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2024年に起こった不運

昔読んだ本に次のような文章があった。

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの方法でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

時間とムダの科学 (PRESIDENT BOOKS)|大前研一

今年じぶんの身に起こった不運な出来事の一つとして住んでいる家の水道が壊れたため水道を止められたということがあった。

水道が止まっている家の様子を想像してみて欲しい。トイレは流せず、風呂も入れず、シャワーも浴びれない、料理を作るにも洗い物もできず、歯も磨けないし、うがいもできない。とかく水道を止められると人は生きることが困難になる。

当然まともに住んでいられないため、1週間ほどペッドボトルの水でどうにか限界ギリギリの生活らしきものをしながら、水道が修理されるまでの1ヶ月間を過ごすための別の家を探すこととなった。

しかも偶然にも水道が壊れたのが3月下旬だったため、当然4月頭から短期で入居できる賃貸を探したのだが、新生活シーズンであり時期が悪すぎてほとんど物件が入居が決まっていてまともな物件はほとんど見つからないような状況だった。タイミングがあまりにも悪すぎた。

しかし、何件もの不動産屋に電話することでどうにかこうにか1件だけ契約できる物件を見つけることができた。当然内見する余裕などなくすぐに契約を進めた。宅建士からの家借りる際の注意事項などの説明もスマホでのオンライン通話でだった。今風だなと思った。

こうして強制退去からの強制プチ引っ越しからの強制1ヶ月間住む場所を変えることを余儀なくされたのであった。

水道が故障したと連絡があったタイミングがちょうど海外出張から帰ってきた次の週でようやく日本帰ってきて家でゆったりしようと思っていた矢先だったので息つく暇なくアクシデントへの対処をしなくてはならなくなった。

上記に引用した大前研一の人間が変わるための3つの中の2つ目である住環境の変化を半ば強引にさせられたわけである。

人が変わりたい・変えたいと思って引っ越すというのは良い決断だが、強制的に引っ越さなきゃいけなくなったというのは悲劇の一種だろう。

この出来事を前向きに解釈するとすれば

  • 急なアクシデントに対応する瞬発力が養われたこと(レジリエンスの強化)

  • 水道が止められた生活を擬似的に体験できたため被災して水道が止まった家で生活する際にどうすればよいか何が必要かが具体的にイメージできるようになったこと

  • 一般的に水道故障による立ち退き費用は家主が負担するというような法改正がちょっと前にあったらしく今回のアクシデント費用は銭湯代のような細かいものを除いてほぼほぼ大家さんに負担してもらえたこと(当然プチ引越ししていた月の家賃もタダ)

みたいな点は良かったかもしれない。何事も経験にはなるものである。

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