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4年前の今日、忘れもしない宣告をされた日。


2020年12月10日。
毎年12月になると思い出して、胸がきゅーっとなる。そう12月10日は夫が癌を宣告された日。
私は夫の病気の記録をWordにずっとつづっていた。そうすることで、自分の気持ちを吐き出して、メンタルを保っていたのかもしれない。とはいえ、時間に余裕があるわけではなかったし、今見返すと、亡くなる1か月前で更新は止まっていた。Wordは15ページほどだった。

宣告の時。

2020年12月10日今後のことを話したいと大学病院の先生に呼び出された日。
12月2日から入院していて約1週間ほど。
入院のきっかけは、胃腸炎のような症状が11月末に出て(嘔吐下痢)、近くの内科を受診したものの、薬を飲んでもおさまらなかった。再度内科へ行ったが原因わからず、大きな病院へ行き、血液検査。そこで腎臓の数値が異常値だった。すぐに大学病院へ救急搬送(一刻を争う状態だった)。
【お腹に水が溜まり、何かが腎臓に悪さをしている】

病院でいろんな書類にサインをしまくり、そこでなんかただ事ではないと感じた私。でもそのときは「お腹に水がたまる」ということが恐ろしいことだなんて知らなかった。
入院直後、転移したであろう箇所の切除手術と腎ろうを入れる手術が行われた。病院の対応が本当に早くて、感謝しかなかった。しかしあまりにもいろんなことが急激に進み、理解が追い付かなかった…手術後も検査検査の毎日。でも検査しても何も悪いところは見つからない。影とかもなく、腎臓以外はすべて綺麗だった。

そして、宣告の時。
先生から「腫瘍が腎臓の通り道をふさいで、腎不全になっていて腎瘻とは半永久的な付き合いになるだろう。身体の中を隅々まで調べたけど、原発がわからないため、原発不明がんの可能性がある」と言われた。

この時は何が起きてるのか、今宣告されていることが自分たちのことなのか、なんか変な感覚だった。「手術ができなくて、延命治療するしかない」と言われて、このときはじめて「死」というものを間近に感じた。怖かった。とにかく怖かった。いろいろなことが頭をめぐった。この先一人で子どもを育てて、ローンも返していくのかとか…「余命何か月」とは言われなかったものの、心の中で、もしかしたらあと数か月なの?とか何度も考えた。

先生からの話を聞いて、2人になったあとはとにかく涙がとまらなかった。
普通に生活していたのに、突然がんになって、人生は何があるかわからない。後悔しないように1日1日を大切に生きなければならない。普通の生活って、実は幸せなことだったんだとあらためて感じた。

家で子どもと待機してくれていたお義母さん。宣告された内容を私から告げなければならなかった。何から話せばいいのかわからなかった…
話をしたら2人で泣いてた。そうだよね、自分の息子ががんになったなんて聞いたらいてもたってもいられないよ。その日は、お義母さんと一緒にご飯を食べた。けれど喉をとおすのがやっとだった。

その日はいろいろなことが頭に浮かび、涙も止まらず、ほとんど眠れなかった。私だけじゃない。一番辛いのは夫。義母。家族。なんで私がこんな目にあうの、と何度も何度も思った。

この日から私の生活はまるで変わった。病院と家の行き来。育児家事、完全なるワンオペに。そして、お金のことが心配すぎて、即保険を確認。電話もしまくったな…この私の行動の素早さだけは、本当に自分でも尊敬(笑)

今思い返すと、11月は何か体調が変だった。

11月は夜勤をしていた夫。夜勤のせいで生活リズムがおかしくなっているせいかも?みたいな症状があた。
・とにかくだるいから帰宅してすぐ寝ていた
・食欲がない(食べられない)

本当にちょっとしたことだけど、いつもと何か違うと感じたら、すぐに病院に行くべき。でもこの2つの症状では、たしかに病院行こうとは思わないかもね…

夫は持病もなく、たばこも吸わない、お酒もほとんど飲まない、健康診断はすべて異常なし、という健康体だった。なぜ突然がん細胞が活発化したのか…神様はいじわるだよ。
これからってときに…


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