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運による格差の時代
これは人工芝アドベントカレンダー2022 22日目の記事です。
体力と知力による格差のツイート
本日こんなツイートが流れてきた。
我々人類はもともと、腕力や体力で自分達を比較し、強いものが食糧などを得るという暴力が差を作り出す社会を生きていた。しかし、次第に貴族や国家が暴力を独占することで秩序を創り出してきた。その結果、我々はある種の知力を比較して、それによって格差を作り出す社会に変化した。
— 広木 大地/ エンジニアリング組織論への招待 (@hiroki_daichi) December 21, 2022
我々はいつか人工知能を何物かが作り、知力を独占することを考えた方がいいのかも知らない。知力の競争は体力の競争がスポーツになったようにきっと消えないが、体力の格差が財産の決定的な差にならないように知力の格差が社会における重要な意味を持たなくなるのでは?22世紀はそのような世紀かも。
— 広木 大地/ エンジニアリング組織論への招待 (@hiroki_daichi) December 21, 2022
ざっくり要約すると、昔は腕力や体力といったものが食糧を得る上で有利に働き人々に格差を生んでいたが、貴族や国家が暴力を独占することで腕力や体力で財を得る割合に制限がかかり、知力によって格差が生まれる社会へと変わった。しかし、将来的に何らかのプレイヤーが人工知能を作って知力を独占することで知力の価値が相対的に下がり、体力と知力が財産の差(格差)に繋がりにくくなるような社会が来るのではないか、というツイートである。
これを読んでなるほどなぁと思うとともに、1つ湧いた疑問として「では、次の格差は何によってもたらされるのか?」である。
運による格差
上記のパッと思い浮かぶ答えとしては、体力も知力も格差に繋がりにくくなるのであれば、あとは運ではないか、と。つまり、運による格差である。
似た話題として、2022年度イグノーベル経済学賞の「なぜ最も才能のある人ではなく最も幸運な人が成功することが多いのかを数学的に説明したことについて」という論文がある。
その論文は「成功に至るために必要なのは才能なのか、それとも運なのか」という疑問から出発し、エージェントベースのトイモデルを用いて「そこそこの才能を持った非常に幸運な人」は「非常に才能を持った不運な人」よりも常に成功することを示した論文である。
注意点としては、上記はあくまでイグノーベル賞の論文であり、使われているモデルも現実を精緻に記述できるものでもないため、あくまで「必ずしも才能ある人が成功するわけじゃないよなぁ」というお気持ちを結論として導くためにモデルを一つ用意してみたくらいに眉に唾をつけて見といたほうが無難かもしれない。
そうした2022年イグノーベル経済学賞の論文とはまた別の話として、運による格差は体力や知力が財産の差に繋がりにくくなった時代になってもなお格差の要因として残るのではないかと思われる。
運による格差の時代の生存戦略
現代においても既に知力による格差だけではなく、運による格差も多分に存在していると思うが、最初に挙げたツイートから将来的には知力による格差よりも運による格差の占める割合が増えていくと予想される。
それでは、運による格差の時代ではどのようなことが生存戦略となり得るのかという疑問が生じる。
結論としては、一周ぐるっと回った答えになるが、体力と知力ではないかと思う。ただし、過去の格差要因となった体力と知力とはまた別な側面が重要になってくると考えられる。
まず、運による格差の時代に必要とされる体力というのは、肉体労働や単純作業や暴力や武力のための体力とは異なり、クリエイティブなゴミを生産する時間を増やすための健康・長生きといった体力である。運を掴むためには宝くじを買い続ける体力(つまり活動時間)が必要なのである。
一方、運による格差の時代に必要とされる知力というのは、難しいパズルが解けることや難解な文章が書けることではなく、オープンマインドに他者とのコミュニケーションを広げ、多様性と相互理解を深めるために必要となる知力である。1つの宝くじ売り場で買えるくじの数は限られているため、いくつかの宝くじ売り場を渡り歩く必要があるということである。
似た話題として「現代アートの先駆者の成功を決めるのは、才能なのかそれともソーシャルなのか」ということをテーマに扱った論文がある。その論文の結論としては、成功には才能よりソーシャルの要因が大きいというものである。現代アートの成功のように運の要因が増えれば増えるほど多様な他者とのコミュニケーションや交流といった部分が大きくなるのかもしれない。
おわり
じぶんの 2023年の目標の一つに「攻めのセルフケア」というものがある。ざっくり言うと、「じぶんに対して本当にやりたいことをやりたいようにやらせてあげること」である。
しかし、「じぶんの本当にやりたいこと」というのが曲者で、自分の意識の範囲外にあることが多かったりするものである。以前似たツイートをしたことがある。
やりたいことってじぶんの意識の範囲外にあることも多いから、事前にリスト化するのって意外と難しかったりするよね
— あらB🌘 (@ark_B) December 16, 2022
「じぶんの本当にやりたいこと」にセレンディピティする(セレピる)ためには、今回考えた運による格差の時代の生存戦略が意外と重要だったりするのではないかと思った。
「じぶんの本当にやりたいこと」って捉えどころがなくて難しい目標だなぁと(来年そんな目標で大丈夫か?)。