『プレハブ』
今でもあの頃のことは鮮明に覚えている。
マサ、ジンバ、ケンチ。
同じ年に同じ大学に入って、同じ日に同じサークルに入った三人。
マサはドラム。ジンバはギター。ケンチはキーボード。
バンドは別々だったが、暇さえあれば三人でセッションしていた。
「暑っ!もう無理。手が汗で滑って、バチが飛んでいきそうや。」
上半身裸のマサが、ドラムを叩くのを途中で止めて叫んだ。
「おめ、こっちに飛ばすなや、マサ! そうやケンチ、途中でなんかしたか? コードが、なんか変な感じになったと思ったら、なんやろ、全体がワーンってならんかったか?」
ほぼパンイチのジンバが、興奮気味にケンチに言った。
「うん。左手のベース、タッチを一瞬ミスったんだけど、これもいいかなって続けてみて。それでちょっと展開してみた。そしたら、なんか不思議なテンションが入ったみたいになった。なんだろな・・・ジンバが言ってるのわかるよ。」
「それさっ、も一回やってくんね?な?なんかさっ、いい感じの曲ができそう。俺もその感じに合わせてみるからさ。」
「いいねぇ。曲作ってコンテスト出ちゃう?この変則トリオで。」
扇風機を抱えたマサが、無邪気な笑みを浮かべて言った。
「コンテストかぁ。出たいなぁ。オレ。」
「ケンチは、ずっと一人でピアノ弾いてたんだっけか?」
生音で16のカッティングを刻みながら、ジンバがケンチに聞いた?
「うん。だから大学入ってバンドやるのが夢だったんだ。」
「ふーんそんなもんか。おれなんて中学の頃からずっとバンドでドラム叩いてたから、そんなふうに思わんかったわ。」
「マサ、お前は少し色々考えたほうが良いわ。」
「ウィーッス。」
マサが戯けて変なポーズをとる。
それを見てジンバとケンチがケラケラと笑う。
夏休みの大学。部室から少し離れたプレハブ。サークル設立時に練習場所として作ってもらったプレハブらしいが、今はほぼ倉庫。ここで練習する奴なんていない。クーラーなんて物はなくて、夏は扇風機だけが頼りだった。
カビ臭くて、汗臭くて、そして電子機器特有の匂いが漂うこのプレハブは、いつも僕たちの貸切だった。
あれから数ヶ月。
学内の銀杏並木が色づく季節。
珍しく僕たちは、あのプレハブで真剣だった。
夏に偶然奏でた曲は、思いの外、コンテストで高評価だった。
「なぁケンチ。あの審査員の言ってたことわかる?」
生音で、クラプトンぽいフレーズを弾きながらジンバが言った。
「うーん、わからない・・・どうしたらいいんだろね。」
両手で鍵盤をカタカタさせながら、ケンチが気のない返事をした。
「あの審査員、意地悪で言ってんじゃねぇ?この曲は未完成だぁ?来週までに完成させろって、意味わからんわ。」
マサがハイハットを16で刻むフリをしながら、少し不貞腐れた表情で言う。
「でも、あの審査員。超売れっ子プロデューサーだよ。あの人がこの曲とオレたちに興味を持っただなんて・・・マサ、ジンバ・・・オレ、ちゃんとやりたいんだ。」
この数日、こんなやりとりが続いていた。あの曲は本当に偶然だった。意図せず生まれたハーモニー。この曲を完成させることが、プロデュースを引き受ける条件だなんて・・・
「なぁ、もうよくね?おれもういい加減セッションしてぇ。おれたち十分考えたっしょ?」
「マサ、真面目にやれって言ってんだろ?ふざけてんじゃねぇぞ。お前、なんにも考えてねぇだろがっ!」
「はあ?なんやその言い方は?」
マサの表情が急に変わった。と、同時にジンバに殴りかかった。
「痛っ!おめえぇぇ。マジで喧嘩売ってんのかぁ。」
ケンチを置き去りに、二人は殴り合いを始めた。
この日以来、僕たちは、二度とセッションすることはなかった。
プレハブへも行かなかった。
普段の会話も必要最低限だった。
でも、お互いのプレーはちゃんと見ていた。
卒業するまで・・・ずっと。
いや卒業してからも・・・まだ。
ただ、あの曲が完成することはなかった。
二〇二一年八月、都内某スタジオ。
「珍しいですね?イメチェンですか?」
「おぉ毎度。あの曲、聴いてくれた?。ハハハハハ、ちょっとね。でも良くない?」
「えぇ、なんていうか、特に間奏のところ? これ何のテンションですか? 急に全体がワーンって感じでイイですね。なんか新しいなぁ・・・」
「全体がワーンか・・・昔この曲を作っているときにさ、そう表現した奴がいたよ。君と同じ表現してたってことは、奴は当時から天才だったんかなぁ・・・しかし、完成させるのに、ずいぶんと時間がかかちゃったよ。」
♩♬・・・・・・
今でもあの頃のことは鮮明に覚えている・・・
奴らもまだ覚えているかなぁ・・・
おわり
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