覆面社長に気をつけろ。
こんな噂があったんです。
うちのデパートの社長が覆面で新人バイトとして売り場に潜入して来るという。
最近スタッフの接客態度が悪いだとかスタッフ内で揉め事が多いからということで、社長自らが売り場に潜入して内部事情を探ろうというものらしい。
私達は休憩室でその話題で盛り上がっていた。
「社長って及川さんのこと?」
私はこの噂を広めた麗子に聞く。
「及川さんじゃなくて、もっと上の人!財津グループの大ボスよ!私らって、その人見たことないじゃん?だから来てもわかんないよね。ちなみに女社長らしいよ。」
そんな上の人がそんなことするわけないでしょ。と思いながら私は麗子がそう言うのを聞いていた。
「来たらわかるよー。そういう人って社長オーラ出てるもんよ。私なら一発でわかる!」
下着売り場の美冴がガムを噛みながら言った。
「それがさー上手く変装してるらしいの!特殊メイクまでしてるかも。」
「麗子、その噂、誰から聞いたの?」
私はゴシップ好きの麗子に聞く。
「富谷さん。あの人前に梶山店で働いてたみたいなんだけど、そこに来たらしいよ。」
フロアマネージャーの富谷さんが言うなら本当かもしれない。
1カ月後。
私はそんな噂のことなど忘れかけていた。
でも新しいバイトの人を見た瞬間思った。
来たーー!!!
社長のオーラ。
若いスタッフばかりのこの売り場で覆面社長は目立っていた。
社長は私に気づいた瞬間に軽く会釈して笑顔を見せた。
そして黒のパンプスをコツコツさせながらゆっくりこっちに歩いて来た。
決して美人ではないが上品な顔立ちだった。
若作りしているが40歳くらいだろうか。
「よろしくお願いします。今日からここで働くことになった飯田知子です。」
やはり、喋り方に落ち着きがある。
社長は店内をぐるっと見回した。社長の目は会計レジの上の天井で止まった。
ヤバイ。
電球が切れたから変えてもらおうと思いながらもそのままになっていた照明がチカチカしている。
私はヒヤヒヤしていたが、社長は何も言わなかった。
ここは地下の若い女の子をターゲットにしたお菓子売り場。
まさかこんなところまで大ボスが来るとは思わなかった。
「じゃあ、とりあえずそこで制服に着替えてください。」
私はバックルームで初日の研修内容を説明した。
社長はにこやかに私の説明を聞きながら時々静かに頷いた。
教えているのはこっちなのに、何故か私の方が新人指導のやり方を見られているような気分だった。
どんなに新人のふりをしても社長の貫録は隠せていない。
「ピアスはオッケーですけど、マニキュアは禁止です。化粧はできるだけ薄化粧で。」
そう言って私は社長の顔を観察する。
どうやら特殊メイクはしてないようだ。
社長だとわかっていて偉そうに指導するのは気が引けたが、私は知らないふりして普通に接していなければいけない。
これは私にとって社長に認められるチャンスでもあった。
麗子の情報によると、いい働きをしている人を見つけたら昇給、昇進もあるという。。。
私は社長に見られているのを意識していつも以上に丁寧に接客した。
そして社長には優しく、丁寧に仕事を教えていった。
でも、意外と社長は飲み込みが悪かった。
「あれ、この後どうすればいいんでしたっけ?あ、間違っちゃった!」
社長はレジの前でオロオロしていた。
「ここの矢印のボタンを押すと、前の画面に戻りますんで、大丈夫ですよ。」
私は辛抱強く、さっき教えたばかりの手順をもう一度教えた。
仕方ない。社長なんだからレジなんかやったことないんだろう。
閉店して帰りの支度をしている時、社長がため息をつきながら言った。
「私、実は今までちゃんとした仕事したことないんです。20歳で子供できてからずっと専業主婦だったから。。。もたもたしちゃってごめんなさいね。」
私はそんな芝居をする社長に同情するふりをした。
「そうだったんですか〜。大変ですね。」
と言いながら、そういう設定なんですね、と思った。
「お釣り渡し間違いとかも本当にごめんなさい。私、計算弱いんで。」
社長は申し訳なさそうに言った。
でも、計算弱いってもあんなの簡単ない引き算足し算ですけど!
と言いかけたが、これは出来の悪い新人をどう育てるかというのを試されてるということかもしれない。と思ったら言えなかった。
「大丈夫ですよ。ゆっくりやって。わからないことあったら何でも聞いてください。」
「ありがとうございます。太田さん、優しいんですね。」
2週間たった。
社長が一通りの仕事を何となくできるようになり、売り場に慣れた頃から変化が現れた。
少しずつ社長目線のコメントがちらほらと見られるようになったのだ。
社長は試食用のクリスピーナッツを一つ摘んで口に入れた。
「この試食で出してるクリスピーナッツって何日くらいたってるの?」
社長はいつの間にかタメ語になってた。
「毎日新しいの出してるんですけど。」
私は、いつも閉店したら残りの試食を捨ててるの知ってるでしょ?と思ったが言わなかった。
「そう。ちょっとクリスピー感がなくなってるから。」
私はその言い方に少しカチンときた。
でも仕方ない。我慢しよう。社長だから。
休憩中、私はいつものように麗子とお昼ご飯を食べながら人の噂話をしていた。
覆面社長がうちの売り場に来ていることは麗子に言っていなかった。こういうのは他の人に言ってはいけないことのような気がした。みんなにバレて社長の覆面業務を台無しにしたくないという私の配慮だったのだがー
それにしても、社長はいつまでうちの売り場で新人のふりをするつもりなんだろう。
ちょうどそう思っていた時だった。
「麗ちゃん、お願いいあるんだけど。」
富谷さんが麗子の隣に座って言った。
「財津グループの社長がさ、娘さんへのプレゼントにバックと財布あげたいらしいのよ。だから20歳の女の子が好きそうなの選んどいてくれないかな。」
「えー大ボスの娘さんですかー?ちょっとそれ責任重大じゃないですかー。自分の娘なら自分で選べばいいのに。」
「そうだけどさ、50歳のおじさんには若い娘の喜ぶものがわからないじゃないかな。」
それを聞いた瞬間、私は固まった。
50歳のおじさん?!
社長がおじさん?
私が聞くまえに麗子が言った。
「その社長って女じゃなかったんですか?この前女社長が覆面で現れるかもって言ってなかったでしたっけ?」
「あーあれ信じてた?あんなの冗談よ。忙しい社長がそんなことするわけないじゃない〜。あの時、麗ちゃん達の売り場、揉めてたから、ちょっとそう言ってみただけ。」
「なんだーそうだったんですかー私達、覆面社長来たらどうしようって言ってたんですよ、ねえ、さくら。さくら?聞いてる?」
麗子は私に話しかけていだが、私の頭は「社長がおじさん」の意味を理解しようと必死で「うん。」というのが精一杯だった。
その時、向こうから社長だと思っていたその人がこっちに近づいてくるのが見えた。
そう言われてみれば社長のオーラなどない。
ただのおばさん。
「お疲れさまです!」
私はそう言って隣に座ろうとする偽社長に思わず言ってしまった。
「あんた社長じゃなかったの!?」