やりたくない事は「あ〜やりたくな〜い!」と言いながらやると良い
と、聞いたことがあります。
結果的にやる(やらなきゃいけない)としても、まずは自分の中に生まれた「やりたくないぞ」という感情を肯定してあげることが大事らしい。
私はこの話を、なぜかしばらく忘れていた。
厳密には、思い出してはなぜかすぐに忘れていた。
多分だけど、このような負の感情を抱いたときは「こんなふうに思っちゃだめだ」と否定する自分が出てきて。
せっかくやるなら楽しく!とか、〇〇に比べたら苦じゃないだろ!とか、無意識に思考をポジティブに変換する癖がついている。
これはずっと自分の長所だと思ってきたけれど…
だんだん、本当の自分がわからなくなってきてしまった。
私は何をすることが好きで、何をしてるときが幸せなの?
などと考えた時に、パッと出てこなくなり、なんだか自分で自分が心配に…。泣
すこし整理してみよう。
①あれとこれが楽しい、あの人とこの人が好き
②あれもこれも私なりに楽しめる(進んでやりたくはないけど…)、あの人もこの人もいい所はある(苦手だけど…)
もしかすると、この①と②がごちゃごちゃになりつつあるのかも?と感じている。
②のような考え方や捉え方は、例えば仕事をする上ではとても大事だと思う。
私だって、文句ばかり言うようないやな大人にはなりたくない。
むしろその場の状況や人間関係も出来るだけ楽しんでいたい。これは本心。
でも、やはり①のように純粋にただ「好き」とか「良いな、楽しいな」と思うことをしっかり優先できる人生にしたい。
人生、なんて言葉を使うとなんだか規模が大きくてフワフワしてきちゃうけど…
今この一瞬一瞬が毎日を作っていて、その毎日の積み重ねが人生なわけで。
ちょっとした出来事に幸せを感じる瞬間もあれば、逆に嫌なことは嫌だなぁとちゃんと素直に感じていいんだよね。
健やかな心を持って、そんな毎日を重ねて生きていきたい。
あとね、これは私が私を納得させるためでもあるんですが、一つたどり着いた答えがあります。
そもそも好きじゃないことや人に対して時間やお金を使うというのは、その行為そのものが失礼にあたることなのかもしれない…と。
このように考えれば、素直に断ることも「気遣い」の一つと捉えて行動できるような気がしてきた。
矛盾しているかもしれませんが発想としては我ながら面白いかも!と今ちょっとワクワクしている←
ついつい気を遣ってしまうタイプだからこそ、その気遣い行動の中に「断る」「やめてみる」みたいな選択肢があるとだいぶ楽になるんじゃないかなぁ。
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