽なんだろうな…って思ってたら」

「ほんとにいい音楽だった?」

「そういうこと!モチベくんとも話すきっかけになったし!音楽っていいね!」

「なんかさ、セレニスの文字使いって、視覚的な要素が強い、って俺は感じる。あと意味のコントラスト、つまり対比も効いてるなって思うなあ…」

「あっ、それわかるー!すごい!モチベくんって言語化の天才かも!」

「『言語化』だなんてっ!…嬉しいけどさ。カズマくん、部活やってる?俺は帰宅部で自分の趣味の時間に没頭するタイプなんだけど」

「僕も帰宅部だよ!今度二人で遊ぼっか!どこにいく!?」

「もちろん遊びたい。ただ、遊ぶって、さじ加減がむずかしいよな。ちょっと物足りないくらいで解散するのが、友情をいい具合に維持するコツかなって思う…」

「それなら、僕のうちにきなよ!今度の土曜か日曜のどっちかにでもさ!」

「うーん?金曜の放課後とかダメかな?」

「全然問題ないよ!いっぱい遊びつつ、ちょっと物足りなくなるまで遊ぼうね!」

そうして、その週の金曜の学校は放課になった。

モチベは自転車を押してカズマと歩く。

カズマの家は中学校からやけに近く、徒歩で10分もあれば到着してしまう距離だった。

「ちっか!放課後カズマと遊べるようになったのかなり嬉しい!」

モチベははしゃいでみせた。

「えへへ、音楽がきっかけの交友だね!」

カズマは、部屋に入るなり、YouTubeで自分の組んだプレイリストを流し始めた。

「アレグロ・セレニスのファーストアルバムのインナージャケットの最後の方にさ、彼が影響受けた音楽のタイトルとジャケットが、10作紹介されてただろう?僕、YouTubeで聴ける中で、これは『僕らは出会えない』の最後の曲であり、いわばテーマでもある『音楽がくれたもの』!!その意味を強く感じさせる曲をピックアップして、プレイリストを組んだんだ!」

カズマの熱い語りにモチベは感心する。

「掘り下げる、ってまさにこのことだな!カズマ!」

「うん!」

二人の沈黙を音楽が埋める。

(おっちゃんに土産話がまたできたな…)

社会で生きるために仕事することを棄権したおっちゃんの部屋に、自分が風となって吹き抜ける。

モチベは、その真剣さに、カズマと出会ったことで軽やかさを宿すことができたのだった。

4. 輝ける過去との並走


蜜季は放課後に、自身が研究員を務める菌ネットワーク研究室「パラダイムシフト」に顔を出した。

「よお、蜜季。3日ぶりか?」

室長の祐樹が蜜季を出迎えた。

「そうだね!月曜に来たっきりだった!学校通うと毎日が早いねえ!」

蜜季がそう言う今日は火、水、木を飛ばした金曜日である。

「昨日涼時くんが面白い音楽のアルバムを持ってきてくれたんだ。自由研究費のアマギフをもらったからお返しに寄贈すると言われたよ。今、また最初からかけるから待ってな蜜季」

室長の祐樹は上機嫌な様子でパソコンのiTunesを操作する。

流れ始めたインストの曲を、蜜季は心地よく感じた。

「どこか祐樹の昔作ってた曲を連想させる!そう思わない!?」

蜜季は祐樹に尋ねた。

「同じ世界に生きてるからな。あ、そういえばこのアレグロ・セレニスが受けてきた音楽の影響の系譜について、インナージャケットの中で解説があるんだ」

祐樹が蜜季に取り込み済みのCDのケースからジャケットを外して蜜季に手渡す。

受け取った蜜季はパラパラとインナージャケットのビジュアルを確認しながら、最後の方で祐樹の提示したかったであろう、アレグロ・セレニスの音楽の系譜がジャケットと簡易な説明で解説されていたのを見つめた。

