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歩く理由。言えますか?

「お前ら理学療法士なんて財源の無駄遣いなんじゃ!!!」

「どうせ理学療法なんかやっても治らん!!!」

「週に一回しか来ないのに、そんなもん1週間に一回リハビリやってもいみないんちゃうんかい」

と私が訪問リハに行くたびに大声で頭ごなしに怒鳴り続けるご仁がいる。

1時間の訪問でこの恨み節が60分続く。そして、罵詈雑言の合間に

「部屋の模様替えをしろ!!!」

「シーツを直せ!!!!」

「今から病院の支払いに行ってこい!!!」

と全くリハビリと違うことを理学療法士や作業療法士にやらせる。

全く持って傍若無人。

だがこのご仁、こんなに無茶苦茶な人だが、どこまでも上から目線でふんぞり返っている。偉そうで偉そうで自分以外をすべて見下している。そんなご仁だが、この方は元政治家の大先生。しかも政権与党の土地の名士。

実るほどこうべの垂れる稲穂かな。って言葉を知らんのか?

「リハビリなんぞやっても悪くなるばかりだ。わしはリハビリを週に5日も6日もやっているのに悪くなっている!!!!」

と毎回言っておられる。この言葉に毎回がっかりさせられる。

私(理学療法士)が訪問しているのは先ほども前述したとおり週に一回である。ならばなぜ週に5回?と思われた方は人の話をよく聞いておられる素晴らしい人です。ありがとう。一度飲みにでも行きましょう(笑)

このご仁が言っている「リハビリ」とは按摩マッサージ、ヘルパーさんと行く買い物同行。看護師さんに愚痴を聞いていただくこと。これ全てリハビリなのである。

「リハビリ」????

リハビリテーション専門職としてハテナ?の嵐だがこのご仁が特別ではない。多くの患者さんたちは白衣を着ている人。最近は白衣を着ていない人も多いので、「リハビリですよ~」と笑顔で言ってる人はすべてリハビリをする人なのである。余談だがこのあいだ道を歩いていたら車に「訪問リハビリ入浴」ってロゴの入っている車を見かけた。お風呂に入るのもこの国ではリハビリなのである。

また、その貴重な週に一回の一時間しかない理学療法もお手伝いさん扱いで使ってしまう。

そりゃ、歩けなくなる。そんな国を作った自〇党の整骨院も理学療法士も区別のつかない政治家が

「お前ら理学療法士なんていらない国家資格だ!!!」

とのたまう。

突っ込みどころ満載だ。

二言目には「歩けるようにならない。歩けるようにならない」

といつも吠えておられるが、按摩マッサージさんに揉んでもらっても、買い物同行で車いすで買い物に連れて行ってもらっても、看護師に愚痴を聞いてもらっても、絶対に歩けるようにはならない。

そもそもこのご仁は歩く身体能力はあるのに絶対に歩けるようにはならない。

それは何故か?

何故人は歩くことに固執するのか?

今日はそこいらへんについてちょっと考察してみよう。

人はなぜ歩きたがるのか?それは『歩くこと』によってセロトニンやβエンドルフィンなど脳内物質の分泌が盛んになる。つまり、歩くと本能的に気持ちがいいんですね。ならどうして、歩く能力がある人たちががこぞって寝たきりなっていくのか?

それは・・・・

私たちが1日に消費するカロリーのうち、約20%ものエネルギーを脳が使っています。

脳の活動にはそれほどの燃料を必要なわけで、その一環である自制や意志決定も、いつでもできるものではありません。

つまり、意志の力は限りある資源なのです。筋肉と同じで、意志の力も使えば使うほどくたびれてきます。

なので長年障害に侵されていると意思は疲れ果て「できない」「わからない」「しらない」「どうせ無理だ」と病気と闘うことを辞める。そして次に辞めてしまったこと。例えば、誰かについてきてもらって歩く。誰かにトイレ介助をしてもらう。誰かに・・・。が続けば続くほど「誰かに」が安心感になり一人でやることにたいして「恐怖」が生まれる。

身体能力はいくらあっても、精神機能「恐怖心」が動作を阻害する。

ならばどうすればいいのか?

例えば「歩けない」患者さんがいたとします。歩けないので移動手段は、車いすに乗っているとします。

私の理学療法ではまず、歩けない原因を探り、「歩く理由を」確かめます。

ここが重要ポイントです。

なぜ歩かなければならないのか?を考えていただく。

施設に死ぬまでいるのが決定している人が「自分の足で歩く理由」皆さん考えてみてください。

施設では屈強な介護士さんたちが上げ膳据え膳で、着替えやお風呂等すべて本人が、何もしなくてもやってくれます。歩かなくても車いすに乗せ換えてくれて、すべて運んでくれます。何もする必要はありません。

さー。シンキングターイム。

カチカチカチ、チーン。

どうですか?見つかりました?

「盆正月に家に帰るので、歩けなければ困る」

と言うのなら理由がある。しかし、死ぬまで家に帰れない人は?理由がなければ、人は努力できません。

東大に入る理由もないのに、東大に行け!!勉強しろ!!といきなり他人に言われてもびっくりしちゃいますよね。

理由を見出すこと。これが前述した疲れ切った「意思」を奮い立たせる方法なんですね。

冒頭に書いた文句ばかり言っているご仁は歩く理由がない。必要のない事は人はしない。いくら本能で求めても意思の疲労にはめったなことがない限り人は勝てない。

歩く理由なんてなんでもいいんです。

・家族に迷惑かけたくないから歩いてトイレに行きたい。

・少し歩けるようになったら豪華客船で旅行がしたい。

・職場まで歩いていけないと困る。

・ジャイアンツの終身名誉監督だから歩いていないと、カッコがつかない。

等々。

「歩く理由」が見つかれば、どうすればその理由を達成できるかをプログラムしていくことができます。

「~しなければならない思い」があれば、例え週に一回の理学療法でも「歩けるようになるためのプログラム」を家族やご本人様が粛々と実行してくれる。だから歩けるようになる。

「歩きたい」という人の本能である欲求に対しても何故がなければ決して達成できないのである。お金だったり、労力といった、代償ももちろん支払わなければならない。

しかし、お金を出すのも努力も嫌。欲しいものだけくれ。と言う患者さんが多いのも現実ですけどね(笑)

最後にもう一度だけ言います。

人は心が動かなければ体は動かない。

今後とも理学療法をよろしくお願いします。(*- -)(*_ _)ペコリ



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