ソクラテスからSNS 「言論の自由」全史
ソクラテスからSNS「言論の自由」全史
(ヤコブ・ムシャンガマ 著)
0 言論の自由
歴史概要
・起源は古代アテナイの政治家による開かれた議論・反対意見の許容(紀元前431年)
・はじめて報道・出版の自由の法制度(1766年スウェーデン)
・はじめて検閲の廃止(1770年デンマーク)
言論の自由に関する破壊的なテクノロジー
・印刷技術(新聞・政治的小冊子など)
・インターネット(SNSなど)
1 古代における言論の自由
・古代の王は権力のために言論の自由を罰してきた(特に奴隷や女性)
・古代都市アテナイで民主主義、言論の自由が公式に認められた
(アテナイが強い国家になったのは言論の自由があったから)
・学問、理性、知への探求は続いた
2 中世イスラム世界とヨーロッパ
・ローマ帝国のキリスト教化(組織的な異端審問)
・西欧と異なり自由な思想家がいたのはイスラム世界
・宗教を信じる人々は自らの宗教に逆らう者を殺そうとする
(神の存在の否定はありえないこと)
・ヨーロッパでは地球温暖化、出生率の向上などから人口が急増した
(古代ギリシアやイスラムの哲学・科学・医学などが西洋に取り入れられた)
3 宗教改革
・グーテンベルクによる活版印刷の技術の発明(1450年頃)
・国境を越えて様々な知識や発想が急速に広まった
・識字率も上がった
・一方でモラルに反する情報も広まった(中傷、狂気じみたものなど)
・ルソーによる宗教改革
・プロテスタントに領地と信者を奪われたカトリック協会は反宗教改革を開始(1545年)→ 大戦争への発展
・西ヨーロッパでは17世紀になると混沌の中から信教の自由や報道の自由を求めるものが現れ徐々に数を増やしていった
4 啓蒙主義
・オランダは地域ごとの政体の力が強く中央政権の力が弱かった。それもあり寛容性が高かった(書物の読み書きが多かった)
・スピノザ(オランダの哲学者)は「国家の目標・目的は自由になることで表現の自由は不可欠」とした
・ジョン・ロック(イギリスの哲学者)により検閲を廃止する役割を果たした。それにより新聞、小冊子、書籍の数は急激に増えた
・18世紀に宗教的な寛容は高まっていく
・しかし幅広く政治思想を許容するというわけではなかった
・18世紀のなかば、啓蒙主義の中心はフランスだった
(印刷物の検閲は大幅に緩和された)
・オランダ、イギリス、フランス、アメリカで言論の自由が進歩したが世界ではじめて法律で保護したのは北欧スカンジナビア諸国だった
5 アメリカ
・植民地だった17世紀のアメリカは、言論の自由の兆候がなかったが、やがてヨーロッパから啓蒙思想が広がるようになった
・それでも18世紀前半のアメリカはジャーナリズムはリスクが大きかった
・イングランドとアメリカ植民地の対立は本格的な戦争へと発展(1775年)
・アメリカ独立宣言に「人間は生まれながらに自由と不可侵の権利が与えられる」という記述が含まれた(1776年)
・1781年にはすべての植民地の承認を得て連合規約がアメリカ最初の憲法として承認された
6 再びヨーロッパ諸国
・ラジーシチェフ(ロシアの思想家)
「臆病な政府は自由な出版や報道を押さえつけようとする。政府が恐れるのは自分たちへの批判である」
・フランス革命(絶対王政の崩壊と共和制への移行)の影響はイギリスにも及んだ
・ナポレオン後、急進的な言論や行動を取り締まる動きに。
・ノルウェーは逆に出版報道の自由が増し検閲が緩くなった(ノルウェーはデンマークに支配されてきたが、デンマークはナポレオン側だった)
・19世紀は、自由主義な改革があったと思えば反動的な弾圧があるという前進と後退が繰り返された。
・19世紀の終わりにヨーロッパでは言論の自由はいったん定着を迎えた
7 19世紀から20世紀のアメリカ
・アメリカ、イギリスをはじめ多くの国で出版報道の自由は大きく促進されたが、誰でにも平等に与えられたわけではなく、アメリカの人種的マイノリティや政治的急進主義者、植民地の住人など引き続き厳しい検閲を受けた
8 全体主義
・自由な表現によって憎悪が拡散される
・第2次世界大戦後、言論の自由の限界として全体主義が生まれた
・ソビエト連邦(スターリン憲法)では、人種的または国家的な排他、憎悪に当たる言葉を発することはすべて、法によって罰することができるとされた
・ヒトラーは就任すぐに言論の自由を停止した(政党の機関紙の発行停止)
9 人権の時代
・1941年、アメリカ大統領ルーズベルトは「世界は人間の4つの基本的な自由を基礎として成り立っておりその一つが言論と表現の自由だ」と述べた
・1980年代、ソ連のゴルバチョフは検閲を緩和し、政治犯は釈放された。表現の自由についても緩和された。
10 言論の自由の後退
・1960〜70年代、アルゼンチンを始め、ブラジル、チリ、ウルグアイなどでも軍事クーデターが起き、軍事独裁に苦しめられた。
・1980年代、南アフリカ共和国はアパルトヘイトの維持により世界で孤立していく(1991年に廃止)
・自由主義国家の割合は32%(1979年)から46%(2003年)となった。同じく出版・報道の自由が認められた国の割合も25%から41%へと増えた
・しかし2016年には41%から31%まで減少(検閲が当たり前となり、メディアや記者に影響を及ぼす)
・中国による香港の締め付け
・中国のコロナ隠蔽(政府による医師への取締り)
・アメリカの白人警官による黒人男性への死亡事件
11 インターネットと言論の自由
・世界のインターネットの自由度は10年連続低下
・自由と言えるのは調査対象65カ国中15カ国
・政治的、社会的、宗教的コンテンツが原因で逮捕されかねない国が多い
・もっとも規制している中国、他にもバングラデシュ、ベラルーシ、ベネズエラなどもアクセス制限
おわりに
・言論の自由は未だに実験中である
・言論の自由に欠点はあるが、言論の自由が制限されれば人は不寛容で非民主的になりイノベーションは起きにくくなる。そして自由に楽しく生きることは難しくなる