私、湊崎アリスについてと毒親育ちが思うこと
わたしはいわゆる毒親育ちだ。
毒親とは「毒になる親」の略である。虐待をしたり、過干渉をしたり子どもの人格を否定したりするような親がこれにあたる。
わたしの場合は過干渉と人格否定だった。暴力を振るわれていたとか肉体的な虐待は一切受けていない。これが意外と厄介だったりする。親が厳しかったといえば、「親もあなたのためをもって言っていたのよ」と言われてしまい、理解してもらえない。それになかなか人格を否定するようなことを言われていたなんて言い出せない。
わたしの父は怒るとものに当たるような人だった。だから、家の壁やドアには穴が開いたり、凹んだりした部分がたくさんあるし、立て付けが悪くなりうまく閉まらなくなったドアもある。これは最近知ったことなのだが、目の前でものを破壊したりする行為を「面前DV」というらしい。わたしも立派なDV被害者だったわけだ。対して母親はなんでも自分の言う通りにさせたがった。わたしは母親の言う通りにしていれば良いと事あるごとに言われてきたし、言うことを聞かなければ「わがまま」、「困った子」として扱われた。服を買ってもらうにしてもそうだ。母親はお気に入りのブランドがあるらしくその服を着せられていた。しかし、そのブランドは学校での流行とはかけ離れており、わたしの好みではなかった。母親はそのブランドの母親が選ぶ服をわたしが着ることを望んだ。わたしは嫌でも指示に従うしかなかったのだ。それに母親は私がちょっとミスをするだけで「どんくさい。」や「とろい」と罵った。「そんなんじゃ将来なんの役にも立たないわよ」と言われ続けてきた。わたしの自己肯定感の低さはここから来るのだろう。
わたしのこの育ちに関してはほとんどの人が知らない。中学時代の友人にはあまりの厳しさに「親おかしいよ。」と言われたこともあったが、それも本当に親しかった数人だ。ましてや会社の同僚が知るわけがない。知らないから仕方ないのだが、わたしが年に1回しか帰省しないと言うとかなり驚かれる。実家もそこまで遠くないため、
「もっと帰ってあげなくちゃ!」や「親も寂しがっているでしょ?」とよく言われる。わたしはその度に返事に困っている。相手に悪気はないかもしれない。でも、わたしは年に1回ですら会いたくないと思うほどの親に育てられてきたのである。それでも帰省するのは地元の友達に会いたいからだ。それがなければ年に1回の帰省すら理由をつけてしない気がする。だからこの「実家帰らないの?」系のよく繰り広げられる会話は何気ないうちにわたしを傷つけている。「わたしも帰りたいと思える家に生まれたかったなぁ。」と何度思ったかわからない。家庭環境も最近は複雑になってきているだろう。家庭環境に関する発言ももうちょっと皆が気にするべきではないのだろうか?その前にもっとこの「毒親」とは何か?毒親に育てられた人がどんな思いで生きているのかを世間に知ってもらう必要があるのかもしれない。わたしはそんな思いでこの文を綴っている。今後も私が育った環境についてゆっくり綴っていこうと思う。