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それぞれが見たい世界を見ている。

「真実」って本当にあるのかなぁと私は考えることがあります。

きっと人それぞれ、真実はある・ない、色々分かれるんじゃないかなと思っています。

真実というものが本当にあるのか、私には分かりません。

でもなんとなく分かることが1つあります。

それは人それぞれ、見たい世界を見て生きているんじゃないかな、ということです。

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その人にはどんな景色が見えていて、どんな世界が広がっているんだろう?

一人一人になんとなく聞いてみると、全然違う答えが返ってきます。

私自身が見ている世界もまた、まったく違っています。

でもなんとなく思うのは、その人の見ている世界はその人の考え方によって出来ているということ。

世界はどうしても自分の考え方というフィルターを通して見えます。

フィルターのかかった世界だけれど、その人にとってはそれが本当の世界です。

だから自分の目の前にいる人が自分と同じものを見ているのに、全く違うことを考えても、それは決して間違ってはいないと思うんです。

その人にとって、自分にとっては、確かにそこに存在する世界なのだから。

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いつか、何かの本で自分が想像できることは必ず本当になる、ということが書かれていました。

この言葉で私は思いました。

自分が見ている世界は現実だけれども、見たいように見ている世界だ。

そう考えると、現実ではあるけれど半分想像の世界でもあるのかな、と。

なんだか難しい話になってしまいました。

でも、自分が見たい世界を見ることができる、ってすごいことだと思うんです。

夢を見たいと思えば夢を見ることもできるし、夢は見なくても淡々と生きていたいと思えれば、そう生きることだってできる。

どちらが正しい、なんてありません。

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何が言いたかったかと言うと、一人ひとりが見ている世界に正解と不正解など無いということです。

全部本当に存在している世界。

だから正解と不正解、善と悪、というようにきっぱり2つに分けられることってないんじゃないかな、とも思います。

自分の見ている世界と目の前にいる人が見ている世界の向こう側に、きっと新しい世界が生まれるんじゃないかな、なんて考えています。



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