不在の音楽
部屋の中は湿度が高く、もやりと澱んでいた。たまらず窓を開けた。
隣家の屋根越しに見える空は青く晴れ渡り、涼やかな風が室内に入ってくる。体の中の靄を追い出すように、大きく息を吐き、吸った。
床に仰向けになり、目を閉じた。ひんやりとした感触が、微熱を持った体に気持ち良かった。
明け方の街は静かで、耳を澄ますと隣の部屋で鳴る音楽が、かすかに聞こえてくる。憂いを帯びたという表現がよく似合う女の人の声で、百万本のバラの花について語っている。バラという字はどう書くのだったかと考える。この歌詞のバラはきっと漢字で書かれている。そんな気がしたからだ。
壁の向こうからは、三日ほどの間、途切れることなく音楽が聞こえていた。隣人はどうやら不在で、出かける時に音楽プレイヤーのスイッチを切り忘れたのだろう。おそらく1枚のアルバムが、何度も何度もエンドレスで鳴り続けている。
音はたいして大きく聞こえてくるのでもなくて、はじめは何か歌らしいということしかわからなかった。
それでもその音は心地よく感じた。響きに古き良き哀愁を纏わせている。
隣室から聞こえる音に気付いてから、目を覚ましている間はいつもそれを耳で追いかけていた。ずっとベッドに横になっていて、他にすることもできることもなかったのだ。
聞いているうちに、曖昧だった音の輪郭が辿れるようになり、歌詞も部分的に聞き取れるようになった。
おおよそは愛の歌だった。そして歌の中の人はみな傷ついていた。歌というのは大抵がそういうものなのかもしれない。
たまに挨拶する程度の隣人の姿を思い起こす。二十代後半から三十代くらいに見える男性で、いつもラフな服装でいた。すれ違う時には、薄く笑顔を浮かべる。だけどその顔をはっきりと思い出せないことに気付き、ちょっと驚いたのが昨日のことだ。
こんな音楽を聴くのだな。意外なようにも思い、らしいようにも思う。だけどそもそも、そんな感想を持つほど親しいわけでもない。なにせ顔も思い出せないのだし。
閉じていた目を開けて、床に寝転んだまま窓の外、空を見上げる。雀でも鳩でも、横切らないかと思ったけれど、見えるのは雲ばかりだ。
この三日間で一番気に入ったのは、空を飛ぶことについての歌だった。簡単に疲れる重いこの体は、鳥に憧れているのかもしれない。自分がそんなことを考えているなんて、初めて知ったと思った。
歌の登場人物は、飛びたくても飛べないようだった。思うさま空を飛び回って、心が爽やかに晴れ渡りましたというような歌じゃない。
でも、空を飛びたいのだと気付いた体は、それだけで少し軽くなるような気がした。