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プロポーズ・結婚・妊娠。夢物語がノンフィクションだと知った2022年。

子どもの頃から、何となく「お嫁さん」「お母さん」になるのが夢だった。
20歳には結婚してて、22歳には自分の子どもがいて、幸せな家庭を築いていることを信じて疑わなかった幼少期。

そこから20年以上たった28歳の私も、やはり何処か幸せな家庭に夢を抱いていたと思う。


結婚って恋愛の先にあるんだと思ってた

婚活なんて本気めいたことはせずに、何となくこの人と結婚するんだろうな、って思う人と出会った2021年。
付き合ってすぐに同棲し始めて、あぁやっぱり恋愛と結婚は違うんだなと、今まで数々の大人に言われた言葉が頭の中を反芻した。

最初はドキドキして、好きだなって思って。
この人だったら結婚してもきっと幸せだろうなって感じて。
安心感はある当時の彼氏との日常は、いつの間にかトキメキはない老夫婦のような日々になった。

それでもそんな毎日すら新鮮だった気がする。
あぁ、25歳位の頃にみんな今までの彼氏とは違うタイプの人と付き合い出して、いつの間にか結婚に進んでて、そんなに人は変われないだろって疑ってたけど。
自分もそうなれてると感じた時には、大人になった自分を心の底から讃えてあげたものだ。

そして急に訪れたプロポーズ。
待ちに待った瞬間。
もはや女として生まれたその日から、この日を待っていたような気がしていた。

気が強い私は、相手からのプロポーズを待てずに、何度逆プロポーズをしようと考えたことか。
それでも憧れには勝てなくて、一抹の不安を感じながらも待ち続けた憧れの一瞬。

その瞬間はわっと感情が込み上げてきて涙が出たけど、少したって「思ってたより現実感が凄いな~」なんてことを冷静に思った。

赤い100本の薔薇に心を打たれて、人生で感じたことのない幸福感と高揚感を味わうものだと夢を見ていたんだけど。
道端に可憐に咲くチューリップを愛でているかのような。
それはそれで愛おしいのだけれども、思っていたものとは違いすぎた。
 
それでも、穏やかな幸せな時が流れていたんだと思う。
だけど、なんとなく叶えられなかった夢に、まだ恋焦がれているのかもしれない。


夢物語は、タスクだらけで仕事のようだ

そこからは、怒涛だった。

・両家の顔合わせ
・入籍の日取り決め
・婚姻届の記入と提出
・指輪の購入
・結婚式場の下見…

何だか仕事みたいだなって思った。
やるべき事と期限を決めて、todoリストをこなしていく感じ。
もっと浮かれてるのかと思ったけど、淡々と作業をする時間やら、お金のことを考えながらできる限りの理想を叶えていくという経理業務に追われているような感覚の方が強かったと思う。

こんなことだから、やっぱり結婚は20代前半でしていた方がいいのかもしれない。
そうすれば、もっと夢の中のようなふわふわとした雰囲気の中で、すべての手続きが新鮮に感じて、楽しすぎる非日常のテーマパークのチケットを買うような気分を感じていたんだろう。

28歳の私は、少しばかり経験を積みすぎたようだ。
そして、あまりにも長い時間、頭の中で素敵な夢を見すぎてしまったのかもしれない。


突然の妊娠発覚。人生は予想できないことばかり

それでも、新婚生活はそれなりに楽しもうと思っていた。
今しかできない思い出を作って、あと10年経った時にいい思い出として振り返れるように。
もしも今後「こんなやつとは別れてしまった方がいいのではないか」とどちらかが思った時にも、「あんな楽しい時もあったよな」と少しだけ思い出に浸って足を止められるような。

そんなストッパーとなる時間と記憶は、今しか作れないものだ。
そして、現実的すぎる計画をこっそりと立てていた11月末。

もしかして…と思ってやった妊娠検査薬。
すぐに出た陽性の反応。
もうそれはそれは動揺しすぎて、今では陽性の反応が線2本だったのか、プラスだったのか、それすらも全く覚えていない。

少しだけ頭の中にあったのに。
頭が真っ白になって、「どうしよう」しか浮かばなかった。

子どもがいない人生は考えられないと、ずっと望んでたことだったのに。
もしかしてできなかったら、不妊治療とかしないといけないのかなとか思ってたのに。

手放しで喜べない自分に嫌悪感しかなかった。
次の日病院でエコーで見た時も、何だか自分のことではないような、フワフワした感覚が心を支配していた。

子どもができたことが嫌だったわけではない。
ただ、あまりにも予想していなかった人生の急な方向転換に、どうしたって頭も心も営業を停止してしまったらしい。


通用しない現実逃避。それでも時間は過ぎていく

こうして、思わぬ形でバタバタと終わっていった2022年。
「未来は自分で掴む」ってがむしゃらに進んできたはずなのに、勝手に進んでいく流れについていけなくて、ずっと溺れているような感覚だった。

この話だって、年明けすぐに書いて出したかった。
けれど、気づけば1月はもう20日以上すぎている。
その間にも、結婚式までの日にちはどんどん少なくなっているし、お腹の中で子どももすくすくと育っているらしい、実感はないけど。

なんだか、物語の中で一人だけおいてけぼりみたいだ。
私の人生なのに、私が主役なのに。
なんなのさ、そんなに走って過ぎ去らないでくれよ、なんて泣き言は、無常な時間には届かないらしい。

それでも、時間は敵ではない。
時間が経つにつれて、少しずつ受け入れる態勢になってきた気がする。
というか、もうそうしなければ、自分の人生を取り戻すことができないのだろう。


平凡な日常を愛していこう

今日も、また普通の日常が過ぎていく。 
幼少期はもちろん、高校時代、20代の婚活中にイメージしたような、楽しい新婚生活とは全く違うけれども。
それでも、穏やかで安心できる時間が過ぎていっている。

結婚は、恋愛の先にあったわけではない。
だから、今の旦那が隣にいてもドキドキして高揚することもほとんどないけれども。
何となくそれがしっくりくるこのほのかに優しい空間が、私は好きだ。

思ったようなものではなかったし、叶わなかった夢は少しだけ寂しそう。
だけど、私は今のこの平凡な日常を愛していこうと思う。
もしも恋焦がれた時のハチャメチャな感情を欲した時には、この文章に戻ってくればいい。
普通の日常の中にある愛おしさが、私のストッパーになってくれることだろう。

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