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治療哲学

髪の毛が伸びてきてうっとうしくなってきたので散髪に行ってい来た。

散髪屋の大将が
「この間ね~。テレビで20年間病院の隔離病棟から出してもらえなかったってやつやってたんですよ~。酷いですよね~。かわいそうに~。」
不憫だ~。というような表情を浮かべながら話すのだった。
「へ~。そんなの普通ですよ。」
と私が平然と答えると大将は驚いた様子だった。


しかし、その散髪屋の大将も自分の父親を長い間老人施設に入れていた。どうしてそんな番組で「かわいそ」がっているのか不思議だ。自分も同じことを親にしているのに、自分の父親のこととは全く別物としてとらえているのだろう。


しかし、私からすれば、大将のお父さんだって、十分「かわいそう」な人に当てはまる。


大将のお父さんは、元気いっぱい生活していて、足の骨を骨折して入院した。そのまま病院で手足に拘縮をガッチガチに作ってもらって「こんなところにおったら殺される~」といいながら、病院で寝たきりにしてもらい。アルツハイマーにしてもらって舌の短縮を起こしてもらって、ボロボロの状態にしてもらって、中心静脈栄養(IVH)で長生きさせてもらって最後は肺炎で死んでいった。(大将の話をつなげるとこうなる)


ただ単に、骨折を起こして病院に入っただけの人の最後がこれだ。話を聞いているだけでも残念極まりない。私たち理学療法士の仕事は、そんな残念な人を一人でも少なくするのが仕事である。


治療を行う上で大切なのは、科学(サイエンス)、哲学(フィロソフィー)、芸術(アート)と言われている。どれも大事だが、治療哲学はとても大切だと私は考える。


「フィロソフィーがなければ、治療にならない。」口すっぱく、後輩たちに私が伝えていることである。


では、私の治療哲学とは何か?ってことを今一度考えてみたいと思う。


「哲学のない治療は治療にあらず」哲学として、わたしは理学療法自体をもっと、広くいろんな人に知ってもらいたいと思っている。


脳梗塞をしたら人生終わり。病気になったらそこで終わり。麻痺が残存したら終わり。足が動かなくなったら終わり。と、すぐに人は、人生を諦めてしまう。


そして、人生をあきらめる必要もない人たちがこぞって、「死にたい」「死にたい」を繰り返すだけで、何の手立てもとらず、ただただ、命が尽きるまで待つ。そんな人があまりにも多い。


適切なリハビリテーション治療を受けていれば、「寝たきり」にならなかったのに。リハビリを自分本位にやらず、ちゃんと療法士のところでやってればもっと楽しい人生が待っていたのに。と、残念な患者さんが後を絶たない。


「医者で病気がこれ以上治らない」って言われたから。といって、その瞬間に人生を諦めてしまう人が多い。しかし、医者が治らないといっているのは、い・し・ゃ・ができることはない。と言っているだけで、医者以外のところはこれから始まる。ということです。


医者がこれ以上は、刃物と毒では無理。といってからがリハビリテーション治療の開始なのです。そのことを多くの人に知ってもらいたい。


足がなくても、車に乗る方法もあれば、トイレに行く方法もある。外食に行く方法だって、仕事をする方法だってある。手がなくてもご飯を食べる方法はある。


理学療法はもともと戦(いくさ)で手足をなくした戦士に義手や義足をつけて再び戦場に送り出すために開発された技術である。


なくなった手や足は無論生えてこない。しかし、足や手は付けることができる。つけた手足を戦に行けるまでに使いこなす技術が理学療法なのである。
現代の戦のない日本ではその技術が、障害に応用された。つまり、脳梗塞等の疾患で動かなくなった足や手があったとしても、もう一度生活できるようにする技術として戦後発展した。


病気になって障害が残っても、もう一度、戦場(元の生活)に戻れるようにする技術があるのにもかかわらず、あきらめや自己流、一般的ないわゆる「リハビリ」を受けることで、残りの人生を棒に振ってしまう。


あーもったいない。残りの人生が勿体ない。「早く死ぬから」と患者さんたちは一様に言うが、平均寿命が年々上がり続けている現実を見ようとしない。つまり、日本にいる限り長生きしてしまうのです。


「死にたい」と感じた時にはもう、死ねなくなったときなのです。


生活を豊かにする技術があるのにその技術を受けずに「しょうがない」と勝手にあきらめて、10年20年30年と寝たきり生活を送る。


もったいない。


私は、元来けちんぼなのか、もったいないのが嫌いである。もっと多くの人に、理学療法や作業療法のすばらしさを知ってもらい、「寝たきり老人」のいない世の中を作りたい。


理学療法士や作業療法士なんていらない世の中が一番いいに決まっているのだ。


寝たきりのいない世の中を作るためには、もっと多くの人に理学療法や作業療法を知ってもらう必要がある。


それが、私の治療哲学である。


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