「へえ?結構祐樹の好きなCDもあるね!解釈の仕方が祐樹とこの人の間で、近くもあり遠くもある!んーーー!やっぱここにくると楽しいなあ!!」

蜜季は伸びをして快いさまを表現した。

「学校も楽しいんだろ?なんだかんだで、不登校もぴったりやめちゃったじゃん」

祐樹がそう言う。蜜季は中学に入学してから3週間ほどで不登校になったことを経緯として、この菌ネットワーク研究室「パラダイムシフト」の研究員になったのだが、それはまた別の話。

「まあね…。今となっては不登校のきっかけになったことってなんだったのかわかんない…。みんなほんとはいいやつなんだって思ってから、ささいな冷たさより、みんなのいつものやさしさとか温かさに気持ちがいくようになったんだ」

蜜季はジャケットを元に戻しながらそう言った。

「あっ、そうだ!祐樹!神羅由人のYouTube、知ってるよね!?今度は弘前の中学生の家を泊まり歩くらしいよ!」

「ほうー?そりゃまた自由な企画だな」

蜜季と祐樹は次の話題に映る。

この研究室の室訓は次のとおり。

逸脱を咎めない!
遊びながら研究!
欠落の尊重、平均を求めない!

この三つの室訓を前提にした活動の甲斐あってかなくてか、いつの間にか不登校から抜け出した蜜季と、室長の祐樹と、そして大学生の涼時。

それが菌ネットワーク研究室「パラダイムシフト」の原初のメンバーであった。

「おつかれさまです、あ!蜜季くん」

大学生の涼時が研究室のドアを開け、出勤してきた。

「涼時さん!アレグロ・セレニスだっけ?いい曲ばっかだね!」

涼時は自分が直接褒められたと解釈して照れくさそうにした。

「いやあ、大学なんかに在籍してると思いがけない人や文化と出会いがあるもんですね!」

涼時は自分の属する環境への感謝の意を示した。

「アレグロ・セレニスはまだ公式のSNSとかやってないよな?普段の物言いの文体も俺は気になるぜ」

祐樹が尋ねつつ、独り言のように言う。

「今時SNSもX一強でないですけど、この前『アレグロ・セレニスの文字表現は非常に視覚的に訴えかけてくる的なこと友達が言ってて脱帽した!!』って趣旨の投稿が、バズというほどでもないですけどまとめられてアレグロ・セレニスのファンの間では『その友達、いいやつそうだけど僕らは出会えない…。』ってネタにされてましたね」

涼時は笑った時のことを思い出したのだろう、愉快そうにしていた。

「最後の曲の『音楽がくれたもの』が結論だとすると、音楽というジャンルの時を超えたストリームの中で、歴史に割り振られた全員が、この世界で一堂に会することはない、と言いたいのかな、とは思うな…」

祐樹がそう言ったのを聞いた蜜季と涼時は感じ入った。

「それって、なんか素敵だね」

蜜季は、祐樹の解釈に乗っかった。

「ほんとうに祐樹さんは語りたいこと上手にまとめますよね」

涼時も祐樹を讃える。

「共通言語があるからこそ、だな!俺は二人に感謝する!」

祐樹がそう言ったのを皮切りに、平屋の研究室は笑いに包まれた。

5.灯火がまだらな古い図書館と夜の革命学


その中学校には哲学部という部活があった。

部員はまだ、一人しかいなかった頃のお話である。

哲学部のたった一人の部員の奥村は、今日の文化祭のためにそれなりの準備をしてきた。

プラトンという哲学者のイデアという概念を比喩的に表現する洞窟の話を、実際に部室の中で理想の写像を影絵として壁に映し出す、という展示。

奥村は、この展示を作る際にずっと思っていたのが、影絵を揺らめくようにしたいということだった。

洞窟の比喩は、影絵を現実、本物であると思う人が、いつまでも洞窟に留まり続ける、というものだ。転じて、その比喩で表された影絵の洞窟を出ることは真実としてのイデアの世界に目覚めることを暗示している。

