可能性の世界に浸る人生、それでいいのか?
どうも、アリソンです。
早速ですが、
皆さんは自分の将来を想像したことがありますか?
将来というと壮大で抽象的すぎるため、キャリアや恋愛、趣味や副業など自身の身近なものに置き換えて考えてみてください。
私には妄想癖があります。
会社から一目置かれるエリート社員になった姿。
流暢な英語を扱い、外国人と楽しそうにコミュニケーションをとっている姿。
世界から注目されるアーティストとして数万人の前で歌っている姿。
どれも大袈裟な妄想を取り上げましたが、これら以外にも、より日常的な事柄に対して妄想を膨らませてしまう癖があります。
それ自体は悪ではないし、人間としての個性だと思います。
しかし、妄想に囚われてしまっている場合はどうでしょうか。
想像は何らかの根拠や土台の上で成り立つ思考の1つだと私は考えます。
一方妄想は、夢や作り話といった虚像そのものです。
根拠がなく、可能性を頼りにどこまでも誇張して理想の自分を思い描くことができる。
そんな妄想に囚われたら最後、麻薬のように中毒症状を起こして抜け出せない。
それほど妄想の世界に浸るのは快感で、居心地がいい。
しかし、妄想から抜け出せないのは快感だけが理由ではありません。
むしろこちらの要素の方が根深く、そして根強い。
それは『恐怖』です。
可能性の世界では、失敗がありません。
妄想しているうちは自分がその道のプロになることや素晴らしい作品を残すアーティストになれる可能性を秘めています。
しかし、ひとたび行動に起こして仕舞えば、絵を描いてみたら見るに耐えない作品ができたり、どれだけ練習しても数万人の前で歌うアーティストにはなれない現実を突きつけられます。
『ああ、自分には才能がないんだ』
ついには自己嫌悪に陥り、可能性の世界に戻ってきてしまう負のループに陥ります。
才能がないのは当たり前、もちろん心の底では理解できています。
しかし、妄想癖がある人や完璧主義の人ほど”才能”を強く意識していると私は思います。
そんな妄想癖のある私が、可能性の世界から飛び出して想像を形にしてくにはどうすればいいか。
ここで俗にいう『行動力』が必要になってきます。
私はここ数ヶ月やってみたいと思ったことを、多少の不安や恐れを抱きながらも行動に起こすよう意識しています。
そのせいで後悔することもいくつかありました。
その後悔を”失敗”と捉えるか”無駄”と捉えるか。
これも人生の充足感を左右する大切な要素だと思います。
こうして自己分析をすることで、「失敗することは大切だ」とか「行動あるのみ」という言葉が初めて身に染みます。
私は可能性の外に飛び出すことは怖いけど、可能性の中だで過ごしていくことのほうが怖いことを知ることができました。
自分の未来を”妄想”ではなく、”想像”にするため。
可能性を実現して形作れるよう、些細なことから行動を起こしていこうと思います。
皆さんも共感できる部分がもしあるのであれば、ご自身の私生活を振り替えてみてください。
今すぐにでも変えなきゃいけない一面が見えてくるはずです。
そして、noteをはじめとしたSNSで情報発信することによって、自分の意思宣言にもなります。
私はこれからも自分のネガティブな一面を見つめ、自分を律していけるようnoteを続けていこうと思うます。
最後までお読みいただきありがとうございました。