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必然の出会い 1

 「あなたと私の出会いは必然だったと思います」
 この言葉は、福岡に住んでいた頃の友達に別れ際に言ってもらった言葉で、楽しかった頃の思い出や気持ちが込み上げてきます。 
 そんな私が必然の出会いと思う人に出会ったのは、2度目の入院中で、その彼女は出会って1年弱で亡くなってしまった。こんなに悲しい思いをするくらいなら、病院でお友達になるのはやめようと思ったほど落ち込んだが、彼女との出会いで沢山の事を気づかせてくれる出会いになった。
 大部屋の廊下側の部屋で、入院直後から数種類の検査を終え、すぐに治療に入り静かに過ごすごしているカーテンが突然開いた。
「仲良くしてね」
そう言って、にっこり笑うお隣さん。それ以来、何かあるとカーテンが開いては話し掛けてくる、ちょっぴり調子のいいおばさんだった。
 体調が悪い私には憂鬱な日もあったが、彼女は全くお構いなしだ。数日過ごしたある日、お医者さんと話している彼女の会話が聞こえて来た。
「治療しても治らんね。先生、私はいつ頃まで生きられるんやろうか」
と言う問いかけに耳を疑った。
 病院に入っているのだから、みんな病気です。そんな事はわかっているはずでも、普段から耳にしない「死」と言う言葉に驚き、病院では普通の会話だと言う事をこの時初めて感じ、あまりに悲しすぎる現実に色んな思いが溢れてきて、カーテン越しに涙を流す私でした。いつも明るく、迷惑なくらい元気なお隣さんが抱えている事を知らなかったから。その後、彼女はカーテンを開け、
「聞こえてたんでしょう、仲良くしてね」
と明るく言う彼女にも驚きだったが、それ以来距離はぐんと近づいた。
 彼女は私の母と同じ歳。母親への気持ちや小さい頃からの環境など、色んな事を話していくうちに、お互い間逆の環境で苦しんできた事を知る事になった。話ししてるうちに、親は子を何よりも大切で守ってあげたくて、子供は親を頼って何かしてもらえるものだと思っている事も、お互い一度意地を張ってしまうとうまくコミニケーションが取れない事も、彼女と話していると、自分の母もそう思ってるのかもしれないと思えるようになった。
 私は小さい頃から母には素直に言いたい事も、やりたい事もうまく伝えられなかった。話しても認めてもらえないような気がして、いつの頃からか、言う事も相談する事もなくなったように思う。なのに、最初の病院で病名がわからず不安な日々を過ごしている時、1番に助けて欲しいと思い浮かんだのは母だった。なんとも勝手な性格だ。自分では気がついていなかったが、小さい頃から自分勝手な性格だったのだろう。「今頃気づいたのか」と身内の声が聞こえてきそうだ。
 彼女と話す事で、親子の関係も冷静に考え直せるようになって来た。そんな彼女に、
「誰もお見舞いに来ないの?」
と聞かれ、歩行器で歩く格好悪い姿を見られたくないので、友人や両親にもお見舞いは来て欲しくないと伝えていると話すと、
「それじゃぁ、あなたの周りの人は寂しいね。人って、行ってあげようと思う気持ちがあっても、来ないで欲しいって言われたら行けないからね。何かをしてあげようって人の気持ちは大切にしないと、自分が後で辛くなるよ」と言われたら何故か涙が溢れてきた。自分のプライドも、人に迷惑かけるんじゃないかという思いも、色んな事を考えると素直に言えない性格だと伝えると、
「じゃぁ・・・まず、お母さんにお見舞いに来て欲しいな!って言ってごらん。きっと喜ぶよ」
と教わり、初めて自ら「来て欲しい」と母に連絡する事にした。 
 翌日母はお見舞いに来てくれて、
「朝一番の電車で来たのよ」と嬉しそうに言ってくれる母がいた。
 色んな事に意地を張って生きてきて、自分で自分を苦しめてでいたのかもしれない。自分の気持ちに素直に生きるって当たり前に出来そうな事も、自分のイメージや思い込みで素直に生きて来ず、そんな殻の被った状態から出してくれたのが、彼女だったように思う。




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