梅花歌三十二首併序令和考
はじめに、安倍晋三元内閣総理大臣のご冥福を心よりお祈りいたします。
9000字近い内容となりました。正直、終わらないのではないかと思ったほどです。本を書く人達の偉大さを知りました。
本稿は21節にて構成されています。
令和とは?
さて、年号と時代には妙な関連があることを前回の「年号と時代、年号という訓戒」の記事に書きました。では、令和とはどんな時代なのか、令和にはどんな訓戒が込められているのか。本稿では私が考えた令和に関する解釈を書きます。
令和の原文は、万葉集の巻第五にある序文と32首の歌で構成される歌集「梅花歌三十二首併序」です。その序文の中の一文から二文字を引用している。
原文および教科書然とした現代語訳は下記参照のことhttps://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ca197bae4b0474c08d0c3c0。
この「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」から令和となっているのです。
いかがでしょうか。明治、大正、昭和、平成は原文が何を言いたいのかはっきりとしていましたが、令和は全くわかりません。そこで一旦原文から離れ、感触を得ていきたいと思います。
「令」の起源
まずは漢字の解釈から始めましょう。漢字学者の白川静さんの研究では、「令」の起源は、礼冠を着け、ひざまずいて神意を聞く人の形、だそうです。早くも面白そうな単語がでてきました。冠です。令和に入ってから猛威を振るっている感染病は「コロナ」と言われていますが、これはラテン語で「冠」を意味します。ウィルスの形状が冠に似ていることから付けられた別名だそうです。令の起源と令和に流行った疫病の別名、年号と時代の相関関係がまた一つできましたね。
令の起源についてもう一つ興味深いのは「ひざまずいて神意を聞く」ことです。白川静さんの研究は次のように主張します。令に、祝祷(しゅくとう)を収める器の形である口(さい)を加えて「命」に作る、と。まるで、神と向き合わねば命はない、といわれているかのようですね。ここでも年号と時代の相関関係が出てくるのかどうか、興味深いです。ちなみに私は、自分の先祖の供養には手間暇をかけるようにしています。
「令月」と金烏兎月(きんううづき)
引用されている万葉集で、令は「令月」として表現されています。さて、皆さんは月にどのような印象をもっているでしょうか。古くは「死」の印象が託されています。今昔物語集では以下の通り。
死と令月が繋がっていることを思えば、年号が令和になったとたんに世界中で死者が続出している現状との相関関係が、またしてもでてきましたね。
令和とは、死の時代でもあるようです。
ちなみに、金烏とは八咫烏(やたがらす)のことで、太陽を象徴するのだそうです。
「れい」の単純接触効果
私たち人間は、同じ情報に触れるほど、それに好感を持つようになっているそうで、これを単純接触効果といいます。なので、私たちは「令和」や「れい」「わ」を聞き、見て、書いて、話すたびに、「令和」に、そして「れい」「わ」に対して好感を持つようになるのです。なのでここでは、発想をもう少し広げて「れい」という言葉から私たちが何を連想するか考えてみましょう。
命令、礼儀、冷房、励行、例外、霊感、黎明、奴隷、年齢、綺麗。常用漢字ですとこんな感じだと思います。全体的に冷たい印象を受けます。
部分でみていくと、警察では「命令」を、教育機関では「礼儀」を、会社では「冷房」を、弁護士事務所では「例外」を、異世界転生ものの物語に「奴隷」を、婚活の修羅場では「年齢」をよく見かけるのではないでしょうか。しかし、これでは話が進みません。
ところで、ところどころの漢字に「令」の字が入っているのがわかると思います。冷房、年齢です。実は「れい」と読む漢字の中で「令」が入る字の数はとても多いのです。「れい」90個中「令」は30個にもなります。これは2番目に多い「戻」12個の倍以上もあります。
零=zero
そこで令を含む漢字を見ていこうと思います。中でも零、澪に注目したい。令和に開催された東京オリンピック会場を上空から見ると零、0、zeroであり、かつ、普遍的な生活の中で最も触れる機会の多い「令」は零、つまりゼロではないかと考えるからです。
例えば、10:00に待ち合わせ、10,000円から5,000円を消費したら残りは?など。細かい数字を丸めて表現するたびにゼロは増えていきますよね。時間も計算も零が多いほど、考えなくていいことが増えますよね。楽ですよね。多いですよね?よし!
