愛に満ちている。今の、嘘偽りのない感情。論理よりもっと、感覚で生きている。コード進行も浄土信仰も素敵そうだが、感覚は素晴らしい。耳に入る音が、一歩一歩愛を奏でているように感じるんだから!論理じゃなくて、感覚も、それはそれで素晴らしいでしょう? 私のことを誰かに知ってほしいいけど、誰にも知られたくないから、みんなにわかる名前で誰にも教えずノートをやっている。 人生は偶然の連続。人との縁がそのままレールにも地図にもなる。愛おしいあなた以外に名前を呼ばれて、愛に満ちる日もある。
好きで溢れる人生を送りたい!今の率直なきもちです。 ひらがなのほうがいいなって思いがMacに伝わったみたいで、やわらかい予測変換で溢れてる。 別にさ、人、そんなにすきじゃないよ?ぼやぼやしてたらなぜだか、だれかの心の中にいた。最近おもうのだけど、どんなにへたでも自分でつくるべきです。それよりいいものなんて、この世にないんだから!だれかの思惑の中で生きるのは、そんなに心地よいものではないです。だれかが決めた道、やり方、幻想を、わたしたちが完璧に理解できる日はこないから、コピー
#朝のルーティーン ピピピとシンプルな電子音が鳴るタイプの目覚まし時計で目を覚ます。「目を覚ます」そんな表現をするが、正確には耳ではなかろうか。朝、私たちは耳に飛び込んでくるその音で、目を覚ます。やはり目なのだろうか。どうしてか、言い慣れた言葉はしっくりきてしまうものだ。 そんな理想的な朝を迎えるのが私のルーティン。言っておこう。これは、フィクションだ。私の願望だ。大抵こういうものは、最後にネタバラシが来るはずだが、誰も起きれやしない朝のことだ。フィクションだなんていうの
寂しくなったら、文章を書こう。圧倒的手書き派だった半年前は、まだ高校生だった。3ヶ月間の、バイト、正確な文章での報告が求められるコールセンターのバイトを経て、半年間のレポート、これでも大学生だから。週にいくつも作ったレポートを通して、じわじわタイピングを気に入り始めている。 手書きの良さは、入力よりも遅い速度だといっていた人もいた。デジタルネイティブの私は、スマホのフリック入力、あれ、鬼早い。暦にして約半年のタイピングは、もしかしたら速度が程よいのかもしれない。あまりに遅か
恵まれている人たちは、かわいそう。救済って、殺しのことでしょう。 必死に生きたい。 尖ったものにばかり心を奪われる。戦慄かなのが好き。尖ったユーチューバーしか見ない。本当は、もっともっと刺々生きたいんだよ。つまんねえ、くだらねえ、それはちがうと。大事でもないものを大事にしてなんか生きたくないし、そんな気持ちが少なからずある割に表向きの私に毒は1割すらも存在しない。カメラを向けられたら、100%笑顔を作る。キメ顔なんかじゃない、そんな人殺すみたいな顔が、できない、あああああ、本
相変わらず大好きだ。 こんなことをわざわざ残そうだなんていうのは、もし作者の目に届いたら、とか、伝えたいとか、はたまた愛されたいなんてそんな気持ちのゆえなのだろうか? なんて冗談はさておき 一番初めに出会った本は、また同じ夢を見ていた。大好きなんですよ。奈ノ花が。黒猫が友だちの、彼女。 もう何度も読み返したな。似てるんですよ。住野よるのお話にでてくる女の子に。私が。重ねちゃうんです。でも簡単には言えませんよ。あんなにも純粋で、友だちや大事なもののために一心不乱!みたい
長い前置き あなたは、どんな人ですか?大人ですか?子供ですか?裕福ですか?安定していますか?あなたは、どんな人でも、結局同じことです。 私は、子供です。正しくは、間です。まだ、彷徨っています。だから不安になります。将来のことも、日々の選択も。他の誰かより、確かなものをあまり持っていないかもしれません。でもきっと、それらは本当の理由じゃない。私が大人でも、子供でも、安定していても、そうでなくても、誰であっても、同じように悩むと思うからです。 未来が不安です。選択肢に恵まれま
大きな応答を目の前にして、できない無理だと思うのは、それは当たり前のことなんだ。簡単にできやしないから尊いんだ。価値があるんだ。 自分にはできない、無理だと毎日毎日毎日思っていたとしても、ある時には誰かがひょいと腕を伸ばしても、簡単には掴めない、壊せない、触れることすらできないそんな尊いものになっているんだ。 数秒じゃできないから面白いんだ。素晴らしいんだ。できないから面白いんだ。 やってみるしかないんだ。 あたしは、この1年間で何を得たかな。誰かが興味本位で手を伸ば
乱れた文章ではなく、一応しっかり向き合った文章には、いいねを押してくれる人がいて、読んでくれた人がいるんだ、と思って嬉しくなった。
こんばんは。深夜なので。お久しぶりです。 今日は、ぼやきです。 1ヶ月かそれより少し前に、このノートを始めました。長時間おしゃべりしていることと、息をするかのように"つぶやく"こと、質はさておき量をとにかくたくさんアイデアとして出すことが得意な私に、ノートは絶対向いていると思っていました。よく思い出してみれば、それだけではありません。書くことも特段好きでした。いいえ、好きです。伝えたいことに対して、語彙をわずかに選び分ける瞬間が、言葉尻を色のわずかな違いのように変えてい
才能は存在しないだろう。幼少期の成果だろうと以前私は言いました。もしかしたら、ほんの少しは存在するかもしれないけど、大抵は幼少期からの環境が本当に大きくて、かけた時間と質なんだろうと思います。 だとすれば、今までやったことのないことができないのは当然で、同じ年齢でもそれまでにやってきた人のほうができることは当然です。 量×質なのであって、根本的な視点等、質を構成するものが著しく欠如していれば時間をかけても成果は上がらないでしょうし、質が変われば同じ領域に辿り着けるまでの時間が
人は皆、「異論は認めるが反論は認めない」くらいのスタンスで生きているがちょうどいい
こんにちは。高校生ライターのありすです。 絵が上手い人、運動神経が良い人、劇的なセンスを持ち合わせた人。特に、絵に関して「なぜそんなに上手くできるの?」と、答えを求めて真面目に聞くと、9割近くの人が「小さい頃からやってた」と答えるのです。多分だけど、これは真実です。 ただ、わかったところで生かせるとすればそれは数年後、私が母になってからでしょう。ずっと、自分のセンスのなさと周りの光り輝くセンスの持ち主との差に落ち込んでいました。だけど、やっぱり今考えてもその大半が親の影響
白い画用紙が汚れていくのは気持ちがいい 新品の雑巾と靴を下ろす時は緊張してしまう いずれ汚れるべきものなのに 汚れるために生まれてきているのに 人の心が汚れていくのはとても居心地が悪い
生を真っ当しようと馬鹿真面目に生きることは、ある意味で死んでいるのだろう
猫じゃらしを綺麗だと思わなくなった 猫じゃらしが汚れたんじゃあない 私の心が汚れたんだ 本当にそうだろうか 大人になると心は汚れるんだろうか そんな受け売りを間に受けてるようじゃあ まだまだ猫じゃらしがなにかすら わかってないってもんだ