才能の話 (続?


才能は存在しないだろう。幼少期の成果だろうと以前私は言いました。もしかしたら、ほんの少しは存在するかもしれないけど、大抵は幼少期からの環境が本当に大きくて、かけた時間と質なんだろうと思います。
だとすれば、今までやったことのないことができないのは当然で、同じ年齢でもそれまでにやってきた人のほうができることは当然です。
量×質なのであって、根本的な視点等、質を構成するものが著しく欠如していれば時間をかけても成果は上がらないでしょうし、質が変われば同じ領域に辿り着けるまでの時間が異なるのも当然です。
ここまで考えて、やはりどこをとっても幼少期というのはとても重要な鍵を握っているように感じます。
ただ、この論理でいけば質を伴ってやり続けていれば、時間さえかければいつかは到達できるということです。幼い頃と比べ、物事の吸収も遅いでしょうから、今から始める17歳の初心者が「17歳現在で鬼才並みのクオリティの人」と同じレベルに達する頃には、40歳は超えてるでしょう。
それが本当にやりたいことであれば年齢なんて関係ないのでは?いいじゃない。何歳であったって夢が叶うのであれば。多くの人はそんなふうに楽観的には捉えられないでしょう。そこには周囲との比較があるでしょう。「今」その才能に見える積み上げてきた能力を持ち合わせていることが羨ましくて、今すぐにそうなりたいのです。辛抱して積み上げさえすれば、到達できると頭ではわかっていても、現実社会を目の前に、ならば。と心を決めるものは非常に少ないでしょう。
だから、継続は大事なのですね。なんだって、欲しいと思ってすぐに手に入るわけじゃないですからね。これは非常に面白い仕組みだと私は思うのですがね。数十年後、未来にはこの仕組みも変わってしまうのでしょうかね。
そう考えて、子どもに自由を委ねる親というのは吉か凶か。多少の好みはあれど、揺るぎない信念を持った子どもなどいるのだろうか。無理矢理やらせることが必ずしも悪だとは一層感ぜられなくなりました。

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