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ヨーガスートラ第1章(三昧)ノート その14

<Ⅰ-10> 
アバーヤ プラティヤヤーランバナー タモーヴリッティルニドラー
「ニドラーとは、目覚めた状態も夢見も持たない無(活動)を対象とする(チッタの)働きのことである」

”ニドラー”。これは眠りという意味です。
それも夢すら見ないような深い眠り。

眠っていても夢を見ているならばココロには活動があります。
ならば夢も見ないぐらいにぐっすりと眠っている時、ココロの活動は止まっていることになるのかな。

そうなら”深い眠り”もまた”チッタ ブリッティ ニローダ”(ココロの活動の止滅)のことなのかな?

って疑問に対する回答となるフレーズです。


さて答えです。

”深い眠り”の場合、チッタは”無想念”というココロの働き”を対象にして活動しております(笑)
従ってどんなに深く眠っていようとも、心は動いているんだよ。ってことになります。

とてもややこしいですね。

第8回のノート https://note.com/arkatree/n/n90c221cce9b9 で取り扱いましたが、もう一度3つの”グナ”についてささっと復習しましょう。

”プラクリティ”(根本原質)が最初に3つの働き(3グナ)に分かれて展開していくことで物質・非物質のすべてが発生する というのがサーンキャ哲学の基本でしたね。

<3つのグナ>
・サットヴァ (軽さ 英知 知性)
・ラジャス (動き 活力 活動力) 
・タマス (重さ 怠惰 かたまり)

チッタ(ココロ)はこの3つのグナの配分比率により”マナス”・”ブッディ”・”アハンカーラ”というキャラクターに分かれます。
確固たる自我は”アハンカーラ”が。
切れ味するどい知性は”ブッディ”がそれぞれ担当しています。

残る”マナス”の定義は「反応するココロ」。そのキャラクターはとても身替りが早く、気まぐれで、日見寄りです。

足場を持たないことが”マナス”の本質なんだから不実を責めるのも筋違いですが。(笑) ともかく”マナス”はいつでも状況変化と共にあります。

前回まで見てきた”プラマーナ”(正しい認識)、”ヴィパリヤヤ”(誤った認識)なども”マナス”からすれば

「ん? あの時はたまたまサットヴァな空気感だったんだよねー。」
なんですね。

いつも”マナス”はその場の状況にあるエネルギーに従って着地しています。

深い眠り”ニドラー”の場合、これは”マナス”がタマス(重さ 怠惰 かたまり)を対象に着地している状態。

つまり”ニドラー”は意識の不活性を対象としたココロの活動形態のひとつにすぎないのです。

当たり前ですがチッタ ブリッティ ニローダではアリマセン。

こんなとこで良いでしょうか?

<Ⅰ-11> 
アヌブータヴィシャヤ アサムプラモーサハ スムリティヒ
「スムリティとは、過去に経験した対象がチッタの内に保たれることである」

”スムリティ”は憶念。。つまり記憶のことです。

”スムリティ”とは何か?を理解する上で、セットとして知ってほしい”サンスカーラ”という単語があります。


◇スムリティとサンスカーラ 
”スムリティ”の意味する記憶は”思い出すことができる記憶”です。自覚的に近づくことができる記憶内容。

それに対して”サンスカーラ”は”残存印象”。
つまり潜在的な記憶。ふとした拍子に思い出すことはあっても自分の意志では近づくことが出来ない深い場所に刻まれた記憶です。

自覚的に近づけること。これをヨーガの目的から考えた時「浄化が得やすい」と言い換えることもできます。

「内観法」という浄土系の仏教から発達した瞑想技法をご存知ですか?

私達の苦しみの多くは人間関係に起因しており、特に親子関係の問題や葛藤は距離が近いゆえ根深いものになりがちです。

両親を中心とした関わりから受けた経験や印象で私達の人格が形成されてきたこと自体は否定できません。

でも、その経験や印象を「認識したとき」の自分の在り方。
ここには曇りや偏りが無かったのか? 
正しい認識(プラマーナ)だったのか?

もしかしたらそうじゃないかもしれない。
勘違いや認知の反転を起こしていた可能性もきっとあります。

恩と仇ってほんとは8:2くらいかもしれない

でも仇への印象の強烈さがその比率を1:9くらいまでに捻じ曲げて”記憶”しているかもしれません。

だからターニングポイントとなった過去の記憶ひとつひとつを思い出して「再検証」するのが内観。

「内観法」の場合は、一人では瞑想を行いません。
指導者が傍について、実践者が記憶の袋小路に迷い込まないよう色々な角度から検証へ導きを与えていくそうです。
「他者」を通じて「他力に生かされている私」を知ることで自力中心であった"ヴィパリヤヤ"(誤った認識)を浄化していく。
それが浄土系の中心思想「絶対他力」「弥陀の本願」に触れることにも繋がるのでしょう。

次に”サンスカーラ”について。
これはインド思想を学ぶ上での重要なキーワードです

”サンスカーラ”は「残存印象」「潜在印象」という意味です。つまり自覚が無いからどうにも手の付けようがない記憶のことです。

何故か分からない。だけどいつもこういう行動(や捉え方)ばかりを選択してしまう私。 
小さな子供であってもこのような先天的な傾向を持っています。

ココロよりも深い奥底にうねうねと活動していて、その人の行動様式を決定付けてしまう働き。

レコードの溝のように、かならす同じ場所に針を導いて、同じ音色を鳴らしてしまう働き。

これが”サンスカーラ”です。

この働きは”スムリティ”のようには自覚ができないし、コントロールもできません。
ちなみにわたし達が ー今人間として ー今の時代に ー今この場所に生を受けていることも”サンスカーラ”の働きのためとされます。

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もし”サンスカーラ”の浄化を計るのであれば、手段としてあるのは唯一”サマーディ”であるとするのがヨーガの考え方です。そのあたりについての詳しい説明は”サマーディ”について語っている以降のスートラの時に見ていきたいと思います。


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