「洗濯槽の汚れ」と「人生」

洗濯槽の汚れは表向き、私たちの目に見えないものだ。

同じように、私たちの人生における「堕落」だとか「悪化」だとか言ったものは現実に存在するが、目に見えずらかったりする。

私の人生は十年以上かけて少しずつ悪化していった。ほとんどの人がこういう経過をたどるだろう。人生は知らないうちに少しずつ悪くなっていき、どん底まで落ちて初めてそのことに気づく。
――――――――――ジム・ドノヴァン『誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則 決定版』(ディスカヴァー携書)P.88より

実際は、ゆっくりとしたスピードで「堕落」「悪化」していくため、視認できなかったりするわけだが。

だからこそ、ジム・ドノヴァンは、「人生は知らないうちに少しずつ悪くなってい」く、と感じたのではないだろうか。

この自分の人生の「堕落」や「悪化」を、機敏に察知できるかできないかは、その人が、人生において、何か目標を持っているか・いないか、だとかに懸かっていると、私は思う。

私がこう考える理由は、目標を持っている人は日々、「目標のために今日何を終わらせるのか」をよく考え、逆に、「自分の人生の「堕落」や「悪化」を招く「何」を遠ざけなければいけないのか」も考えているからこそ、自然と、人生の「堕落」や「悪化」に対しても敏感になる、と考えているからだ。

つまり、「目標を持つ」という事は「自分の人生の「堕落」や「悪化」を遠ざけること」にも繋がると、私は考えているのだ。

今回はここまで。

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