さて、では我々は零と触れるたびにどのような印象を抱くだろうか。古くは、白川静さんの研究によると、都移りを詠んだ歌に、雨を瑞兆とするものとして零雨が使われている例が1件。邂逅の喜びを詠う歌に零露が使われている例が1件。また、草木の葉の枯れ落ちること、人のうらぶれることを零落、零丁と用いる例が1件。だそうです。零の意や形について言及はありませんでした。善いもの、自然を指している形容詞、という印象です。
近年のサブカルチャーにおいては「体系を体系足らしめるために要求される、意味の不在を否定する記号。そのアナログなのが神で、デジタルなのが零」(攻殻機動隊SAC15話、機械たちの時間より抜粋)というのが零に触れています。受ける印象としては、無意味なんかじゃない、でしょうか。
サブカル界隈で零は、メインタイトルに用いられているのはホラーゲームの「零」とか、小説の「永遠のゼロ」になるでしょうか。ですが多くはサブタイトルに用いられているように思います。主に「前日譚」「始まり」を描いた作品の名前に使い易いのかなという印象を受けます。であるならば、「れい」に触れるたびに、”何かを始めること”に好感を持つようになるかもしれません。
澪
そして、澪。これは「みお」とも読むのですが、意味は「海や川の、船が航行できる、深い水路」となります。これが、どうかかわってくるのかは後述します。「和」と「次の歌集」の欄をご参照ください。
「和」
起源を考えることもできますが今は飛ばします。私は「和」が意味するものは、玉音放送にある「万世の為に太平を開かむ」であると考えます。令が神事を表していて、昭和の「和」を引き継いだのなら、昭和を代表する神事から何かを引き継いだはずだ、と考えたからです。だからこその玉音放送であり、この文言です。
もし「和」がこれを表すのであれば、私が和から受ける印象は、港の開設、管理、運営といったものです。そういう時代になるのかどうか興味があります。
そして、前述した澪(みお)は「海や川の、船が航行できる、深い水路」という意味でしたが、これは港の開設、管理、運営とも繋がります。もしかしたら宇宙港のことやもしれません。
ちなみに和の起源は、漢字学者の白川静さんから引用しますと。
禾(か)と口(さい)とに従う。禾は軍門に建てる標識の木の形。口はサイ、盟誓の書である載書といわれる文章を収める器の形。軍門の前で盟誓し和議を行う意である。ゆえに和平の意となる。
軍門とは、東欧で起きている侵略戦争のことかな?と考えますが、それ以外では思いつくことがありませんでした。
ここまでのまとめ
令の起源:神と向き合わねば命はない
令月:死の時代
れい:始まりの物語
和:万世の為に太平を開かむ
序文考察
イメージは掴めましたでしょうか。ではいよいよ本編です。令和の引用元となる序文を見ていきましょう。
序文考察のまとめ
令和は始まりを表す。
安倍さんの死をきっかけにして、死の時代がそろそろ終わる。
令和は明るい
お金にものを言わせてやがて火となる、綺麗な声で鳴く春告鳥
令和は宴、始まりの歌を。
天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。
「天平(てんぴょう)」という年号のことは無視します。これは追いかけ方がわかりませんでした。
さて正月とは、今で言う旧正月でしょう。その13日にお世話になった恩人の家で宴会を開きました、と書いてある。一文の最後が「申ぶ」になっているのは、文を書いている人が宴会を開いた本人だからです。謙譲語になっているのです。アニメとかでもありますよね。「報告申し上げます」とか。あれです。
天平2年ということは、年号が天平に代わってから”初めての正月”ということでしょう。令和の最初の正月が令和2年だったことと同じです。
今では旧正月といいますが、当時ではただの正月で、”その年の始まり”に開かれた宴ですから、前述した「始まりの物語」という解釈との違和感はありません。
そして、天平2年は西暦730年で、その年の雨水の前の新月が太陰暦の1月1日となりますから、そこから13日を数えると、太陽暦730年2月9~10日が宴の当日となります。
初春の令月にして、気淑く風和ぐ。
2月中旬ですから「初春」であることに違和感はありません。
「令月」とありますから、美しいと思う程度には月が見えているのだと考えます。つまり天候は雨や霧ではない。
また、730年2月9~10日の月齢は約11~13であるので、ほぼ満月です。兎月(死)を思いだしますね。
満月が見えているのならば、朝か夕方です。太陽とは真逆の方角に月がみえていることでしょう。
梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。
