最近知り得た才能に関する話
こんにちは。高校生ライターのありすです。
絵が上手い人、運動神経が良い人、劇的なセンスを持ち合わせた人。特に、絵に関して「なぜそんなに上手くできるの?」と、答えを求めて真面目に聞くと、9割近くの人が「小さい頃からやってた」と答えるのです。多分だけど、これは真実です。
ただ、わかったところで生かせるとすればそれは数年後、私が母になってからでしょう。ずっと、自分のセンスのなさと周りの光り輝くセンスの持ち主との差に落ち込んでいました。だけど、やっぱり今考えてもその大半が親の影響や、環境、すなわち幼少期の影響だろうものが9.9割なのです。
だから?そう、だから、まずは落ち込む必要はないし事は深刻ではない。しかし、落ち込もうとそうでなかろうと、彼彼女らとの間にある壁が溝が埋まるわけでもない。そこで、この事実をどう捉えどう活かすかが最重要項目となるはずだ。
この、私が最近知り得た真実、トリビアにはひとつヒントと、落とし穴がある。まずはヒント。これは、私が身を持って体験したことだが、私がアートや表現に興味を持ったのはつい最近のことだ。いや、正確に言えば興味はずっとあった。ただ、私にとってはその世界に足を踏み入れること自体勇気がでなかった。自分には才能がないと思っていたし、実際センスも人並み以下だから、好きだとか言うこと自体恥ずかしかった。だけど、最近ようやく好きなら好きでいいと思えるようになって、いろんな世界を見たり調べたり入ってみたり、とにかくやってみるようになった。すると、見える世界が変わった。これがヒント。いつもと同じ世界を見ているのに、いつもと違うものが見えるようになった。そして、一旦落とし穴はなんなのかと言う説明をすると、「幼少期からやっていた」と口を揃えて言う彼彼女らは、別にずっと特化していたわけでもないように見える。どちからというと、「幼少期にやっていた」と言うほうが正確な人も半数近くいるように思う。つまり、幼少期にはじめたが必ずしも絶え間なくやり続けてきたのかと言われればきっと違う。この、世界に足を踏み入れてから見える世界が変わったというヒントと、幼少期にはじめたもののずっとやり続けてきたわけではないという落とし穴。ここからは、ひとつの仮説を導くことができる。
幼少期に経験を積んだ人が、その後の人生でセンスや才能で秀でる理由。それは、経験そのものが自身の視野となり、その視野で生きる年数がより長くなるから。なのではないか、というものです。
なんとなくわかっていただける気もしますが、メガネのようなものなんだと思います。センスや才能、その分野で秀でるための能力を養うために必要なものは、その分野を踏まえた上での、ただの日常の経験なのではないでしょうか。色眼鏡という言葉もあります。物事を捉えるためには、誰しも自分の軸を持っています。その軸に常にアートという文字がこびりついていれば、何を見ても、アート的に捉える部分があるでしょう。逆に、18歳までアートという視点を持たずに生きてきた人には、アートには見えないのです。きっと。だからこそ、幼少期に自分の眼鏡の材料になり得る素材である「分野」を多く知り、深く味わうことは重要なのだろうと私は思います。
そして本題。仮に、この仮説が正しいのであればやはり、幼少期勢を超えることは出来ずとも(?)センスを磨くことは可能でしょう。興味を持ち、進み始めたその地点がターニングポイントなはずです。また、更に意識的に物事に対しアート的視点を持って接すれば、幼少期勢を超えることもできるのかもしれません。3歳児と、18歳児では明らかに「はじめて」の数が違います。18歳児である私はもうはじめてのおつかいには出られません。だから、幼少期勢を超えるための唯二つの方法は、超意識的にアート的視点を使うことと、自ら3歳児並みのはじめて体験を生み出すことなのではないかなと思います。私はここ最近、アート的視点を持ち合わせることができたので、持ち合わせなかった世界線の自分に比べれば勝ちです。でも、3歳児時点でアート的視点を持ち合わせた場合の世界線のわたしにはまだまだ敵いません。そのため、今後は3歳児バリに奇想天外な体験や日々を積み重ねるしかないのかなと思います。
あと、私が今後3歳児人生を送らなければならないのは、アート的センスが欲しいからです。その場合、足りない分を巻き返すためにはそれほど経験を積む必要があると私は思いますが、何かで秀でたものを、なんでもいいから見つけたいという場合には、3歳の頃の自分の興味関心を調べてみるのもアリなのかなと思います。
追記
天才は別だと聞いたことがあります。私は多分まだ「本物」がなんなのかよくわかっていません。だから、実感を持って言えたことではありませんが、私が書いたことはあくまで、努力レベルで到達できる範囲内の話なんだろうと思います。もちろん遺伝もあると思います。そうなってくると、タイトルに才能という書き方をしたのは少し間違えな気がします。時間のある時に書き直したいと思います。