物質世界にイデアそのものの形は無いし、イデアは存在に依存する真実でもない。

奥村は顧問の先生と二人で、展示を観にくる客の立場を考えた。
客は部室に入り、ゆらめく影絵をしばし見つめて、時間を気にしてやがて外へ出ていく。
出口の外のところにイデアの「ひながた」としての完全な姿のイメージを解説として提示する。

この展示を作る際に1番の要だったこと。
影絵を揺らめくものにするための方法に選ばれたのは、顧問の先生が影の元となる様々な形の「イデア」を手に持ち、壁に映る影絵を動かすということになった。
もし要望があれば、そのさまざまな「イデア」を模した型紙を、展示を観に来たお客にも手に持って影絵を壁に映し出してもらい、イデアと現実の関係を、感じてもらう。

顧問の先生は、楽観的に取り組んでいた。
奥村もまた、そんな顧問を見習った。

「僕らにできるのは、イデアについて知るきっかけを提供することですね」

奥村がそう言った時、顧問の先生は、その通りだと、奥村の発想を誉めた。

洞窟を模した部室の出口を出たところで目につく解説文に誤りがないことを確認したところで、文化祭が始まった。

顧問の先生がろうそくのセットされたランタンに火を灯す。

鈴木がいの一番に展示を観にやってきた。

「わあ!なんかムードあるね!古代って感じ!これは何を意味するの!?」

鈴木はランタンの明かりが映し出した影絵を顧問の先生がゆっくり動かす様に見惚れた。

「影絵の元になるものはなんだと思う?鈴木?」

奥村は鈴木を概念としてのイデアの理解に誘導しようとした。

「イデア?その完全なひながたをイデアというの?」

鈴木の理解は非常にスムーズだった。

「その通り!この部室の壁の影絵はもとになる型紙をイデアに模した展示だったってわけさ!」

奥村がそう言うと、鈴木は哲学的な概念を理解できた事を喜んだ。

「そうか!イデアって理想的なひながたのことだったのか…!」

鈴木の言葉に奥村は眉をひそめた。

「え?ということは、イデアって言葉自体は知ってたの?」

奥村はやや残念な気持ちを押し殺して鈴木に問う。

「まだ、ネットにフル尺のバージョンは無いんだけど、あれだよ。アレグロ・セレニスの曲名に『イデアのつるぎ』ってのがあるんだよ」

鈴木はあろうものなら聴かせたいとでも言いたげだった。

「ああ、アレグロ・セレニスって鈴木が前に買った音楽のアーティストの名前か。へえ、イデアのつるぎ。CDでしか聴けないの?」



文化祭の展示を成功させた奥村はCD屋のルーズに足を運んでいた。

店員にアレグロ・セレニスのCDはあるかと尋ねる奥村。

手書きのポップのあるところに誘導された奥村は、そのアレグロ・セレニスのデビューアルバム「僕らは出会えない」を手に取った。

ジャケットを見つめる。
黄昏、墓碑。
二人の、濃度の違う、シルエット…。

裏側の曲のリストに、その曲、「イデアのつるぎ」は確かにあった。

CDを買って帰ってきた奥村は、聴くよりも前に、ジャケットを取り出して開き、「イデアのつるぎ」の歌詞を読み始めた。

やがて奥村は意を決しイヤホンを装着し、しかし、まずはイデアのつるぎをCDプレーヤーで流し始める。

出会えないはずの「僕ら」の輪に、またひとりメンバーが加わる。

イデアのつるぎ

全てを切り裂いて観念は
どこに捨てればいいの?