教科書通りの翻訳ではここの梅と蘭をそのまま使っていますが、2月中旬に梅と蘭が同時に咲いているとは考えにくいのです。梅は春の、蘭は秋の花だからです。私はこれは季語ならぬ、時語だと考えています。一年の中の季節を表す季語のように、一日の中の時間を表しているのではないか、と。だとするとこの一文は「朝に鏡の前で白粉を塗り、その香りは夕方まで薫り続けた」と読めます。
また、この梅と蘭を時代の時語だとすれば、この一文は令和の初期(春)から後期(秋)のことを書いているとも解釈できます。では、令和という時代が被った粉とはなんでしょうか。
正式な翻訳を見ると、この粉とは白粉(おしろい)のことだそうです。歌舞伎役者や舞妓さんが顔に塗る化粧品です。そして、お亡くなりになられた方に塗る死出の化粧、死化粧(しにげしょう)でもあります。「令月」は「死」の印象であると前述いたしました。では、令和で亡くなった、忘れられない方とはだれでしょうか。私は安倍晋三元内閣総理大臣ではないかと考えています。ならば、安倍さん残した功績は令和の後々にまで薫り続ける、と読めるのです。
ここで、安倍さんの死を「鏡の前で粉を被った朝」と読むならば、死の時期は終わることになります。「令月」は満月です。満月が朝に見えているなら、日が昇るとともに満月は必ず沈んでいきます。満月が沈むなら、死も沈んでいくことになります。
ここまでの序文まとめ
天平初めての正月、一年の始まり、朝、これらは始まりを連想させる。
満月は死の時代を連想させます。
安倍さんの死、これは朝の到来を連想させます。
安倍さんの死をきっかけにして、死の時代がそろそろ終わる。
しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、
ここからの文は一日の始まりから終わりまでを、つまり未明から日暮れまでの景色を表現しています。令和という年号との相関関係を信じるならば、令和全体のことを表現してることになります。
さて、「曙」とありますから、夜明け前の景色を表現しているのだと思います。白粉を塗る前の起床直後の景色でしょうか。夜明け前はたぶん曇っていたのでしょう。それが夜明けとともに雲が山の方へと移動していった。だから朝には満月が見えたのでしょう。
夜明け前は曇っていた。日が昇るとともに晴れてきた。令和の前は暗い時代だった。令和になって日が昇り、晴れてきた。だけど、まだ満月(死)は見えていた。
松は羅を掛けて蓋を傾く、
松林のくぼみに蓋のように雲が少し残り、そこから零(こぼ)れるように雲がすこし流れている、のだろうと読みますが、これが朝なのか昼なのか、夕方なのかはわかりませんでした。
雲が霧として残っている、あるいは霧が生じているのでしょうね。そこだけ風が吹かないか、日が当たらないため気温が上がらなかった。だから水蒸気が蒸発できずに残ったのでしょう。
ところで松という漢字は、木偏に公と書くのですね。公といういうと最初に思い浮かぶのは政治、官僚、役所などです。
夜明け前の雲の一部は松林に残り続け、少し流れるように広がっている、と読めます。前時代の慣習が公とその周辺の一部に残る。
夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。
夕方になると零れた霧が別のくぼみに至り、ウグイスがその中を飛びまわっている。ここで鳥をウグイスとしたのは、序文後の32首ある短歌の中で「ウグイスが飛んだ」と詠われているからです。
このウグイスですが漢字で書くと、今は「鶯」火火鳥と書きます。旧字体では、貝貝鳥でウグイスと書いていたそうです。漢字において貝とは通貨のことを指す場合が多いそうで、貯める、財、貸す、貧しい、買うなどの漢字で用いられます。
となりますと、慣習が残る公の中に入れる、お金にものを言わせてやがて火となる、綺麗な声で鳴く春告鳥とはいったい誰を指してるのでしょうか。私は小室圭さんなのではないだろうかと思っています。この考えが当たるならば、小室さんは日本に戻ってきます。そして鳴くとき日本に春がきます。彼を受け入れるかどうかの度量を試されているかのようです。火をいかに燃やすのかという点においても然り。
公の慣習は一部で残り続けるのだそうですよ。幸か不幸か。
庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
この一文は、後の32首の中には出てこないため、宴が終わったあとに宴の主人が書いた文であろうと考えます。
夕方も過ぎた日暮れの景色なのでしょう。春になって、初めて見た蝶なのですかね。蝶は、生死の間を行きかうだの、死者の魂が宿る象徴だの言われています。令和の最後には、鎮魂のCOVID犠牲者供養塔みたいなものがどこかに建立されるかもしれませんね。
また、空には寒さを求めて北へ帰る渡り鳥である鴈(がん)が飛んでいたそうです。渡り鳥である雁は△の形をした編隊飛行をする鳥でもあります。△をΔ(でるた)と読めば、コロナのΔ型は令和の最後になってやっといなくなる、となります。
ここまでの序文まとめ
令和は明るい。
