これは政治的ディストピアSFなのか?-『17歳の帝国』第1話を観た。

NHK総合で5/7(土)より放送されたドラマ『17歳の帝国』第1話を観た。

舞台は202X年。日本は深い閉塞感に包まれ、世界からは斜陽国の烙印を押されている。出口のない状況を打破するため、総理・鷲田はあるプロジェクトを立ち上げた。「Utopi-AI」、通称UA(ウーア)構想。全国からリーダーをAIで選抜し、退廃した都市の統治を担わせる実験プロジェクトである。若者が政治を担えない理由は、「経験」の少なさだと言われてきた。AIは、一人の人間が到底「経験」し得ない、膨大な量のデータを持っている。つまり、AIによっていくらでも「経験」は補えるのだ。それを証明するかのごとく、AIが首相に選んだのは、若く未熟ながらも理想の社会を求める、17才の少年・真木亜蘭(まきあらん)。他のメンバーも全員20才前後の若者だった。真木は、仲間とともにAIを駆使し改革を進め、衰退しかけていた地方都市を、実験都市ウーアとして生まれ変わらせていく―。

https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/6000/459473.html

202X年という舞台設定と美術の表現が秀逸だと思った。この手の近未来SFでは作品の世界観を表現するプロダクトデザインが優れていることが重要だが、日本だと予算の少なさゆえなのか設定から浮いた映像がお出しされることが多い。しかし本作は2022年現在より8年以内に訪れるごく近い未来を描いているので、デザインに大きな先進性がなくとも機能性に少しの進歩があるだけで世界観を表現することを可能としている。また実験都市ではよくある漁村の風景のなかにAIが統治する高層タワーがそびえ立ち、未来の価値観がいまを塗り替えようとする様を表わすようで面白い。こうした地に足着いた演出に日本の実写SF作品の勝機を感じた。

物語としては、"開かれた政治"のもとに市民と為政者が直結する体制を推し進めようとする真木の姿がメディアが機能しない政治の怖さを端的に表しているようで恐ろしい。真木はホログラムの姿で現れ、"強い言葉"で市民に語り掛ける。そこにメディアは介在せず、真木は市民に自らの言動・立ち振る舞いを直接見せることで支持率を上げていく。この構造は古今東西でよく見かけるものだが、『17歳の帝国』では"日本の未来を担うリーダー”の姿として描いているのが痛烈だ。SNSなどプラットフォームの発達あるいは為政者による囲い込みによりメディアの「権力を中立的に監視する」という役割が失われつつあるいま、真木の姿にポピュリストと独裁政治が台頭する20XX年の日本が透けて見えるようで暗澹とした気持ちになった。

もっとも第1話が終わったばかりで『17歳の帝国』をディストピアSFと捉えるのは早計だろう。真木が若き仲間たちと関わりながらどう成長するのか、どのような"国"づくりを志向するのか。青春エンターテインメントと政治ドラマの両面を楽しみつつ、最終的に本作が希望をたたえる作品となることを願いながら続きを追っていきたい。


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