価値も勝利も
学校の中で
終わってしまったよ

あなたの眼差しがツラくて
僕は帰りたくはないんだ

きっとそばで耳を傾けてる
心の友達の振りかざす
つるぎが輪廻の悪循環を
断ち切ってくれたよ

春夏秋冬
花鳥風月
詩人はリズムの箱を

八つに分けて
寅さん口調
そしてミソヒトモジ

きっとそばで耳を傾けてる
心の友達の振りかざす
つるぎが自由の枷になる鎖
理想で切り裂いた

未来はこの手の中
明日はスキップして
ピクニックのサンドイッチを
二人で用意しよう

きっとそばで耳を傾けてる
心の友達の振りかざす
つるぎが矛盾の迫害者から
僕を守ってくれた



その日の夜、奥村は街灯が綺麗だと評判の歴史のある街の図書館の周辺を散歩していた。

奥村が歩くのに合わせて、彼の影が揺れる。

(この美しい街灯の映し出す影絵の、元である僕は、完全なひながた、イデアと呼ぶには…きっと値しないだろう…)

奥村は今日の文化祭の展示で、洞窟を模した部室のムードに歓喜の声をあげていた何人もの客の笑顔を思い出す。

(この現実世界は物質世界…。完全なイデアたちの住まう、イデアの世界は、僕の行ける場所じゃない)

奥村の思考が不可能性に傾きかけたその時だった。

「奥村じゃん」

奥村が顔を向けると鈴木がいた。

「…やあ、鈴木。今日また会うとはね」

奥村の声はさっきまでの逡巡を隠しきれていなかった。

「奥村、俺さ。今日の影絵が忘れられなくて、図書館の街灯を見にきたんだ。街灯というよりその影を、かな」

鈴木が言う。

「君もか。僕もだよ」

二人は並んで街灯に照らされながら図書館の周りを歩き始めた。

不揃いな二人の影なら、自分が不完全なことなど、どうでもよくなる。

それが、不思議な言葉の公式のように、奥村には思えたのだった。

エピローグ「プレアデス」


それから間も無くのことだった。

アレグロ・セレニスは今時CDでしか聴けないのはどうかと思う、との声を受けて、デビューアルバム「僕らは出会えない」を各音楽配信サービスで聞けるようにし、さらにはミニアルバム「プレアデス」のリリースを決定し、告知した。

「自分なんて!なぁんぼーっ!!」

それはアレグロ・セレニスのニュー・ミニアルバム発売のニュースを、友達の口から聞いた時のミユキの歓喜の声だった。

クラスメイトたちはくすくすとミユキの喜びっぷりをおかしそうに、笑顔で讃えた。

異次元の白昼夢の世界と繋がった猛は、今日も砂漠の雨とのコンタクトを楽しんでいた。

しとしとと、小粒の水滴を時折降らせる砂漠の雨。

「アレグロ・セレニスがプレアデスってミニアルバムを出すそうなんだ」

猛はその猛々しいやさしさで砂漠の雨といつものように語らい始めた。

モチベはおっちゃんとコンビニに行った際にアレグロ・セレニスが表紙を飾った音楽雑誌を購入した。

菌ネットワーク研究室の本棚にもその雑誌は大切に保管されることになった。

哲学部の奥村もその雑誌を買い読み込んだ。

与えられたおもしろさ。それは、意図的にデザインされた世界の中で自由を感じることができるということ。……人生の中で感じるおもしろさ、それももしかしたら、生まれる前の自分からのプレゼントなのかもしれない。

奥村はそれを読み終え、不揃いな影の教えてくれる自明の理を思い出した。

奥村はそれまで拒んでいた鈴木の哲学部入部を、受け入れるだけの深さに、最後の一押しをアレグロ・セレニスからもらった心地だった。

やがてまた続報が入った。

アレグロ・セレニスが生まれ故郷の街でワンマンライブを開催すると言う続報が。
ライブタイトルはこうだった。

プレアデス〜僕らの織りなす星団〜

ミユキは開設されたばかりのアレグロ・セレニスの公式サイトをチェックした。

公式サイト限定の、アレグロ・セレニスのミニアルバム「プレアデス」発売とワンマンライブ開催への思いが語られていた。

出会えない僕らも、それぞれの時空の座標に意味を持たせながら、きっと一つの星団を結成しうる。僕らはたとえ出会えない宿命の元にいようと、同じ世界に生きてるのだから。

アレグロ・セレニスのワンマンライブ「プレアデス〜僕らの織りなす星団〜」は大盛況で、アンコールにファーストアルバムの最後の曲「音楽がくれたもの」が演奏され、幻想と実直の時間は幕を閉じた。