前時代の慣習が公とその周辺の一部に残る。
お金にものを言わせてやがて火となる、綺麗な声で鳴く春告鳥
令和の最後には、鎮魂のCOVID犠牲者供養塔。
コロナのΔ型は令和の最後になってやっといなくなる。
残りの序文 全部
ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。
宴の主人がこの文を、宴が終わったあとに書いているのだと思うのですが、どうやら最高の宴になったようですね。私なりに解釈すると以下の通りです。
天と地を前にして、酌み交わしながら酒を呑む。話すべきことは話しつくし、景色を楽しんだ。皆、自由にし、皆、心地良く。歌が詠みたくて仕方がなかった。梅花の歌を以下に記す。庭の梅を肴に、短歌を詠みました。よろ。
令和の全体像は、一日の曙から始まり日暮れに終わるものですが、ここはその日に行われた宴の感想を書いています。令和の終わり間際に時代を振り返ると、これほどの感想をいだくのだろうかと思うと、私たちはこれからどんなことを体験するのかワクワクします。
さて、細部を見ていきましょう。
天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。
天と地を前にして、酌み交わしながら酒を呑む。
宴は、宇宙と大地を前に座るんです。開拓していかないんです。ここは、「和」の部分で書いた「港の開設、管理、運営」と重ねることもできます。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
話すべきことは話しつくし、景色を楽しんだ。
そして何をするかというと、一緒にお酒のんで、言葉が尽きるほど喋りまくって、景色を楽しむんです。穏やかですよね。
日本という国は、お世辞にも若い国とは言えません。歴史も然り。少子高齢化も然り。だから、そう振る舞う人たちの宴を、新たな朝に向けて準備し、開くんです。
淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を述べむ。
皆、自由にし、皆、心地良く。歌が詠みたくて仕方がなかった。
皆が自由にしているのに、皆が心地いいという奇跡が起きています。家という閉じた領域のなかで、師の誘いに応じた者だけが参加する宴ですから、成熟した者だけが宴で呑むことを許されている。人を不快にさせる者は、最初から招かれていないのでしょう。
そして、歌を詠みたいという思い。原文では反語を用いて表現してますが、たぶんこういう意味でしょう。穏やかな宴ですよねえ。
詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。
梅花の歌を以下に記す。庭の梅を肴に、短歌を詠みました。よろ。
春の歌を、始まりの歌を以下に綴ります。始まりの庭を肴に歌を詠みました。
もはや解説は必要ありませんね。いざ、始まりを歌うとしましょう。
自らも宴の参加者であり、宴が始まっているのなら。いざ。
梅花歌32首
詠まれた歌が時系列準に並んでいるのだろうと解釈します。ごめんなさい。割愛します。
ただ、「宴が始まってから詠まれた歌が時系列準に並んでいる」ので、次に何が来るのかを細かく占う内容として使えるかもしれません。
「梅花の歌32首と序文」と「令和」
ここでは、令和はいつ頃に終わるのだろうか、という疑問を考えていきたいと思います。
令和の元となった歌集と序文は、たった一日のうちに起きたことを書いています。この時点で令和は短そうだな、という印象を抱きました。しかし、これは現在の天皇が短命で終わることを意味しません。明治から始まった一世一元の制(天皇1代の元号を一つだけにすること)は、平成の終わりに終わったからです。これから年号は昭和のように長く続くものではなくなるのかもしれません。
亡き安倍晋三元内閣総理大臣の国葬は令和4年9月27日です。序文の内容と相関していると考えるのならば、この日が、日本が宴の準備のため白粉を塗る日となります。日の出の時刻ですが未だに満月(死)が沈まない状況から、満月が沈み、陽は高く昇り、いよいよ宴が始まります。
データが無かったので2022年の2月10日を参照しますが、日の出は約06:30、日の入りは約17:20ごろ。令和4年9月を日の出時刻とし、日の入り時刻から令和の終わりを計算すると、約12年ほどとなります。
次の歌集
ところで、令和の元となった歌集の、次の歌集はどんな内容だと思いますか? なんと、船下りをして遊んでいる男性が、岸にいる二人の美しい女性を口説き、口説かれる歌なのです。大きな船が航行できるような「澪」なのかは判別がつきませんでしたが、大変に興味深い歌集の並びとなっています。
令和の次の年号は、意外と軟派なものになるかもしれません。
一緒にいこうよ、と呼びかけるような。
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