平屋の研究室と秋のコガネザクラ#12

「お先に失礼します!」

「ああ、明日も来るか?」

「来る!」

「ああ、明日も遊びながら研究しよう」

「うん!おつかれさま!祐樹さん」

「じゃあなっ」

祐樹さんが研究室のドアを閉める。

僕は庭を歩き、エンブレムの本拠地に「また明日ね!」と心の中で告げ、「まったね~!」という返事を聞いて平屋の庭を出ていく。

今日も楽しかったね!蜜季!

エンブレムの声。

(もうっ、最近のエンブレムはいっつもそれだ!声出さない間何してるのさ?)

クッキーと星に乗って!祐樹と蜜季を見守りながらおしゃべりしてる!

(クッキーとどんなこと話してるの?)

それは漏洩できない!秘密というもの!

(どうして~?)

祐樹と蜜季の間に間接的なテレパシーが成立しないのは困る!

(まあ、そうだな…)

僕はもはや自分の一部となったエンブレムの知性に思いを馳せた。

蜜季!毛虫の動画見せて!

(あ!いいよ~?)

僕はスマホの写真ライブラリを開く。

(えーと…これだ!)

フィールドワークを始めてからというもの、毎日10枚近くの写真を撮ってる。機種変更で新しい容量の増えたスマホに切り替えるまで、今のスマホの容量が持つか少し心配になってきた。

ともあれ、僕はエンブレムに苔の上を毛虫が前進する動画を見せた。

ほんとだ!よく撮れてるね!蜜季!

(何回も見てると馴化が働くけど、僕、最初キャタピラみたいだと思ったんだ。エンブレム)

キャタピラとキャタピーは関係ある!?

(あ!!あるかも!)

僕は、歩きながら、前に注意しつつ、スマホで「キャタピラ 語源」と入力して検索した。

(機械がうねうね這って進む様子が「芋虫」、かっこcaterpillerのようだったことが由来なんだってさ!)

なるほど!やっほおお!!

(なんだよっ、今の)

僕はくすっと笑った。

家に着いた後は、いつも通りの日常を過ごし、僕は眠りについた。

翌朝。

ベッドの布団の中で、僕はすうっと眠りから覚め、静かに目を開いて「朝か」と思った。

充電器に刺して枕元に置いていたスマホで時刻を確認する。

5時12分。

目覚ましのアラームより48分も早く起きた。

(最近夢を見ないな…)

起き上がりベッドから出てカーテンを開けたついでに窓を開けて空気を入れ替えた。

五月の風が部屋を満たす。

(いい風だ…)

僕は着替えて一階に降り、洗面所で顔を洗った。

顔を拭いたタオルを洗濯カゴの横にひっかけた。

ポケットにスマホを入れておいた。

このまま早朝の散歩に出かけてみようか。

エンブレムは起きてるだろうか。

…返事は無い。

そのうちいつものようにリズミカルに話しかけてくるだろう。

おはよう!蜜季!

エンブレムの声。

これが声なのか、自分自身の思念を声のフォントで再生してるのか、僕にはわからなかったけど、これが、今の僕の、いつもの朝。

(おはよう、エンブレム)

いつもと違うのは今が早朝であること。

蜜季!お散歩!いこ!?フィールドワークじゃなくて!お散歩!

(ああ、それいいね。エンブレム)

僕は玄関に向かって歩いた。

あ、この時間帯だと、家を出る時に鍵を閉めたほうがいいかな。

僕はこれは自分ひとりで決断すべきことだと思い、二階の部屋に鍵を取りに行った。

今度こそ靴を履き、ドアを開け、外に出て鍵を閉めた。

散歩の始まりだ。

と言いつつ、平屋の研究室のほうを歩く僕。

たまたま祐樹さんも早起きで鉢合わせたりしないかな、と期待したけど、そんなことは無かった。

(散歩のときは、写真をなるべく撮らないようにしようか)

いいね!なにごともメリハリが大事!

(だよね)

僕は平屋の庭を通り過ぎる。

平屋の向かいの木の枝の指揮者さんが家から出てくるなんてことも無かった。

今日は無い無い尽くしの朝だ。

蜜季!欠落の尊重!平均を求めない!だよ!

(ああ、なるほど。今日の朝という人格の欠落を尊重すればいいのか)

そう!

エンブレムが肯定してくれた。

犬の散歩をしてる人とすれ違う。

車道沿いの道を歩くと、早朝なのに霊柩車が走っていった。

欠落を尊重したとたんに色々起こる。

空を仰いだ。

朝焼けがきれいだ。

夕焼けの時とは違う赤さ、長袖を着ててちょうどいい気温。

コンビニの前に差し掛かった。

蜜季!入ろう!コンビニに入ろう!

(行ってみようか)

コンビニに入ると電子音のメロディーが出迎えてくれる。

それに呼応して人間の店員が温もりのある冷たさでいらっしゃいませと言う。

こんな朝も、いいもんだ。

僕は店内を巡回し、やがて店を出る。

さて…。

平屋の研究室の稼働時間までずいぶんある。

僕は近所を歩いてるうちに、まだ友彦の奴がこの辺に住んでた頃のことを思い出していた。

将来は人工知能を作る仕事がしたいと言っていた友彦。

だから高校は工業高校の情報処理科に行きたいと言っていた友彦。

しゅうまいくんをいつも僕に見せてくれた友彦なら、きっとやれるよ。

僕は、届けようの無い思いだ。と思った直後に、欠落を尊重せねば、と思い直す。

小学校の頃の僕が友彦の夢を聞いた時は、どうしたらそんな風に夢を持てるのか、知りたかった。

僕の今の夢は何だろうか。

いや、もう叶ってるのかもしれない、というか叶ったんだ。

僕は平屋の研究室の研究員になって、祐樹さんと遊びながら研究をしたかったんだ。

祐樹さんの夢は何だろう?

いや、祐樹さんだって、僕と一緒にいる時に、8年越しの奇跡と言ってくれた。

今目の前で起きてる奇跡から目を背けないつもり、と言ってくれた。

そして、何より祐樹さんと出会えてからの日々が楽しい。

恋愛感情とは違う、親愛の念。

これがいつまでつづくのかとか、そんなことに心を割きたくはなかった。

僕は、祐樹さんと居て、心の使い方がちょっとわかった気がする。

いや解ったんだ。

それを言葉で整理することはまだできない。

植物たちの、地面から上の姿を見て、うっすらと地面の下の根っこと菌根菌のネットワークを連想する感じ。

海にも山にもお空にも、心があるんだ、そう思う感じ。

「竜とは人で~あり声である~♪」

祐樹さんのオリジナル曲の歌いだしを口ずさんでみた。

時空を超えた友情の歌。僕はそんな風にこの曲を解釈してる。

時間は、輪切りで、計れない。

エンブレムがいつか独唱のおはやしで歌ったことの意味が、今の僕には少し解るんだ。

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