ライブの打ち上げの後、アレグロ・セレニスは自身の部屋で、エゴサーチをかけた。

ラムネという名前のアカウントのビー玉のアイコンが目に停まる。

ラムネ「共有した時間の中に詰まった、歴史を超えたミュージシャンたちの挑戦と喜怒哀楽。確かに僕らは全員で出会えない。ファーストアルバムのタイトルはそう言う意味か。だけど僕らはたしかに小さな星団…プレアデスを成した。ありがとうアレグロ・セレニス。あなたの歌声を同じ時間と空間の中で聴けて嬉しい」

アレグロ・セレニスは迷わずにリアクションボタンを押した。

自らのタイムラインに戻ったアレグロ・セレニスは、ラムネくんが自分の最新投稿チェックする事を信じて非直接的な返信、いわゆるエアリプをすること決め、一回分の投稿文として構築し始めた。

アレグロ・セレニス「ライブに来てくれてありがとう。その通り。出会えないのは、人の限られた寿命に歴史の全てを内包できない事を意味する。
僕も打ち上げで酔ったみたいだけど、同じ時間を同じ場所で過ごした君を、僕は演者でありながら特定できない。出会ってるのに出会えない。僕の音楽の意味を、君が与えてくれた。」

アレグロ・セレニスは追加の酒を飲み始めた。そして、エアリプとしてではなく、ライブの余韻に浸りきる事を彼は選んだ。

彼は思うままにキーボードをタイピングする。

アレグロ・セレニス「意味とは、作る人が独占するものだろうか?

いや、解釈する人たちの共に震える感動の共振が、逆方向に振れる時だってある。

僕らは孤独と孤高を選び抜く。」

アレグロ・セレニス「共に生き、一人で死ぬ。

命の価値は、死してなお、この宇宙に、世界に存在し続けるかもしれない。

断定のできないことである。

その上で言えるのは、星は明滅するということか。」

アレグロ・セレニス「僕はこれからも音楽を続けたいと思った。

最初のチャンスをもらった時点で表現者の寿命を告げられたと、そんな覚悟でやってきた」

アレグロ・セレニス「僕には、まだまだ創作の原動力がある。辿り着けない自分、出会えない自分。構造上不可能な事をしようともがいてる」

アレグロ・セレニス「美しさ、それはあとから付いてくる。昔バンドを一緒にやった年配のドラマーが教えてくれた事」

アレグロ・セレニス「昔のことを思い出した後だから、次のシングルのアイデアを考えるのもいいかもしれない」

アレグロ・セレニス「A玉の不良品、それがビー玉なんだ。A玉はラムネの蓋に使用できるほど歪みのない球。なのに、取り出すことのできない構造。まるで出会えない自分だね」

アレグロ・セレニスの連投を見守っていたミユキは、どうやらアレグロ・セレニスが、ラムネとしての自分の投稿を読んでくれたらしいことを察した。

部屋に飾ってある、「僕らは出会えない」のCDケースを手に取り裏返す。

あの日の思いがけない裏面へのサインを、ミユキは叶わない恋に、神様が前もってご褒美をくれたのかと感慨深く思った。

「自分なんて、なぁんぼー…」

こういう気持ちになれるのが、恋のいいところだ。と、座右の銘を唱えるミユキ。

この気持ちをわかってくれる人などいない。

それが、出会えない自分、ということか。

歴史を分けた人どころか、自分自身にすら出会えない。

「ああ…だからあの時、出会えたのか」

おわりとはじまりが円環した瞬間、イデアのつるぎが永遠を切り裂いた。

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