『おにぎり』
打ち合わせが早く終わったから、少し余裕を持って帰れそうだな。
名古屋駅に着いて名鉄に乗り換える。名鉄名古屋駅は昔とあまり変わっていない。薄暗い洞窟のような地下フォームにうっすらと香る油の匂い。少しホッとしたような寂しいような複雑な気持ちになる。
犬山線に乗って15分ほど。岩倉駅で降りてタクシーで実家へ向かった。駅からとても遠くにあったと思っていた家は、自分の感覚以上に近くにあって帰るたびに驚かされる。
私の実家は代々続く和菓子屋さんだった。
”だった”というのは、兄も私も後を継がなかったので、父の代で店を閉めてしまったからだ。今は見かけ倒しの建物が、県道に面した一等地でシャッターを閉めて寂しそうに座ってる。三階建ての無駄に部屋数だけある店舗兼住宅のビルには、母が一人で住んでいる。その母も最近なんとかという難病にかかってしまい、毎週のように市民病院に通っている。幸いにもその症状は生活するうえで何の不自由もないのだが、病気の進行具合によっては突然死んでしまうらしい。なので、天邪鬼な私は ”生存確認” と言って、出張で近くまで来ると、できる限り母の顔を見に来ていた。
「もうすぐ着くと思う。うん。ごめん。夜には帰らないと・・・うん。」
母は泊っていけというが明日の朝一で会議がある。その準備は帰りの新幹線で何とかなりそうだが、会議を欠席する訳にはいけない。当たり前だけど寂しいんだろう。一緒に住むという選択肢もあるが、私の家の近くには、母の難病に対応できる医者がいないらしいし、妻があまりいい顔をしなかった。罪滅ぼしではないが、できるだけ顔を見に来ようと思った。
「ただいまぁ。おかあさん、元気そうじゃん。」
「おかえり、おかえり・・・けんちゃんも元気そうだがね。」
「で、最近はどうなん?」
「まぁ普通に生きていくには何の問題もないわ。でも退屈でいかんわぁ。」
「本とか読んでいないの?最近、割りと面白そうな若い作家が出てるよ。」
「うん。でもなんか色々とやる気が出んがね。」
「どっか調子悪いとか?」
「大したことないけど、力が出んがね。あんまり。」
そう言われると一回り小さくなった気がする。いつもむちゃくちゃで、やることなすことが豪快だったあのころの母はここにいない。
「無理しないでね。」
「うん。そうだ晩御飯は食べていかんの?なんか作ってあげるわぁ。」
「あぁ、そうだなぁ、駅弁でも食べようと思ってたけど・・・じゃ、作ってもらっていい?一緒に食べよ。俺は軽くで良いよ。」
「じゃ、おにぎりでも握ってあげよか。」
「いいけど、おかあさんはそんなんで良いの?」
「もう、あんま夜は食べんがね。」
「そうなんか・・・うん。じゃ、おにぎり握って。」
「うん。わかった。」
こんなことで嬉しそうにする母を見て、少し涙が出そうになった。
「はい、できたよ、けんちゃん。食べよ。」
「あっ味噌汁も作ってくれたんかぁ。赤出汁が懐かしいなぁ。ありがとう。」
”ありがとう”のイントネーションが訛った。
「けんちゃんの好きなサツマイモがあったから、御御御付(おみおつけ)にしてみたに。」
母の握ったおにぎりは、”浜乙女のお茶づけ海苔”を混ぜて作るおにぎり。私の家のおにぎりはいつもこれだった・・・
子どものころ、おにぎりはこの味しか食べたことがなかった。
幼いころから私は少し潔癖症で、母の握ったおにぎり以外は食べられなかった。友達の家に遊びに行った時におにぎりが出てくると、いつも食べるふりをして捨てていた。
だから私にとってのおにぎりは、”浜乙女のお茶づけ海苔”の味だった。母といつもこの味のおにぎりを持って、写生に行ったり、公園で読書したり、松坂屋に行った時にも持って行ったから兄貴がとても恥ずかしがっていた。
少しだけ塩味が強くて、あられがアクセントになっていて、細かい海苔がまんべんなくおにぎりの中にあって、なのに母は海苔を巻く。
豪快な母の握るおにぎりは、いつも少し固めでご飯がギュッとなっていたのに・・・
”プップーッ”
「タクシーが来たみたいだから行くね。」
「うん。今度はゆっくりしてってな。」
「うん。おにぎりとお味噌汁、ありがと。じゃね、またね、元気でね。」
「うん・・・また・・・」
タクシーが出るとき、二階のリビングの窓から母が見ていた。
岩倉駅に着いて名古屋行きの急行に乗った。塾帰りの高校生たちが結構乗っていた。
母の作ってくれたおにぎりは・・・
食べようとすると、ボロボロと崩れてしまった。
柔らかくて、ボロボロと崩れてしまった。
母は「ごめんね・・・」と申し訳なさそうにしていた。
電車の中で、なんだか悲しくなって、私は周りを憚らず涙をボロボロ流して泣いた・・・
そして、それが最後のおにぎりになった・・・
おわり
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