このまま一生マスクなのか?
このノートは「言語学な人々 Advent Calendar 2022」(松浦年男さん主催)の15日目の記事として書いています。が、あまり言語学な人々じゃない感じに仕上がっています。
クリスマスのイルミネーションで活気づくはずのこの季節。しかし、街ゆく人の顔は相変わらずマスクで覆われ、人々の表情は見えないまま。日本では、この先ずっと、マスクを着用し続けないといけないのか?
そんな気持ちに襲われてしまうのは、私だけではないだろう。なぜそんな予感がしてしまうのか、言葉に注目して考えてみた。
まず、現在(2022年12月2日)のマスク着用に関する国の方針について厚生労働省のサイトにあったポスターを元に確認しておこう。
ここで気になるのは、「〜の場合は、必要ない」という表現である。こう書かれると、「それ以外の場合は、必要だ」と、裏を読むことを誘導されてしまう(「誘導推論(Invited Inference)」Geiz and Zwicky 1971)。で、屋外でもマスクしとかなきゃ、ってことになる。
同じ厚生労働省のサイトには、マスク着用について、次のようなポスターもある。
ここでは、先ほど示したポスターとは異なり、「屋外:マスク着用は原則不要です」とある。しかし、その後すぐ、「人との距離が保てない場合は着用をお願いします」という但し書きもある。
この「お願いします」が曲者である。
誰かにお願い(依頼)するという行為は、ポライトネス理論(Brown and Levinson 1987)の立場からすると、「他人に邪魔されたくないという気持ち(negative face)を侵害する行為(face threatening act)」だという。だから、日常生活で依頼する場合は、相手が断る場合の心理的負担を減らすために、「◯◯してくれるとありがたいんだけど」のように仮定表現をつかったり、「無理することないのよ」などのように断るという選択肢があることを明示したりして、相手の気持ちを配慮するものである。
そういう観点からすると、そういう配慮表現を伴わない「着用をお願いします」は日常言語の使用では「義務」ということになるだろう。ただし、これはあくまで語用論のレベルの話で、文字通りにとれば、「お願い」は「義務」でもなんでもないので、無視する人もいるだろう。
同じお達しの中で、屋内についても、「屋内:距離が確保でき会話をほとんど行わない場合をのぞき、マスクの着用をお願いします。」とあるのだが、厄介なことに、同時に「マスク着用推奨」という表現も使われている。「お願い」は「推奨」でもあるのか?
「お願い」=「義務」 かつ 「お願い」=「推奨」
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「推奨」=「義務」
日本(語)では、「推奨」と「義務」は同義なのか?
どうもそうらしい。その傍証となるのが、ちょっと話はずれるが、日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題。日本の公認野球規則がお手本としているアメリカの公式規則『Official Baseball Rules』で”It is recommended that …”と「推奨」されていたファウルゾーンの広さの制限が、日本の公認野球規則では「必要とする」になっていたという例の話。
(物議を醸す日本ハム新球場「ファウルゾーンの広さ」問題。事の発端は野球規則の“解釈”にあった?11/8(火) 11:46配信 THE DIGEST)
https://news.yahoo.co.jp/articles/91f72e956ea44dbeae9df1459f3a7d40ec725646)
「推奨」されると「必要」つまり「義務」だと思ってしまう日本人。お上のお達しがあんなふうでは、3年経っても、ワクチンが普及しても、飲み薬ができても、そして、旅行しろしろキャンペーンで観光しても、屋外ですらマスクを外せない。
他国ではどうなのか?
比較のために、当初感染者が爆発的に増え、その影響もあって比較的マスク着用率が高いとされてきた、スペインの保健省のサイトを見てみよう。
冒頭に、マスク着用の義務化を廃止とした上で、次のような但し書きがある。
マスクの着用が義務づけられる(obligatorio)ところは、医療・福祉施設、交通機関と明記されており、推奨やお願いなどはない。
こんな風に明記されていると、違反している人に対して注意することができる。このお達しが出たあと、スペインで中距離バスに乗った時、ある男性がマスクを顎にずらして乗ってきたことがあった。即座に、運転手さんが、「マスクをしなさい」と注意。その男性が「ここでパンを食べるからマスクをずらしているんだ」と言うと、運転手さん「車内で飲み食いするな」と容赦ない。その男性、しぶしぶ、マスク着用。
一方、日本はというと、公共交通機関で、マスクの着用は義務付けられていない。たとえば阪急電鉄では、
とあり、「ご協力」を「お願い」されているだけ。
その結果何が起こっているか?
「お願い」を「義務」と慮り、屋外を一人で歩いたり自転車に乗ったりしている場合であっても、人とすれ違う可能性があるからと律儀にマスクをしている人がいる一方で、「ご協力」や「お願い」を文字通りに捉えて、混み合う電車やバスの中であってもマスクをしない人がいる、という妙な状況。
じゃあ、日本の公共交通機関では、常に、乗客に行動要請をしないのか?
というと、そういうわけではない。日本語の「〜ください」も相手に行動を要請する表現の一種とみなすなら、
・「ICカードをタッチしてください」「優先座席付近では携帯電話の電源をお切りください」「足元にご注意ください」
などなど、バスの車内アナウンスや掲示物において、乗客への行動要請は結構ある。これらは、バスの運賃の徴収や、安全な運行に必要なこと、など、交通機関の業務に関わること。そこでは彼らは迷わず乗客に行動要請をしているのである。
一方、マスクの着用は公衆衛生に関わることであり、監督省庁(厚生労働省)がはっきり言わない以上、交通機関はご協力を願うしかないのだろう。
スペインは保健省が公共交通機関でのマスク着用を「義務」としているので、バスの運転手さんも自信をもって「マスクしろ」と言えるわけである。一方、義務付けられている場面以外では、気兼ねなくマスクを外して過ごすことができる。
日本の国が責任を持って何か言うなんてことあったっけ。
と思っていたら、松野官房長官が、「マスクの着用に関しては、屋外では原則不要、屋内でも人との距離が確保できて会話をほとんど行わない場合は着用は必要ないことなどを、これまでも政府として発信してきており、今月からテレビCMによる周知も行っています」などと答えているではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/49d14ceb192a463943fc299ce54f755714d12b6b
ほう、発信してきているつもりやったんや。
ん?テレビCM?
あー、これか。でも、わざわざ、動画にして、こんなこと言っているだけ。
あいかわらず、「〇〇の時は、必要ありません」と言って裏を読ませ、マスク着用がマストではないのか、という場面であっても「お願いします」を貫く。
結局、何も変わらず、2022年が終わろうとしている。
引用文献
Geis, M. L. and A. M. Zwicky (1971) "On Invited Inferences," Linguistic Inquiry 4, 561-566.
Brown, P. and S. Levinson (1987) Politeness: Some Universals in Language Usage, Cambridge University Press, Cambridge. [田中典子(監訳), 斉藤早智子・津留崎毅・鶴田庸子・日野薷憲・山下早代子(訳)(2011)『ポライトネスー言語使用における、ある普遍現象』研究社, 東京